「おや、生きてたんですか」
心底意外そうに物珍しそうに、名前は書を書く僕を見て言った。久々に聞いた彼女の声の真意は、皮肉というより本心のようだった。
どうやら、僕が生きて帰ってこないと思っていたらしい。
「生きてますよ。死んでたまるかってんです」
「まぁ大きな怪我もないようですし、健康そうでなによりです」
隋に行く前も、こんなグダグダな会話を彼女としていた気がした。
彼女にいち早く会いたかったため僕はこうやって筆を走らせて仕事を終わらせようとしていたわけだが、彼女が自ら僕のもとへやって来たので書くスピードを少し遅めた。
それでもこれだけは書かなきゃならない。終わらせなければ彼女と二人にはなれないわけで、僕はやっぱり書くスピードを速めたのだ。
名前は真面目だなぁ、とつまらなそうに呟き、半分開いた扉に寄りかかり、僕を見下した。
「正直不安でしたよ。ちゃんと帰るのか」
「心配かけたならすみません。この通り僕は元気です」
「一人の夜はとても長く感じましたよ」
驚いて僕は名前を見た。
なんでそんなことを真っ昼間から言うんだこの人は。
「…どういう意味です」
「独り言ですよ」
独り言、だってさ。
それこそ皮肉。全くかわいげのない人だ。
「隋でいい人でも見つけて帰ってこないんじゃないかとも思いましたし、もしかして死んだかとも思いましたし、海に沈んだかとも思いましたよ」
「…なんで全部マイナスなことなんですか」
「だって、本当に帰ってこないと思って」
なんて言った彼女の声はとても寂しそうだった。
そして次の瞬間、後ろから何かに抱きつかれた。
それがさっきまで扉の前にいた名前だとわかるのに、時間はかからなかった。
細い腕が僕の左右の頬から伸び、肩に顔を埋める。
すりすりと猫のように、僕を確かめているかのように。
僕は息をするのを忘れて、数秒間、名前だけを感じていた。
「…生きてて、よかった」
名前が呟いた。とても小さな声だった。
僕には聞かれたくない独り言だったのかもしれない。だけどしっかりと聞こえた。
「本当に不安でした。夜しか眠れなかった」
「しっかり寝てんじゃないですか」
「嘘です。言ったでしょ、一人の夜は寂しいって」
「なら、今晩からは寂しくないですよ。だから夜まで待っててください。終わらせるんで」
そう言うと名前は、じゃあもう少しこうさせてください、と言って、腕の力を強めた。
ぎゅう、と首もとが苦しくなる。
名前の胸の中で名前が僕を殺してくれるなら、死んでもいいかもしれない。
そんな不謹慎なことを思った。
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