※変なパラレル。 ※浪漫あふるる大正妖都がやりたかった。 ※永井くんが妖怪。 ※夜雀の元ネタは「おぼろ探偵帖」(Pixiv百科)だったけど、激しくかけはなれた……。 ※リアル妖怪の夜雀も相当かわいい設定なので、ヒマな人はWikiってみてください。
12/12/16
【みさわさんといっしょ!】 【ごはんください】
こつこつと、硝子を叩く音が静寂を壊した。 ひとり、執務室の机に向かっていた三沢は書類を繰る手を止め、窓を見やった。 暗い空を背景に、黒の道行姿の年若い青年が、邪気のなさそうな笑みを浮かべてこちらに手を振っている。その背には、雀の翼。 此処は魑魅魍魎のたぐいを寄せ付けぬ防護の結界を張り巡らせた帝都の砦だが、こいつはそんなものは知らぬとばかりに通り抜けてくる。どうやって、と質問をすれば小生意気にも秘密の技があるのだと嘯いていた。 書類を引き出しに仕舞い、大股に部屋を横切り窓を開けると、青年は器用に翼を畳みながら滑りこんできた――待ちかねたとばかりに抱きついてくるのを押し退け、閉じた窓に確りと錠をおろし、カーテンを引く。 もとより、開けていたのはこの窓だけだ。 「こんばんは、少佐。お招きありがとうございます」 訪問を予期していた三沢を小馬鹿にするような挨拶を睨み付けると、青年は堪えた様子もなく道行を床に脱ぎ捨てた。塵ひとつない整然とした部屋が、それだけで酷く乱れた空気を孕む。 道行の下からあらわれた書生じみた袴姿は、短く刈られた髪と快活そうな童顔に案外と似合っている――前に来た時は色町の女かと問いたくなる艷な小袖だったので、これは随分とましな装いをしてきたものだ。 三沢の視線に気付き、青年はそれまでのふてぶてしさとは打って変わった、少年のようにはにかんだ笑みを浮かべた。 「似合いませんか?」 「その辺りの学生と変わらんな」 「前のがお気に召さなかったなら、これを着ていけって言われたんですよ。気に入ってくれたなら良かったです」 主語を欠いた供述に当てはまる人物はひとり。陰陽寮の博士の末裔(すえ)だか何だか知らないが、こいつを三沢に宛がった男だ。 否、三沢がこいつに宛がわれたのか。 「ばけものの格好に気に入るも気に入らんもない。“奴”に伝えておけ」 「ひでえな。俺に向かって言いますか」 青年は、ばけもの呼ばわりに不服顔で腕を組み、顎をあげた。 「俺には永井頼人って名前があるんだ。ちゃんと呼んでください」 「こっちはお前が不細工な雛だった時から見てるんだよ。今さら人間扱いできるか」 つんと上向いた生意気そうな鼻を指先で弾き、永井が痛がっている間に来客用の椅子に掛ける。いつぞやのように、床に押し倒されるのはごめんだ。 「沖田がお前にどんな躾をしているかは知らんが、食事の作法くらいは守れ」 手招くと、いそいそと寄ってきた永井は遠慮のえの字も見せずに三沢の肩に手をかけ、腿に乗り上げてきた。大きな椅子は大な男ふたりが乗ってもびくともしない。 「俺に食われんのが待ち遠しいって顔してた癖に偉ぶんないでくださいよ」 減らず口も、「待て」を解かれた犬のように嬉しげな顔で言われるとさして腹立たしいものではない。しかし言われ放しも癪なもので、三沢は永井が開きかけた口を手のひらで塞いでやった。 「沖田はエサをくれないのか?」 「貰ってますけどね。上物はここの人たちが片っ端から退治してるんだから、ろくなのが残ってない……」 しかめ面で応じ、永井は焦れたように三沢の腕を掴んだ。 「腹ぺこなんですよ、もういいでしょう」 「人にたかるならそれらしくねだってみろ、永井」 悔しげに睨まれて溜飲が下がる。興が乗って、三沢は薄く笑んだ。 永井はひとつ息を吐くと、三沢の胸に凭れるように擦りより、上目づかいに見上げてきた。 「三沢さん。ごはんください……俺に、食べさせて」 子供じみた口調は、小さかった時を思い出させる。 といっても、二、三年前だ。 『こいつを、しばらく預かってもらえませんか』 如才のない笑顔で差し出してきた箱のなかには、ふわふわとした羽も揃わない不恰好な鳥の雛が入っていた。無心にこちらを見る丸い目は金茶、柔らかな翼は雀に似るが大きな目玉の紋様が入っている。ただの鳥ではないのは一目で知れた。 『あやかしの雛か』 『懐に入れてやればなつきますよ』 『お前の手駒だろうが。何を企んでる』 『企みだなんてとんでもない。俺を親とは思ってるでしょうが、命令を聞き分けられるほど賢くはないですよ』 擽る沖田の指に目を細めて頭を擦り付ける仕草は、羽根が奇怪しくなければ愛らしい小鳥に見える。甘えた鳴き声をたてるのも、成る程、親と慕っているのは本当らしい。 『それに、俺は恩人を騙したりはしませんよ。なりは小さいが、こいつは三沢先輩のお役に立つと思ったから連れてきたんです』 先輩、と呼ばれて三沢は酷く顔をしかめた。 軍事顧問という肩書きがなければ胡散臭い拝み屋でしかない沖田は、数年間、三沢の下で働いていたことがある。 ある事件を境に、所属は離れたが――たしかに、部下としては信用できる男だった。その代わり、人間としては信頼しかねる。 『水だけやっておけば、餌は勝手に取って食いますから。それと、寂しがりやなので夜は一緒にいてやってください』 三沢が承知するものと決めてかかっている強引さもそうだ。 『俺に預けたら、焼き鳥にしちまうかもしれないぞ。まともじゃないからな』 『帝のおわす帝都を霊的に守護する退魔特務機関、その親玉がまともな人間だなんて誰も期待しちゃいませんよ』 つらつらと失礼なことを言い放ち、とにかくこいつをお願いしますね、と沖田は箱を執務室に置いていった。 『ああ、そうそう。そいつ、苗字は永井にしましたが、名前がないんです。ひとつ立派なのをつけてやってください』 鳥のあやかしに姓名など必要なのか……問おうと顔をあげた時には影もかたちも消えて失せている沖田こそ、ひとの形をしたあやかしかもしれない。そういうところが信用できないのだと苦い気持ちで見下ろす三沢に、永井は呑気そうにぴい、と鳴いてみせた。 言われたとおり、籐籠に手拭いを敷いただけの寝床に永井を入れ、横に水の皿を置いてやったのを自分の枕元に置いて眠った夜。 障子に映る影絵の少女、ちいさく開いた障子の隙間から伸びて部屋をずるりずるりと這い回る白い手と、日毎に趣向は違えどお馴染みの悪夢が常とは様相を違えていたのは、三沢の傍らに鳥の眠る箱が置かれていたことだ。 見ていると目を覚まし、ちい、と泣いた鳥は翼を広げて幾度か羽ばたいた――と見るや、ひとつ羽を打つごとに大きくなり、一抱えもありそうな姿になったところで飛び立ち、天井近くを這う白い指先をぱくりとくわえた。 閉じた嘴で床まで引きずり落とし、ぱくりぱくりと、嘴を開いては閉じ、蚯蚓でも呑むように白い手を喰っていく。 呆気にとられて見守る間に冗談のような速さで一本を平らげた鳥は、足りぬとばかりにまた幾度か羽ばたき大きくなり、数本まとめて呑み込み、くわえては呑み込みを繰り返し、白い手を駆逐すると障子に映る影までもが大きく口をひらいて、少女をひといきに呑んでしまった――。 はたと目をひらくと、三沢は布団に眠っており、頬に触れるふわふわと暖かいものは鳥の雛だった。 未明の薄明るい光のなか、満足げに眠る雛は、模様も鮮やかに羽の生え揃ったふくふくとした姿に変わっている。 一晩でこれほど育つ、わけはない。 『夢を、喰ったのか』 三沢の呟きに金茶の目がひらき、ちいちいと鳴きながら掛け布団の上に飛び上がってきた。ちょんと飛んでは羽根を震わせ、三沢の顎をつついて遊ぶ仕草は、鳥というより子猫じみている。 沖田は、名前をつけてくれと言っていたか。 鬼退治の源頼光――否、こいつが鬼怪だ、名前に負けるか。 人に憑く悪夢を喰うのなら。 『よりと、頼人でどうだ?』 問いかけると雛はぴたりと動きを止め、仔細ありげに三沢を見つめた。 金茶の目が瞬いたと見るや、雀の翼が広がりぱさりと空を撲つ。 瞬転、胸の上には、雛ではなく四、五歳の子供がぺたりと座り込んでいた。 『は……?』 愛らしい造作をした子のまるい瞳は金茶の色。背中には雀の翼が広がり、閉じて、これが最前までの雛であると三沢に教える。 三沢の凝視に対し、子供は不思議そうに首をかしげ、口をひらいて――ちい、と鳴いた。 それからのふたつきほど、三沢が悪夢を見るたびに頼人と名付けた鳥が飛んできて片端から喰ってしまう夜が続き、毎夜の悪夢は三日に一度、週に一度と数が減り、とうとう、見なくなった。 その頃には、子供は十歳ほどの見てくれに育ち、鳴き声よりもひとの言葉で喋るようになっていた。 『みさわたけあき、おなかすいた』 『……三沢さん、だろう』 『みさわさん、おなかすいた』 『人のメシは食えるのか?』 『くえる?』 首を傾げる永井に溜め息をつき、箸に乗せた白飯を差し出してやればおとなしく口をあけて咀嚼する。 飲み込み、口をあけて催促してくるのはやはり鳥じみていた。 『満足したか』 『うん』 羽繕いでもしているつもりなのか、三沢の頬や目元を唇でつついてくるのがくすぐったい。 『みさわさんのほうが、おいしい』 『食ってから言うな』 『あ』 顔をあげた永井が窓辺に駆け寄り、ぺたりと張り付いた。 『おきたさん』 『なに?』 並んで見下ろした道にはたしかに、沖田の姿――こちらを見上げ、手を振ってきた笑顔に、『預かり』の終わりを知った。 『こいつが喰うのは夢ではなく、瘴気ですよ。陰の気の凝りを喰らって育つ……孔雀や鳳凰の蛇喰いみたいなもんです』 お役に立ったでしょと得意気に、膝に乗せた永井の頭を撫でる沖田に、なぜだか苛立ちが湧いた。 永井も永井で、あれだけ三沢になついていたくせに『親』に会った途端にべったりだ。 『それで、そいつをどうするんだ』 『三沢さんのお陰でだいぶ大きくなったし、いい名前をもらって可愛い子になりましたからね。……色々と使いますよ』 『おい』 目を細めた笑みに不穏を覚えて声を低くすると、番犬と猟犬の代わりです、と笑われた。 三沢さんは瘴気に憑かれやすいから、時々は頼人を寄越しますね、と、頼んでもいない世話焼きの言葉通り、悪夢に魘されだす頃合いになると永井が訪ねてくる。 ただ、いつからか夢を喰うではなく、今しているように、三沢が引きずっている瘴気を直接喰うようになっていた。 十七、八ほどの姿になってからはどうにも強引に襲われている感が否めず、三沢の許可が無ければ喰えないように沖田の符で縛ってある。 それで、この哀願だ。 「三沢さん。ねえ、お願いだから食わせてくださいよ」 目を潤ませ、額や頬を尖らせた唇でつつく甘えた癖は見た目が大人になった今でも抜けていない。これ以上焦らすとこちらが妙な気分になりそうだと、三沢は軽く顎を引いた。 「……よし」 「やった!」 途端、喜色をあらわにした永井は、三沢の頬を両手で挟んできた。 「いただきます!」 元気に告げ、躊躇なく唇を重ねてくる。……いったい沖田はこいつをどう『育て』たのか。しかし、他のやり方に変えろと苦情を言えば、あやかしの子供相手に意識してるんですかなどとからかわれそうで業腹である。 微妙な心持ちでいるあいだにも、身体から、重く覆いかぶさっていたなにかが抜けていく感覚がある。 永井は喉を鳴らしては三沢の唇を食み、妖しげな手つきで首と頭の境をなで回してくるが、久々の甘露に歓んでいるだけで、他意はあるまい。恐らく。 「おいしい、三沢さんのがいちばん……」 瘴気を喰われる心地好さと、うっとりと囁いた永井の声の甘さがじわりと神経に沁みる。 細く締まった腰が揺れているのも見ないふりをして、三沢はかたく目を閉じた。 ……でないと、毒されてしまいそうだ。
12/12/18
【沖田さんとニヤニヤくんといっしょ】
夜の街を朧に映し出す瓦斯灯の風情も失われて早や数年。大通りには宵闇を駆逐しれくれようとばかりに立ち並ぶ電灯が、さざめき行き交う人をを絢爛と照らしている。 とはいえ一歩大通りを外れた途端に景色はうら寂れ、迷路の如く入り組む道を行く内に、闇の奥深くへと分け入っているのか誘い込まれているのか、それさえ判然とせぬ有様。 だが、沖田の数歩先、雀の紋をつけたぶらり提灯を手にした永井の足取りは軽く、灯は楽しげに揺れている。 彼は、まっとうな生き物であれば恐れをなす暗がりを却って心地よいと思う類のいきものだ。灯りを永井に任せた沖田は三つ揃いの洋装だが、永井は竹林に雀遊ぶ絵柄を染めた着流しの上に濃緑に笹葉の模様を散らしたインバネスを羽織り、かろかろと下駄を鳴らした暇人らしい格好だ。 未だ稚さの抜けきらぬふっくらとした頬に愛嬌のある顔立ちでは、遊び慣れた酔狂人というよりは、風狂に憧れて格好だけ真似てみた、粋人かぶれの物好きな学生としか見えないが、どの道、銘酒屋通り(私娼窟)なんかに行かせるわけではないのだから、沖田が愛で眺めて楽しむだけの話だ。 明日は詰め襟でも着せてやろうかなと考えるうちに、目指していた神社の参道が見えてきた。 街中にあり決して大きくはないが、ささやかながらも鎮守の森を備えた立派な社だ。 石段を上がりきったところ、狛犬の間には笑みを刻まれた能面――ではなく、愛想の良い笑顔を張り付けた宮司が、三つ巴の紋をつけた提灯を手に立っていた。 「こんばんは、お待ちしてましたよ」 二十代半ばと見える、やけにつるりとした顔をしている彼に、沖田は盛大に眉をしかめてみせた。 「仁谷。なんて格好してるんだよ」 「そっちも、人のことは言えないと思いますけど」 にやつきながら、ちぐはぐな沖田と永井を見比べる彼は三沢の部下だ。あの機関に身を置いている以上はまっとうな軍人とも呼びがたいが、少なくとも神主でないことだけは確かだ。 「あんたらみたいな怪しい連中と神社で逢い引きするのに軍服なんか着てられませんって。それに、神様に礼儀を払わにゃいかんでしょう」 笑顔を欠片も崩さず言い捨て、こっちです、と背を向けた仁谷に、ちょんちょんと跳ねるように足を速めた永井が並ぶ。 「いいやつ持ってきてくれた?」 「さぁなぁ。そこは、永井に嗅ぎ分けてもらわないと。とにかく、数は多いよ」 「そっか。期待しとく」 嬉しげな永井に、仁谷もお愛想でもなさそうな笑みを向ける……機関の人間で永井を知っているのは、三沢の他にはこいつとあとふたりだけだ。 ―― いや、もう一人。 機関の設立に関わった一藤大佐の腰巾着がいる。あれは永井に関しては見てみぬ振りをしている、賢い男だ。邪魔になれば切り捨てる、そうでないうちは泳がせておくつもりだろう。 社の後ろに広がる墨を塗り込めたような闇を抱えた森を眇めた目で見遣り、沖田は薄い唇の端を引き上げた。 「お務めご苦労様」 呟きに返答はなく、吹き付ける風に葉擦れだけが鳴った。
格子戸を開き、小さな社のなかに入ると、床に置かれた長持ちを見て永井が目を輝かせた。 「開けていい?」 問われた仁谷は、蓋に手をかけた永井の頭を軽く撫でて、「どうぞ」と促す。 いそいそと開かれた箱の中に入っているのは、古びた刀、人形、着物や櫛、手鏡といった雑多な品だ。 蓋の内側、箱の中にまでびっしりと貼られた札を見れば、どれも曰くつきのものだろうと想像はつくが――。 「これは外れ」 掴み出した根付けを、永井はぽいと脇に放った。 「心中の男が持ってた品で、毎晩泣き声が聞こえるって言われたんだけどな」 「かつがれたんだろ。なにも憑いてないよ」 「そりゃ残念。拵えは良いから、永井にやろうか?」 「いらない」 そっけなく応じて、永井は、これは当たり、これは外れと品を選り分けていく。 その表情は真剣そのもので、集中しているのが見てとれた。 「あーあ、振られた」 たいして残念でもなさそうに言い、仁谷は隅に置いていた風呂敷包みを持ち上げた。 「で、沖田さんにはこっち。持ち出すの苦労したんですから、感謝してくださいよ」 「それだけどな。供は勘づいてるぞ。外に来てる」 「嘘でしょ?」 張り付いて取れないような笑いを引っ込め、細い目を丸くする仁谷に、沖田は社の外を指した。 「用が済んだら、ちゃんと戻しとけよ。売り払ったりしたら三沢さんに皮を剥がれるかもしれんぜ」 曰くつきの古物を安く買い叩いては、永井に『厄落とし』させて高く売り飛ばす『副業』が高じて、沖田に言われるまま機関の倉庫からあれこれ持ち出している曲者は、忠言に渋い顔をした。 「よしてくださいよ。『軍用品』の横流しなんておっかないことできるわけないでしょ。いっつもちゃんと元通りにしてますって」 「元はといえば、俺の用向きだからな。お咎めがあったら取り成してやるよ」 「はぁ、お願いしますよ。三沢少佐こわいんだもの」 「さて……」 永井はどうしているかと見れば、手に取った長唄三味線から黒い小蛇が逃げ出しかけたのを目にも止まらぬ素早さで捕まえて口に放りこんだところ。 可哀想に、憑喪神になりかけていた器物も今夜を限りに永井のおやつだ。 文字通りに憑き物を落とされた三味線は、『外れ』の山に振り分けられ、永井は底の見えてきた長持ちのなかにまだ食い物は残っていないかと熱心に探している。 あの様子では腹一杯になることも無かろうと見当をつけて、風呂敷包みを解く。 「ここでやるんですか」 「供が見張ってるんじゃ、俺が持ち帰るわけにもいかないだろ。あいつは数が合ってりゃ納得するんだから、ここで済ませてお前に任せるよ」 「独り者には目の毒なんですけどねえ」 にやにやと笑う男に、そっちの心配かと呆れたものの取り合わず、沖田は箱から出したものを両手で持ち上げた。 「ふぅん……こいつはまた、大物でいらっしゃる」 「そうなんですか? 自分にゃただの石っころにしか見えませんね」 「お前みたいな図太いやつが、国津機関にいるのが不思議だよ」 「見ない、聞かない、憑かれない。霊障(さわり)に猫またぎされる奴がいなきゃ、あぶねえものを運べませんから。適材適所ですよ」 けろりとしている仁谷が石っころ呼ばわりしたものは、放射状に黒い筋を浮かべた――蜘蛛のような紋様の入った丸い石だ。 ある家で神として祀られていたそれは、もとを辿れば千年の昔に朝敵とされ、その家の先祖に滅ぼされた『まつろわぬ民』の呪詛が凝ったもの。血筋への呪いを鎮めるために祭祀を受ける、祟り神のたぐいだ。 強烈な仇討ちの呪詛は千年の祭祀に捻くれて、他の悪霊を寄せない守護の力に反転し、とうとう機関に目をつけられた。 しかし、血筋への執着が強すぎてどうにもできず、捨て置かれていた始末。 呪う者呪われる者、殺し合い果ての負の業が澱み渦巻く強さ重さに、心が浮き立つ。 「いい具合に熟れた因果だ。呪う血筋じゃないのは悪いが……なに、同じ国の人間なんだ、存分に憑けばいい」 石を撫で、うっそりと囁く沖田はどんな表情をしていたものか、仁谷はいささか顔色を悪くしてそっと目を背けた。 額を冷たい石の表面に当て、心眼をもって縺れ絡む因果の糸を手繰る。幾千幾万の黒蜘蛛の手足が犇めき蠢く、蔑ろにされ地に堕ちた民の悲憤がのたうつ沼の底の底の底、相対する魂を引き裂き押し潰そうと爪を立てる――『神』の根源。 ああ、捕まえた。 成る程、沖田は術者といえど卑小な人間に過ぎない。徳を積み法力を得た高僧に非ず、冥府を巡り鬼怪を従える仙に非ず、魔と人の狭間に生を受けた生まれついての呪詛の一端ですらない。 しかし。 ただ潜り辿り着いただけ、か弱く小さな沖田の魂を引きちぎろうとした蜘蛛の神は、自身を捕らえた強靭な鎖の正体に気付けたかどうか――膨大な『因果』を束ねあわせた綴り糸、沖田の引き受けてきた数多の呪いのかたちに、たかだかひとつの血筋に恋着していた神が拮抗できよう筈もない。 もがく蜘蛛は、あっという間に因果の羅列に綴られ、縒り糸の一本に封じられた。 「と……さすがに千年ぶんは重い、な」 必要なのは神の因果だけだ。 そこに纏わる無数の怨嗟ととぐろを巻く呪詛はひとの身には余る。 「永井、食事だ……おいで」 蜘蛛がひしめく黒雲にまとわりつかれる圧迫のなか、平常を装って手招けば、可愛い雀はすぐに飛んでくる。 床に座した沖田に抱き着く体を受け止め、伸び上がるように合わせてきた唇を吸うと、「これだからなぁ」と仁谷のぼやきが遠くで聞こえた。 別段、瘴気を食わせるのに粘膜での接触は必要ない。永井は触れた相手の陰の気を好きなだけ獲ることができる。 これは、沖田が教えた食事の作法だ。 従順に開いた柔らかな唇から、待ちかねたとばかりに伸ばされる赤い舌を絡めて吸い上げ、互いの唾液を混ぜ合わせ貪り合う。 口付けの心地好さと、身裡にどろりと溜まる瘴気が抜けていく喪失の快楽に、永井を抱く腕に知らず力が篭った。 「は、ぁ、んぅ……」 甘みを帯びた永井の吐息も、身体も熱い。あやかしである彼は、食らった陰気を消化しきるまで、淡い快楽に包まれて酔ったような状態になる――その発散のさせかたまでは教えていないため、姿に反して未だ幼い彼は体内の疼きをどうにもできず、沖田の接吻を夢中で味わいながら身体を擦り寄せ甘えることしかできずにいる。 実に、愛らしいものだ。 極上の『食事』を与えてくれる三沢にも同じ事をしているに違いないが、良識に雁字絡めになり、抑制の効きすぎている彼は永井に不埒を働くこともできずひたすらに耐えているのだろう。 三沢のストイシズムには全幅の信頼を置く沖田だが、三沢も案外と情の深い男であることを忘れたわけではない。 永井が、沖田以外には身体を開くことのない確証を持てるほど我慢強くなったらもう少し楽しみかたを教えてやりたいが――それまでは、可愛い要求を堪能するに留めておきたい。 「美味いか?」 「ん……沖田さん、もっと欲しいです……まだ残ってるの、俺にちょうだい」 ちゅっちゅっと、本性の鳴き声を思わせる音を立てて沖田の頬と唇を啄み、さらなる口付けをねだる永井の髪を優しく撫でてやり、 「たくさん食べて、大きくおなり」 囁いた沖田の声は、我ながら甘ったるかった。
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(そんな悠長にしてたら一樹とかスコップくんに横から食われちゃう危険性。) (……対策は立ててるよたぶん。) (いっぺんに消化しきれない大物じゃないと酔っ払わないから、基本的には放置で大丈夫。) (ニヤニヤくんと供さんが可哀想劇場。)
13/01/26
【おとなになあれ】
寝台の枕元、目を閉じてうずくまる、大人の拳ふたつぶんほどの大きさの鳥。 羽の色は雀そっくりだが、翼には大きな目玉の模様がある――あやかしの類だ。 何があったのか、三沢の目の前に落ちてきたのは昨日の夕刻。 『永井……?』 尋ねた三沢を弱々しく見上げ、ちい、とひと啼き。 拾い上げた掌で目を閉じ、それからひたすら眠り続けている。 呼吸をしているのを確かめ、三沢は艶やかな光沢のある羽をそろりと撫でた。 「永井」 呼び掛けに応えず瞼をかたく閉じているのは、よほど弱っているのだろうか。 鳥の姿を見るのはずいぶんと久しぶりだ。このまま目を覚まさず死んでしまうのかと寂寥に似た感情が微かに動いた。あやかしであっても、雛の頃から関わりのあったいきものだ。存外に情の深い三沢が、何も感じないわけはない。 飼い主である沖田には一向に連絡がつかない。……もともと神出鬼没の男だ、永井がここにいるのだからそのうちひょいと現れるだろうと諦めた。 「ずっと、鳥でいるつもりか」 昔、永井が雛だった時は、名前を呼ぶと人型になった。 躊躇いはわずか、三沢は低めた声で「頼人」と呼んだ。 鳥の全身がざわりと毛羽立ち、あっと思う間もなく輪郭がぼやけ膨らみ――背中に雀の翼をつけた青年の姿に変わる。 「は……」 すやすやと健康的な寝息を立てる、死にそうもない顔色に嘆声じみた息を吐く。しかし、一糸纏わぬ素裸であるのはいただけないと、三沢の眉根が歪んだ。 コレを自分の寝床に転がしておくのは些かならず体裁が悪い。元気そうなのだし毛布でも被せて床に転がしておくかと肩に手をかけたところで、金茶の瞳がぱちりと開いた。 ちっ、と雀の鳴き声を立ててから幾度か瞬き、 「みさわさん」 眠そうな、甘くあどけない笑みを浮かべ、幼子のように両腕を伸ばしてきた永井を、放り出せなくなる。 ぎゅうと抱きつかれ、三沢は羽を避けて背中を叩いてやった。 「目が覚めたんなら、服を着て出ていけ」 「お腹すいた……」 「なに?」 「ご飯ください、三沢さん」 三沢の首筋に頬擦りし、ちゅっちゅっと唇でついばむ甘えかたはいつものやり口だが、時と場合と装いが重要だ。 「駄目だ、永井」 「くださいよぉ、お腹すいて死にそうです」 嘴でかじってくる鳥よろしく歯を立てられて、ぞわりと身の裡に込み上げてくるものを即座に殺す。 「溜まってますよね、わかるんです……美味しそうな、濃いにおいがしてる」 永井の掌が三沢を撫で回しているせいで、純粋な食欲をあらわす永井の言葉が妙にいかがわしく響く。 「頼人」 「ぅあっ」 拒絶を強く表すために、名付けた下の名で呼んだとたん、永井がびくりと体を震わせた。 「どうした」 「今の……いまの、もっかい呼んで、三沢さん」 はぁ、と熱い息を吐いて全身を擦り付けてくる永井にはもう嫌な予感しかしない。 「永井、離れろ」 「頼人って呼んでくれなきゃやです」 「ふざけるな」 「……三沢さんはふざけて名前をくれたんですか?」 こんな時だけ子供ぶる、あやかしの小賢しさに口角をさげる。 ―― こいつは、なりは大きくても子供だ。 警戒するのも馬鹿馬鹿しいと、三沢は小さく息を吸った。 「……頼人」 「ん、もっと……」 「頼人、頼人」 息を浅くしてしがみついてくる永井の背で、雀の翼が興奮したように開ききり、ぴんと伸びた羽の先をぶるぶると震わせている――と見るや、ひと打ち、ふた打ち、空気を撲った翼がするすると伸びて、永井を包むほどに大きく広がった。 「お前、その羽は……」 「え? ……あ!」 三沢に指摘され、振り向いた永井も目を丸くする。 「……大人になったんだ、俺」 「おとな?」 「三沢さん、俺もう大人だから!」 喜色満面、ふたたび強く抱き着いてきた永井に思い切り口付けられ、動揺した隙に押し倒される。 「大人はね……許可いらないんです」 いただきますね、と、笑った顔はかわいらしい童顔ながらも幾らか精悍さを加えたような。 ふざけるな沖田こいつなんとかしろ。 呼吸も瘴気も強引に奪われながら、三沢は元部下をひたすら罵倒していた。
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