<ここまでのあらすじ>

 遠い昔に絶滅したはずの“人間”が空から落ちてきて、恐ろしい武器で無辜の民を虐殺する―――。
 臆病な子供の悪夢が形になったような現実は、闇人達の穏やかな暮らしを一変させた。
 日中に出歩く者は数を減らし、獣を捕えるための道具を手にした男達が、不安げな家族に見送られて警邏に出かける光景が、そこかしこで見られるようになった。
 オキタもそれは例外ではない。
 家族は持っていないが、集落を守る猟師として幾度となく害獣を仕留めてきた腕を買われ、【怪物狩り】に加わることになった。
 人間は、海岸伝いに移動しながら出会った闇人を、幼い子供であろうと無力な女であろうと、誰彼となく皆殺しにし続けている。
 ……辛くも虐殺から逃れ得た者の証言と、荒された現場の状況からはっきりしているのは、人間がたった一人であること、餓えや渇きと無縁ではないこと。
 また、飛び道具を使っていたのは最初の内だけで、今は刃物や棒を使って攻撃を仕掛けてくるということ。単独行動を取る者が重点的に狙われる傾向にあるらしいこともわかっている。


 数日、姿を現していなかった人間が、食糧庫に現れたところを多勢に囲まれ、手傷を負って逃亡したと聞いたのは昨夜だった。現場は、オキタの暮らす集落からもさほど離れていない所だ。
 人間の回復力がどれほどのものかはわからないが、捕え、とどめを刺すならば弱っているうちが機会というものだ。
 その夜のうちにかき集められるだけの数の男が集められ、夜明けを待って怪物狩りに出立することになった。
 この地域の隊長であるミサワの指示で海岸に集合した男達が、黒い波が一斉にざわめくように動き出す。
「おやおや……」
 意気軒昂であるはずの討伐隊の誰もかれもが、目の底に怯えた色を浮かべていることに、オキタは苦笑を隠さなかった。
 この平和な地域では、ほとんどが狩りの経験もない素人であるために、下手をすると何かの物音にも怯えた奴が恐慌状態に陥り、同士討ちが起きかねない。
 手にしているのが獣を取り押さえるための鉤棒や鎖では、組みあったところでそうたいした被害にはならないだろうが、早く安心させてやったほうが良さそうだ。
 猟銃を抱え直すと、オキタはミサワに決められた班から離れ、崖下に続く細い道へと足を向けた。
「どこに行く」
 目敏く見咎め、鋭い声を投げかけてきたミサワに向けて、肩をすくめる。
「そりゃあ、人間を捜しに行くんですよ。相手はもう何週間も逃げ続け、殺し続けてるんだ。素人が相手だといっても、バカじゃない……あんなに固まって動いてたら、さっさと逃げろって大声で言ってるようなもんでしょうが」
「相手はバケモノだ。単独で当たって手に負える相手だとも思えん。俺に同行しろ」
 自警団の長を務めるだけあって、命じることに慣れたミサワの口調に、オキタは唇の端を持ち上げた。
「俺は、ここで人間に遭って仕留められるのはミサワさんか俺だけだと思いますけどね。どいつもこいつも及び腰だ。昨夜、みすみす取り逃がしたのだって、そのせいでしょう……なら、あいつらを囮役にして、逃げてきた人間を俺かミサワさんが捕まえるべきじゃないかな。二人が一緒にいるより、手分けしたほうが効率がいいでしょう」
 それに、と、オキタは空を見上げた。
「この季節じゃ、月が出るまであまり時間がない。捜索範囲は広げておきたいんです。誰かの死体を海に還すだけの仕事を増やすのはごめんですからね」
 人間が現れるのは大概、月光で闇人の視界が狭くなる夜間だ。姿を現さなかった数日は、新月を挟んだ、夜の光が乏しい期間だった。
 日中は用心深く身を潜め、決して姿を現すことがない……怪我をしているなら、より警戒しているだろう。
「……手に負えないと思ったら、すぐに逃げろ」
 険しい表情で腕を組んでいたミサワは、オキタの言い分にも一理あると判断したのか、不承不承のていで頷いた。
「了解です。それじゃあ、ミサワさんは……」
「山の方を捜す。お前は岩場に行くんだろう」
 人間の身体能力は、闇人のそれと大差ない。
 体力を大きく消耗せずに集落から出ようと思えば、道は限られている。人間が向かうとしたら今までと同様の海岸伝いか、山側かどちらかだ。
 オキタは猟銃を掲げて笑い、「じゃ、また後で」と、のんびりと道を下っていった。


 複雑に入り組んだ岩場には、波の浸食で削られ、人間がじゅうぶんに姿を隠せそる空洞になった岩屋が幾つも存在している。
 捜索隊が探しているのは集落に近い側の海岸だが、オキタはそこから大分離れた、波の荒い入り江に向かっていた。
 岩の下に隠れた海流が渦を巻いて船の制御を邪魔するため、漁師もあまり近付かない場所だ。
――― 幾度か、犠牲者をここに還してやった。
 死んだ闇人は赤い海の底に運ばれていき、暗く静かな座所で待つお母さんの腕に迎えられる。
 そこで苦しみや痛みのない長い眠りを与えられ、新しい殻を持って生まれ直すのだ。
 オキタを海から迎え、育ててくれた優しい夫婦も、殻の寿命を終えてここから旅立っていった。
 そんな場所で、人間を殺すのはあまり気が進まないが―――。
 ぼんやりと思考を遊ばせていた沖田の視界に、ふと違和感が生じた。
 崖上からの視線を完全に遮る岩屋の端に引っかかるように、黒いものが波間に浮き沈みしている。銃を抱え、足音を忍ばせて近付くと、それは、使わない船を覆うための、油を引いた防水布だった。
 何処からか流されてきたのか……それとも、誰かが身を隠すために持ち出したのか。
 布を水面に戻し、洞窟状になった岩屋の内側に踏み込む。太陽の光が届かずひんやりと湿った暗がりの奥に、薄汚れた塊が転がっていた……ちょうど、闇人の大人ほどの大きさだ。
 銃を構え、さらに近付くと、ソレの輪郭がはっきりしてくる。
 岩棚に広げた布の上、手足を丸めて横たわる―――まるで闇人のような姿のばけものが、そこにいた。
(思ったよりも、小さいな……)
 ミサワに比べれば、一回りほども小柄な体躯をしている。オキタでも、簡単に押さえこめそうだ。
 こちらに背を向けているため顔は判然としないが、浅い息を繰り返しているのは、やはり弱っているのだろうか。よく見れば、腕や足に裂いた布を巻き、負傷を庇っているような形跡がある。
 ゆっくりと、足裏を岩場に滑らせるように近付く。生け捕りにして、仲間が存在するのか、何処から来たのかを追及するか……手向かうようなら、一撃で仕留めなければならない。
「う……」
 低い呻き声に、オキタの足が止まった。
 ばけものが身を震わせ、仰向けに転がる。
――― 苦しげに眉をひそめ、固く目を閉じた顔が、はっきりと見えた。
 闇人より濃い色の肌は埃で汚れ、垢じみてはいるが、想像していたよりずっと幼い、少年のような顔立ちだ。無抵抗の民を鏖殺した怪物にはとうてい見えない。
 覆うもののない前髪が湿った額に張り付いているのがやけに哀れな様子で、オキタの胸中に、場違いな同情心が湧いた。
 これは、たった一人で異種族の中に迷い込み、追われ、逃げて―――怯え惑い、疲れ切った子供ではないのか?
(いや……こいつは怪物だ。無力に見えても、人間なんだ)
 自分に言い聞かせるオキタの靴底が石くれを踏んで濁った音を立てたのと、ばけものの目が開くのは同時だった。
『――ッ!!』
 オキタには理解できない唸り声をあげながら、ばけものが身を転がして跳ね起きる。狙いも定められないまま、反射的に放った弾丸は岩場を撃ち、次を撃つ間を与えず、姿勢を低くし飛びかかってきたばけものがオキタを固い岩場に突き倒した。振り上げられた右腕の、その先に握られた白い刃先がオキタの目を眩ませる。
 否、オキタを圧倒したのは、凄まじいばかりの憎悪と殺意だった。
 穏やかな闇人の世界では決して向けられることのない強い感情が、ばけものの全身から発散され、オキタの魂の芯を刺し貫く錯覚。ばけものの本性らしいぎらついた目と醜く歪んだ口元には、眠っていた時のあどけなさは何処にもない。
(しくじった―――)
 咄嗟に掌を突きだしたものの、そんなもので防げるわけがない。刃が袖を裂き、のけぞった表紙に、オキタの顔を隠していた布がずれる。
 びくんと、ばけものが震えた。
 覚悟した衝撃は、いつまでも来ない。
 ばけものは、刃をかざした姿勢で、凍りついていた。
 目を見開き、せわしない息をしながら、オキタの顔を凝視している。
 うすく開いた唇がわななき、幾つかのことばを零した。
『―――……おきたさん……―――……』
「なに……?」
 自分の名前らしき単語を聞き取り、オキタは唖然と瞬いた。このばけものは、オキタを知っているとでもいうのか。
 オキタの腹の上に乗りあげたまま、小柄な身体の震えが酷くなる。
 歪んだ表情は、もう、兇悪なものではなく……途方にくれた迷子の泣き顔に変わっていた。
『―――……! ―――……!!』
 かすれた声で何事かを叫びながら、ばけものが嗚咽する。その手から武器が滑り落ち、岩場で固い音を立てた。
 両の拳を顔に押し当てて、泣き続ける様子は弱々しく、哀れだった。
「おまえ、なんなんだ……?」
 密着した身体からはじわじわと高い熱が伝わってくる。闇人の持ち得ない熱が、この得体のしれない生き物が『異質』なのだと告げていた。
 どう対処したものか、判断がつかないまま見つめるうちに、ばけものの手が力なく下げられた。
『……おきたさん』
 涙にあらわれたばけものの目はきらきらと生きた光を宿していて、オキタの心臓を竦ませた。
 夜の空を明るく染める、月のようだ。
『おきたさん』
 涙をこぼしながら、ふわりと笑った表情のあどけなさが、潰えかけていた戦意をさらに削ぐ。
 ゆるりと伸ばされた汚れた指が、沖田の頬に触れる。その熱さに驚いた。
 そして、ばけものは……ばけもののような人間は目を閉じて全身を脱力させ、くたりと沖田に倒れかかった。
「……っ、おい!」
 のしかかる身体を押すと、あっさりと岩場に転がり落ちる。
 人間の生態など知らないが、荒い呼吸を繰り返す様子が尋常ではないのはわかる―――肌にびっしりと浮き上がる湿りが水滴になり、転がり落ちた。
「死にかけてる、のか」
 わざわざ撃たなくても、こいつはこのまま死ぬ。
 その予感は、確信としてオキタの胸に落ちた。
 それが良い。
 怪物は消えて、世界に平和が戻る……。
――― おきたさん。
 はぐれた迷子がようやく、帰る道を見つけたような、安堵に満ちたかぼそい囁き。
 殺されかけたというのに、あまりに頼りなく見える身体が、オキタの逡巡を大きくする。
(こいつにも、『心』があるかもしれないなんて……思っちまうよな、やっぱり)
 ひとつ息をついて、オキタは横たわる人間に手を伸ばした。敷いていた布で体を覆い、肩に担ぎあげる。
 その軽さと、さきほどよりも高いような熱に、また驚きを覚えた。
「こんなのが……なぁ……」
 ミサワに引き渡せばきっと、こいつはあっさりと始末されるだろう。
「……仲間の情報も、聞いてないし……な」
 言い訳めいた独り言をこぼしてから、オキタは、捜索隊の居る方角を避けて歩き出した。 



 いったん、人間をかくまうことを決めてしまうと、オキタの行動は早かった。
 『荷物』を人目につかないように、集落のはずれにあるオキタの塒に運び込むのはさほど苦労しなかった。
 集落に残る皆が人間の影に怯えて屋内に引きこもっているのと、本来ならば警戒役にあたる自警団が見当はずれの方角を捜しているのだ……ミサワを誤魔化すのは難しいだろうが、なに、空振りだったと言ってやればいい。
 ……駄目だったら、死体を持っていけば良いのだし。
「俺たちと同じ……で、いいのかな」
 医者ではないが、職業柄、怪我の対処にはそれなりの心得がある。
 衣服を剥ぎ取り、やはり、肌の色以外は自分たちとあまり変わらないように見える体を検分すると、深い傷は二の腕の真新しい裂傷だけで―――これが、昨夜負ったものだろう―――他の細かい傷は深刻なものとは見えなかった。 
 長い間逃げ隠れしてこの程度で済んでいるのだから、やはり、ばけものだ。
 そうとは思っても―――オキタの手が傷に触れるたび、意識のないまま呻き苦しむ様子は、あまりにも弱々しい。
「なぁ……死ぬなよ。おまえ、死ぬなよな……」
 なぜオキタの名前を知っているのか、なぜ泣きだしたのか、なぜ、あんなに懐かしむような、悲しそうな笑顔を見せたのか。
 それを知るまでは、死なせたくない。
 できるかぎりの治療を終えて、熱をもった頭を撫でると、人間の目尻から新しい涙がこぼれおち、寝台を濡らした。拭った指先に感じた熱が、わけもなくオキタの胸を締め付ける。
 自分はきっともう、これを殺せない。


+++++++++++


 瞼を刺激する明るさに目をあけると、沖田の背中が見えた。
「沖田さん……」
「お、目ぇ覚めたか?」
「いま……何時ですか」
 質問の声がひどい掠れ声だったことに、自分でぎょっとする。
 沖田は困ったように笑い、重心を変えてこちらに身を乗りだすと、起き上がろうとする永井の肩を押して、もう一度寝台に沈めた。
「急に起きるな。おまえ、熱出してぶっ倒れたんだぞ」
 思いがけない言葉に、永井はぱちくりと瞬き、記憶を辿った。
 いつもより体がだるい感覚はあった。それでも、軽い風邪ならば体を動かして汗を流した方が治りが良いのだとたかをくくって、訓練に出た……までは、覚えている。
 四十キロ近い装備を背負い、走っている途中で、ふわふわと足元が浮くような感覚があって……意識が途切れた。
「うわ……すいません、迷惑かけて」
「俺のことはいいんだよ。それより早く体治して、健康優良日本男児に戻れよ、な?」
「はい……」
 頭を撫でてくる手の優しさが呼び起こすいたたまれないようなくすぐったさに、軽く身を縮めてしまう。
 それから、喉が渇いたろうと水差しを持ってくるやら、腹が減ったといえば粥を持ってくるやらの手厚い看護にひたすら恐縮する永井に対して、沖田は終始楽しそうな顔をしていた。
「いつも元気な永井が弱ってるのって、なんだか可愛くてたまらなくなるな」
 ……そういうことを言わなければ、もっと素直に感謝できたと思うが。
「あの、沖田さん」
 顎までかぶせられた布団から顔を出して、そっと呼びかける。
 さすがに着替えの手伝いは断ったが、寝かしつけを譲る気はなかったらしく、子供にするようにぽんぽんと布団を叩かれている最中だ……それが妙に心地よくて、体の輪郭を見失う眠気が足元から永井の体を浸しはじめている。
「ん?」
「……もしかして、俺が寝てる間、ずっとついててくれたんですか」
「読書のついでだけどな」
 言葉のとおり、沖田の手元には分厚い本がある。……しおり代わりの付箋の位置を見る限り、ほとんど読み進められていないようだが。
「ありがとうございます、沖田さん」
「ああ。……おやすみ、永井」
 次に目をあけた時も、沖田がそこにいる気がする。
 永井は微笑を浮かべ、目を閉じた。


 これが幸せな過去の夢なのだと、心のどこかではわかっていた。


+++++++++++++



というところから、闇人オキタさんと永井の異文化コミュニケーションが始まるよー的な。

続くかどうかは気力次第。

需要?

ないですよね知ってる!





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