『病硬膏にいたる沖田さん』の続き。 とてもアホい、やまなしおちなしいみなし。 要:行間を読むスキル駆使。
先にあやまります。 ごめん!!
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課業を終え、騒がしい食堂で夕飯を掻き込み、日課の走り込みと筋トレを終えて風呂に入り、部屋に戻る。 まったくいつも通り。 ここからもいつも通りなら休憩室に行くなり、四人部屋にひとつきりのテレビをぼうっと眺めるなりする頃合いだが、今日の永井は一味違う。 ベッドにあぐらをかくと、永井は枕の上に鎮座していたものをうやうやしく持ち上げた。 駐屯地の花壇に植わっていたソレの、人の頭ほどもありそうなひときわ大きいやつを貰い受け、かんかん照りの日を選んではベランダにせっせと干して半月。 ふっくらと膨らんだ殻はほどよく乾いてつやつやと光り、惚れ惚れするようなよい具合である。 いよいよ、と一粒をつまみ取ったところで、部屋のドアがノックされた。 「んだよ……」 誰に用だか知らないがどうせたいした話なわけがない。入り口に一番近い場所にいる奴が応対すればいい。 「永井、いるかー?」 放っておこうと決めた永井の心は、呼びかけの「な」まで聞いたところで真逆の方向に舵を切り、お宝を抱え込んだままベッドを飛び出してドアを開け放つまでおおよそ六秒。 「……忠犬ナガイ」 同僚の呆れた評価もなんのその、訪問者である沖田に向けた永井の表情は、一瞬前の不服顔が嘘のような満面の笑みであった。 「なんすか、沖田さん!」 「これ渡しに来たん、だけど」 沖田にしては歯切れの悪い物言いをしながら差し出されたDVDのジャケットを見て、永井はわあ、と歓声をあげた。 昼間、見たいと話していたアクション映画だ。ちゃんと覚えていて、わざわざ持ってきてくれたのかと思うと感謝と敬愛の気持ちがふくれあがる。 「ありがとうございます、すぐ見ます!」 左手にお宝、右手に沖田が貸してくれたDVD。幸せふたつで笑顔の明度もいつもの五割増しだ。 「ああうん……それはいいんだけどさ、永井」 沖田は、永井が抱えたままのお宝を指して、「それ、なんなんだ?」としごくまっとうな疑問をぶつけてきた。 形は中心部がふくらんだ平たい円、直径は三十センチ弱ほど、枯れた緑色の外縁の内側に、黒白の粒がぎっしりと詰まった物体。 永井が出てきた瞬間から、沖田の視線はそれに釘付けなのだ。 「ひまわりです」 なにを当たり前のことを訊いているのかと、永井はくりっとした目を瞬かせて答えた。正確には、花が終わったひまわりの「頭」だ。 「植えるのか?」 「食べます」 「……種を?」 「沖田さんもどうですか?」 「いや、俺はいいよ」 にこにこと、短く切られたひまわりの茎を掴んで差し出す永井に、沖田は優しい微笑で遠慮を見せた。 その唇の端が微妙にひきつり、鍛えた腹筋のあたりもかすかに震えていたのだが、上機嫌の永井はそれに気づいていない。 「酒のつまみにあったよな……そういえば」 「あれは油で炒って塩で味付けしてあったりして、余計なことしてるんですよ。ひまわりは、天日に干したのを殻を割って食うのが一番です!」 「そうか。永井はひまわりが好きなんだな」 「はい、大好きです!」 力強く応じてから、永井は「あ」と思いついた言葉を付け足した。 「種だけじゃなくて、花も好きですよ。まっすぐ伸びるし、ライオンみたいでかっこいいですから」 「そっ、か……」 沖田は数度、深呼吸をして―――ついに耐えきれず、永井をひまわりの首級ごと抱き締めた。 「なあ!?」 「永井ぃぃぃ、お前は森のリスなの小鳥さんなのなんなのやっぱり天使なの、あんまり可愛いことばっかやってると悪いおじさんにさらわれるんだからなー!」 なにこれ。 誰これ。 決してノリは悪くない、むしろ良いほうだが、周りがどれだけ馬鹿騒ぎしていようが、どこか一歩引いたところで飄々としているような冷静な部分を保ち、周りのことを良く見ていて、締めるところはきちんと締める、余裕ある大人の男。 それが永井が憧れてやまない沖田である。酒も入っていないのに、こともあろうに営内の廊下で永井を抱きすくめ、興奮気味にわけのわからないことを言い立てつつ永井の頭にぐりぐりと頬擦りをしてくるような変質者ではない。 永井が仲間とふざけていたら気配を殺してヘッドロックをかけてきたり(心底驚いた)、褒めるついでに肩を叩いたり頭を撫でたり、普段からスキンシップの多い人ではあるし、酔っ払って永井を膝の上に乗せたこともあるが(しかも「はい、あーん」をされた)、これは未体験だ。 永井同様の風呂上がりでラフな格好をしている沖田の、見た目よりずっとがっしりした胸板に抱き込まれるのがなんだか心地好いとか、石鹸の香りと沖田の体臭が混ざっているのか、吸い込むと頭の芯がふわふわしてくるいい香りがするとか、頭で考えるより先に五感に伝わる現実が、永井の思考を停止させた。 「お、沖田さ……ん?」 「可愛いな! ほんっと可愛いな永井!」 ぎゅうぎゅうと力任せに部下を抱き締め、感極まった頬擦りを繰り返す合間に、こめかみのあたりにちゅっとやけに可愛い音が響く。 ――― いまのなに。 追究しようにも、抱え込まれてもみくちゃにされているのではどうしようもない。 「うううぁ、駄目だもう駄目だ、永井が可愛すぎて世界が終わる、いやむしろ始まってる」 意味不明の呟きが怖い。どさくさまぎれに腰のあたりを撫で回されて、むずむずするのがまた具合が悪い。 テンションの壊れきった沖田の狼藉は、ぱしんと小気味良い打撃音によって制止された。 「廊下で発狂するんじゃない。永井が固まってるぞ」 冷静な低音は、首に白タオルを引っ掛けたジャージ姿が体操のお兄さんを彷彿とさせる供のものだ。彼が手にしている雑誌で沖田の後頭部をひっぱたいたのが先程の打撃音の正体であるらしい。 「いってえな、俺の脳細胞を破壊する気か」 供に抗議する沖田は、先程までのフィーバー状態が嘘のように平常に戻っている……が、手のひらは永井の肩のあたりをさわさわとさまよっていた。 「暑さで溶けてるだろ。……大丈夫か、永井」 いまだ永井手を離さない沖田の襟首を猫の子でも吊るすように掴んで引き離した長身に、永井は目を丸くしてこくこくと頷いた。胸にはしっかとひまわりとDVDを抱えた、嵐に巻き込まれた小動物じみた風情を目の当たりにした沖田がふたたび「くっ」と呻いて壁に両手をつき、深呼吸する。 かと思うと、額を壁にぶつけて小刻みに震えだした。実に異様である。 永井は沖田の奇行に軽く引きながらも、供にまともな返事をせねばと心づいて背筋を伸ばした。 「自分は問題ありません。けど……沖田二曹が、その……?」 なにがなんだか解らず、おろおろと沖田と供を見比べていると、供は深い息を吐き、ひまわりを指した。 「これ以上、沖田をイカれさせたくなかったら、ソレを置いてこい」 「了……」 なかば存在を忘れていた同室の者達の、気まずそうな、不憫がっているような生暖かい視線を受けつつ、荷物をひとまずベッドの上に放って取って返すと、難しい顔で腕組みをした供とふたたび叩かれたのか頭をさすりつつ、壁際に正座する沖田がいた。 ――― どういう状況だよ。 沖田は、反応に困って立ち尽くす永井を見るやはっとした表情になり、正座の姿勢のまま床に手をついて頭を下げた。ジャパニーズ最上級謝罪スタイル、すなわち土下座だ。 「すまん、永井! 俺はとんでもないことを……!」 「存分に踏んでいいぞ永井。なんなら三沢三佐を呼んでヤキ入れしてもいい」 「三佐はいらないです!」 供の後押しに、反射的に断りを入れる。いま、この駐屯地で苦手ナンバーワンの地位に輝く三沢岳明三佐を呼ぶなんて、むしろ永井が土下座してでも阻止したい。 「お前の気が済むようにしてくれ永井。遠慮は抜きだ、俺は甘んじて受ける!」 ――― わあ、男らしい沖田さんかっこいい。 真剣な表情にうっかり胸を高鳴らせかけ、永井は「ええと」と額を押さえた。 「よくわかんないんすけど、さっきのことなら、別に謝らなくていいですよ」 びっくりはしたが、腹を立ててはいない。たかが先輩にハグされて可愛い呼ばわりされた程度、日本男児のプライドに傷がつくようなものではない……相手が沖田でなければ、殴り飛ばすところだが。 「気持ち悪かったろ?」 「いや……気持ち良かったです」 ほどよい圧搾感は、柔術の訓練で上級者に締め落とされる寸前の感覚に似ていた気がする。安らかに永眠しそうな危険な気持ちよさが、確かにあった。 ――― あと、いいにおいしたし。 悲しげな沖田を見るにしのびなく正直に告げると、供と、背後で成り行きを見守っている同室の連中が同時に吹き出した。 「なっ、な、な、永井!」 「あ?」 後ろの声に振り向くと、むくつけき男たちが蒼白になって、こちらをさす指を震わせている。 「お前やっぱりそっちのケが」 「バカ、沖田にエサをやるな! 取って食われるぞ!」 「正気になれ永井、その領域には踏み込むな!」 「はあ? どこに踏み込むっていうんだよ。それに、沖田さんはひまわりは食わないってよ」 ずれきった永井の答えに頭を抱える者あり、「いや、このまま天然で逃げ切れば……!」と唸りだす者あり、供はタオルを引きちぎらんばかりに握りしめ、首を横に振った。口の中で魔除けの呪文のように「イチさん俺は違います絶対違います」と唱えているのは、精神に強い衝撃を受けているようだがいったい何が問題だったのか、永井にはわからない。 供だけでなく後輩にもえらい言われようをして、沖田が気を悪くしてはいないかとそちらのほうが気にかかる。 「うお!?」 様子を見ようと振り向き、二十センチほどの近距離にあった沖田の朗らかな笑顔に驚いて跳ねた永井の肩を、沖田の両手ががっしりと掴んだ。 「なーがい」 快活さの底にいわく言いがたい、破裂寸前の風船じみた圧迫を漂わせた呼び掛けに、身動きが取れなくなる。 「お、沖田さん……怒ってるんですか」 「いや? お前を抱えて駐屯地三周できるくらいには幸せだよ」 「そ、そうですか」 なぜだろう、俵担ぎではなくお姫様だっこの図が脳裏に浮かぶ。 「ちょっと話したいことがあるんだけどな、いまから俺の」 「俺の部屋でもあるぞ沖田」 「供くんはここにご厄介になりなさいよ」 沖田が親指で指した永井の部屋の住人たちがいっせいに首を横にふる。 ――― 永井を助けて!っていうか、予想通りの展開になったときに磨り減りまくる俺達の精神を助けてください! かわいい後輩たちの無言の懇願に、供はごくりと唾をのみ、沖田に呼びかけた。 「……わきまえてるんだよな?」 「もちろん」 「永井、お前はもう大人だ。相手が先輩でも、嫌なことは嫌って言えるよな。なにかあったら、俺に相談してくれていいから」 「は、はあ……ありがとうございます?」 やたらと爽やかかつ不穏な笑顔の沖田から目をそらし、悲壮な表情で励ましともつかないことを言う供に、永井はちょこんと会釈をした。 「じゃ、行くぞ永井」 「え? あ、了解……?」 上機嫌の沖田に引っ張られていく永井と入れ違いに、供がふらりと四人部屋に入る。 「すまない皆……俺にはこれが限界だ、あとは永井を信じろ」 「おトモさん!」 「供二曹ぉぉ、自分らは無力っす……!」 うおおお、と雄叫びをあげながら意味不明の愁嘆場を演じる男集団を背に廊下を歩きながら、永井は、沖田さんに手を握られてるとなんかわくわくするなあ、などと非常にのんきなことを考えていたのだった。
早朝、部屋に戻ってきた永井が、ひまわりの種をかじってはなぜか赤面して転げ回り、転げ回っては種をかじり、うわああ、だとか、ひいい、だとか奇声をあげて枕に顔を埋めて足をバタバタと動かすという、昨夜の沖田なみの奇行に及ぶのを目の当たりにしたルームメイト達は、色々なことを諦めたという。
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