氷帝 忍足の言った転校生の話を真に受けていない司は、あくびをしながら寝不足の体をベンチから起こし、背伸びをした。
とりあえず、寝たい。
なぜこんなに寝不足なのか自分でもわからないくらいに眠い。 とりあえず、一時間目は保健室に行こう。そして裏技で熱を出して早退しよう、と受験生にあるまじきことを考えていた。
「不機嫌そうだなあ」 「向日…。いたのか。ちっさくてわかんなかった」 「てめぇそれもっかい言ったら殴るからな」 「あー、うん…。お前は元気だな」 「なんだよ急に…。あ、お前聞いた?転校生の話!女子だって噂だけど、本当か?」 「いや知らねーし俺。ホクロか忍足に聞けよ」
司はポリポリと頭をかき、また大きく背伸びをした。
「お前練習は?」 「あ?休憩だよ休憩。流石の俺でも朝からそんなに動けねーし」
さっきまでコートに入って高跳び選手顔負けの高跳びをしていた奴のセリフとは思えないセリフである。 向日はベンチではなく地面に座り込んだ。
「あっちー。オイジャーマネ!濡れタオル!」 「あいにくそんなモン持ち合わせてねぇ」
そんな二人のもとに二年生が近寄ってきた。
「あの、七条先輩、濡れタオル貰えません?」 「ああ、いいよ。待っとけ、持ってくるから」 「なあ、なんでお前ってレギュラー以外に優しいんだ?」 「日頃の行いの差だろ。何枚?」 「えっと、4枚ほどお願いします」 「おい七条!俺のもな!」 「へいへい」
せっかくだから全員分のタオルも用意するか、と氷帝のオカンこと司はコートを後にした。
マネージャーの仕事も大変である。タオル用意、飲み物用意、救急セット用意、測定器具用意。
そしてこれは個人的だが、司の場合部室の掃除がある。 猫の手でも借りたいほどだった。
「くっそーねっみー…これいつか俺ぶっ倒れるんじゃねぇの?」
タオルを濡らしては絞り、濡らしては絞り。終わらない作業に苛立っていた。
「………」
タオルを絞りながら、俺は一体なにをしているんだろうとなぜだかとても虚しくなってきた。
あとで楓か本谷(前の学校の友達)に電話しようと決めた。こういう時頼りになるのは弟とここにはいない友人だった。 ああ、あいつらは元気だろうか。下痢でもしてなきゃいいけど。
なぜ下痢なのかはわからないが、司の思考力が低下しているのは確かだった。
ようやく全員分のタオルが用意できた。 司はタオルを一つ取って、顔を拭いた。思ったより冷えていて案外気持ちいい。
そのままタオルを顔にかぶせ、上を向いていた。端から見れば異様な光景ではあったが、司にとっては束の間の休息である。
だがそんな司の休憩時間はすぐに終わった。
「ちょっと、そこのアンタ!」 「……」 「聞いてんの!?アンタよ!」
女子の声。誰のことを言ってんだろうと司はスルーしていた。このまま寝てしまいそうな司の腕を、何者かが引っ張り、タオルが地面に落ちた。
「…!」 「…あ?」
それは女子だった。背が低く、司は不機嫌な目付きで見下した。
女子はなんだか驚いたようで、目を見開いていた。
「…なに?お前だれ?」
司の声音にまた驚き、掴んだ腕を離した。
「あんたこそ、誰よ」 「あ?お前から名乗れよ」
普段は女子にこんな態度をしない司だが、寝不足プラス過度なストレスからイライラがマックスだった。
だが肝が据わっているのか、はたまた気づいていないのか、この女は咳払いをし、挑戦的な目線で司を見上げた。
「私は須崎結愛よ。須崎財閥の一人娘」 「んーそうかー…。で?そんなお偉いさんが俺に何の用スか」 「学校を案内しなさい!」 「……」
氷帝学園には、金持ちがたくさんいる。
それ故、度が過ぎた我が儘な人間も、貪欲で汚い人間もたくさんいることは司も知っていた。 が、初対面でこんなぶしつけなお願いの仕方をされたのは初めてだった。
「ヤだよ」
即答であった。
「な、私のお願いなのに!?」 「お前みたいな赤の他人のお願いだからだよ。それに俺やることあるし」 「…そんなの後でいいじゃない。ね、一緒に行きましょうよ」 「るせーな。ホラ、来たぜ、お迎えが」
司が指差した先には、スーツ姿の男がこちらに向かっていた。
「なんだあれ。SPかよ」 「家の者たちよ。ふふ、デートはお預けみたいね」
意味がわからない司はとりあえず何も言わなかった。
「もう一回言うわね、私の名前は須崎結愛。あ、そうだわ、あなたの名前は?」 「………山田太郎」
司もこんな仮名バレバレな名前はすぐバレると思ったが、須崎結愛はん?と首をひねった。
「…聞いたことない財閥ね?山田財閥なんかあったかしら…」 「……」 「まあいいわ。じゃあね、太郎!今度はちゃんとデートしなさいよね」
ウインクをされた司だったが、瞬時に顔を逸らした。
なんか変な奴に絡まれるわ、タオルは一個おじゃんになるわ、なんたって今日は運が悪いんだ。 落ちたタオルは跡部にぶつけようと思いつき、寝不足の頭を起こし、テニスコートへ向かった。
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