旅に出ます、とさも当たり前のように宣言された。
先月あの長い旅から帰ってきたばかりなのに、いくらなんでも早すぎやしませんか、と不満を言いたかったけれど、彼のそれを理解した上で結婚したので、この言葉は言えない。
それにそんなこと言ってしまえば彼に迷惑がかかるし、面倒な奴だと思われて嫌われてしまう。
「…わかりました」
私はお決まりの台詞を言って、俯いた。
彼、曽良は外を見ていた。
夫婦になってからというもの、私たちの仲は冷めてしまった気がする。
昔のように、旅であった出来事も話してくれなくなってしまった。
私が悪いのか、それとも結婚したことが悪いのか。曽良は悪くないのか。
お互いを必要としているのか。
曽良は、子供が欲しいとは思わないのか。
私と一緒は、嫌なのか。
「…わからない」
口から漏れたその一言で、私の涙腺がゆるんだ。
ぽたぽたと涙が握った拳に落ちていった。
「…名前?」
驚いた曽良の声がした。
名前を呼ばれたのだって、もう何ヵ月も前のこと。
私は顔を手で覆った。
「こうなることはわかってたのに、今が嫌いな自分が、曽良のことを嫌いになっていく自分が」
わからない。
なんであんなにも大好きな人と結ばれたのにこんな辛い思いをしなくちゃならないのか。
なんでいつも私だけ、悲しい思いをしているのか。
「…もう嫌です」
本音が出た。涙が溢れてくる。
「…嫌なのは、こっちのほうですよ」
曽良の声が聞こえた。
足音が近づいてきたと思ったら、曽良は下を向いた私の顔の頬に両手を当て、ぐい、と上に向け自分と目線を合わせた。
「嫌なら嫌って。行かないでって言えよ」
乱暴な口調になる曽良は初めて見た。しかも、今にも泣きそうになるのを必死で隠しているようだった。
「僕だって嫌ですよ。結婚したにも関わらず文句一つ言わないで旅に出させた挙げ句、わからないだの嫌だの、それは僕だって同じですよ」
「そ、ら…?」
「なんで泣くまで我慢するんですか。馬鹿じゃないのかアンタ」
「だ、って」
「嫌われるとか思ったんでしょう。馬鹿が。そりゃ嫌いにもなりますよ。でもね、それでも僕は名前が好きなんです。だから、頼むから、僕を嫌いにならないでください」
頼むから、と消えるような小さな声で、曽良は私を抱き締めた。
私はまた涙目になりながら、曽良の背中に手を回した。
「我が儘、言ってもいいんですか?」
「ええ」
「きっと迷惑だし、面倒だし、曽良のこと困らせる」
「泣かれるよりマシです」
「行かないで」
「はい」
「もう嫌です。寂しいです」
「…すみませんでした」
「お願いだから、ずっと一緒にいてください…!」
涙がこぼれた。
当たり前でしょう、と震えた曽良の声がした。
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