※沖田さん生きてます。
無骨な大ジョッキに注ぐのは、小洒落たシャンパンでも、生まれ年のワインでもなく、いつものビールだ。 「誕生日おめでとう」 「ありがとうございます」 決まり切った祝福に謝辞を述べて、ぐいと呷った祝い酒は喉に沁みた。思わず、はあぁ、と感じ入った嘆声が溢れる。 「やっぱり、本物のビールは美味いですね」 「だろー?」 対面の沖田さんが目を輝かせる。 「だからさ、今度はケースで買っ」 「駄目ですよ。プリン体こわいし、節約したいし、発泡酒にしましょう」 みなまで言わせず釘をさす。当年とって四十三歳の沖田さんの諸々を維持するのは、俺の任務だ。皆まで言わせず遮ると「うちのカミさんはしっかりしてるなぁ」からかう調子でもなく、しみじみ言われて、泡が喉にひっかかった。 カミさんって。 いやでも、付き合ってから十二年目、同棲してから一年半となれば、そうなるのか。そうか。しかもあれだ。越してきた時に鍵と一緒に指輪を渡されて……家でしか嵌めてないが、俺も沖田さんも薬指にしてるし。うん、そういうことになるかぁ。 嬉しいというより、こそばゆい気分で黙ったままなんとも言えずにいると、沖田さんは「そうだ。ちょっと待ってろ」半分あけたジョッキを置いて素早く廊下に出て行った。 干支一周ぶんの付き合いとなると、プレゼント取りに行ったなってのは聞かなくてもわかる。……でもそわそわする。なんだろうか。 去年はアイロンだった……いや、確かに新しいのが欲しいって言った、言いましたけどね……。 戻ってきた沖田さんはやけに大きい箱を持ってきた。なんだ、まさかホットプレートなのか。 「はい、おめでとう!」 「ありがとうございます」 いい笑顔につられて、こっちも笑いながら礼を言う。あれ、意外と軽い。 ホットプレートでもPS4でもないな。 綺麗な包み紙をやぶかないようテープを外していると、沖田さんは「そんなに丁寧にしなくてもいいだろ」と面白がる。人からもらったものは粗末にできない性格だって、知ってるくせに。 現れた白い箱の蓋を開くと、そこには、きっちりと折りたたまれた布が入っていた。 「これ……って、浴衣ですか」 見ればわかることを、つい聞いてしまう。 「ああ。そろそろ新調したいって言ってただろ」 去年の夏、俺が言ったことを覚えてたのか。 二十一の、沖田さんと付き合いだした夏に花火大会に誘われて張り切って買った浴衣は紺地の裾に登り鯉、袖に荒波があしらってある……色味は地味だがよく見ると派手な柄で、夏になるたび着ていたが、俺ももういい歳だし、沖田さんみたいな渋好みの無地にしようかと、そんなことを話していた。 (しかし、花火デートに誘われて浴衣を買うなんて、我ながら、浮かれた女子みたいなことしてたなぁと振り返ると恥ずかしくなるが、あれは確か天気予報の女子アナを見ていた沖田さんが『浴衣っていいよな。色気があって、ドキッとする』と、おっさんじみた感想を口にしたせいだ。……男の浴衣にそういう威力があるのかは謎だが、俺は沖田さんが浴衣を着ているととても格好良くてドキドキは、した) 「……気に入らなかったか?」 俺があまりに凝視したまま固まっていたからか、すこし心配そうに聞かれる。 「あっ、いえ。なんか、意外で」 広げてみれば、以前のものより深い群青色の地に、落ち着いた色合いの朝顔が咲いている。渋めだが、若い印象を受ける、俺くらいの年の男に似合いそうなもの。 沖田さんが俺のために選んでくれたのだと思うと、ひたひたと潮が満ちるような幸福感で胸がいっぱいになる。 「着てみます!」 浴衣を抱えて隣の部屋に引っ込み、いそいそと着替える。くだんの花火デートの時に同室のやつらに笑われながら散々練習して、それから、沖田さんが浴衣を着るときは合わせてきたのだ。もう慣れたもんだ。 帯の結び方はあんまり格好ついてないが、変なしわが寄ってないのを確認して、すっ飛んで戻る。 「どうですか」 手持ち無沙汰に、床にかいたあぐらの爪先を両手で引っ張ってストレッチしてた沖田さんは、そのままの姿勢で目元に笑い皺を寄せて「かっこいいな」と笑う。 おっさんなのにこういう動作がいちいち可愛いなぁと思ってしまう俺の惚れた欲目もたいがいで、しかしそんな自分が誇らしい。 「これで宏さんと出かけるの楽しみです」 袖をつまんでおどけて回ってみせると、沖田さんはきゅうっと上手な口笛を吹いた。 「家で着ててもいいんだぞ。色っぽいし」 裾をめくりながら言われたんじゃなければ、ちょっとドキドキしてたところだ。 「おさわりは禁止ですよー」 悪い手を人差し指と中指揃えてペタペタと叩いてから、小首かしげてニヤッと笑ってみせる。 「脱がすために選んだんですか?」 男が女に服を贈るのはそういう意味だって、よく聞く俗説を、せいぜい色っぽく……聞こえるかどうか、ささやくように言ってやると、沖田さんは爽やかな笑顔で「頼人に似合うと思ったからだよ」と……うぅ、否定されると恥ずかしい。 しかしここで、宏さんたら嘘ばっかりーなどと可愛いこぶれるような俺ではないし、そもそも三十路も過ぎた男がやっても可愛くはないので「なんだ、脱がせてくれるかと思いましたよ」と負け惜しみを言うにとどめる。 「それはお誘いか?」 「誕生日ですし、プレゼントいただいたおまけに宏さんも欲しいです」 沖田さんがからかってくるから、済まして答える……と、沖田さんは酔いが回ってほんのり赤い顔を片手で覆い、ため息を吐いた。 う。さすがに可愛くなさすぎたか。でも、これくらいの軽口はいつものことだし……。 「宏さん……」 ひとまずは調子に乗りすぎたことを謝ろうと、かがんだ体がいきなり圧迫される。沖田さんががしっと抱きついてきたせいだ。 「わ……と、と!」 踏みとどまれず、ラグ代わりの茣蓙の上にころりと転がった俺が背中を打たないように腕で支えてくれる宏さん優しいなぁ、ってこれ、俺は押し倒されたのか? 状況を飲み込めないまま、見上げた沖田さんは眉間に浅いしわを刻んでちょっと苦みばしった雰囲気が、うん、男前だなぁ。 「頼人」 「はい」 沖田さんが深刻な顔つきなので、こっちの背筋も伸びる。倒れてるけど。 「お前はどうしてこう……年々可愛くなるんだ?」 なんか言いだしたぞ。 「宏さん、酔っ払ってますね?」 「そうだよ、お前のせいだよ」 噛み合ってるような噛み合ってないような返事がきて、また、むぎゅっと抱きしめられた上にぐりぐりと頬を擦りつけられる。俺は犬か。グッボーイってか。 ほんとは期待してた色気のある展開でもなさそうなので、お返しに宏さんの少し硬い髪を混ぜて頭を撫でてあげたら「あー」と、腹を立ててるような何かを堪えてるような声をあげて、ますますぐりぐりと……。
うん。 俺の誕生日だからってはしゃいで飲ませすぎた。
おかしいな、けっこういい雰囲気のはずだったのなぁと思ったが、そういや浴衣の裾をめくってきたあたりで沖田さん相当回ってたな……あんまり顔に出ないからわかりにくいんだ。 だいたい、夕方まで、俺含む七月生まれの隊員の誕生日会っつって、小隊で飲み食いしてたし。たたき上げの尉官とはいえ立派な幹部の沖田さんもけっこう勧められてたわけで……。 と、気付いたら、沖田さんの擦り擦り攻撃は終わり、俺が頭を撫でているだけになっていた。 「今日はもう寝ましょうか」 「うん……」 「プレゼント、すごく嬉しいです」 「うん……」 「宏さんのことも、一生大事にさせてくださいね」 どうせ相手は酔っ払いだし、普段は言えないようなこともするっと口から出てくる。 うん、とは言わず黙り込んでしまった沖田さんはもう、夢の住人だろうか。 俺も酒は入ってるけど、気合い入れて布団に搬送しますか、と、抜け出そうとした腕を掴まれた。 顔を上げた沖田さんは、俺の大好きな、優しい笑顔だ。 「俺も、頼人のことを死ぬまで大事にするよ」 それは死亡フラグってやつですよ沖田さん。 などと、無粋な口ごたえをするかわり、俺は、ちょっと酒くさいキスを待って目を閉じた。
<健全に終わる>
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