追憶の花
0と1の狭間で、一人の少年が紫の少女に勢いよく飛び付く。
「誕生日おめでとう紫ぃちゃん」
「……?誕生日ですか」
「うん!今日はボクと紫ぃちゃんが初めて出会った日だからお祝いしたいんだ!」
紫ぃちゃんと呼ばれたその少女は、抱きつかれたまま、きょとんとした表情で彼を見つめる。まるで、どうして自分が祝われている解らないと言った様子である。
「ありがとうございます兄さん。でも、初めて会った時の記憶が……」
「……ごめんね」
困ったように言葉を途切れさせた紫の少女に対し、少年は眉を下げて悲しそうな表情へと変わる。
「あ、いえ別に良いんです。何時かきっと戻りますから」
「知りたい?」
急に暗くなった彼を見るや否や、慌てて首を振る。そんな彼女を見ながら、思い詰めたような声色で少女に尋ねる。
「はい、言ってみれば兄さんとの大切な記憶ですし」
「そっか、でもね紫ぃちゃん……知らない方が幸せなこともあるんだよ」
「どういう意味でしょうか?」
静かに笑うだけで少年は言葉を返さない。手のひらをかざし、何かを強く握る動作をする。
「兄さん?」
「おいで」
そっと優しく彼女の手を引くと、小さな鍵を手のひらへと渡そうとする。
「なんでしょう?これは」
彼女が鍵を持った瞬間、0と1の狭間に光が瞬く。
眩しくて目を瞑ると、兄さんは居なくなっていた。何処かからピアノの音色が聴こえる。うろうろと歩いて見ると見慣れた顔がそこにあった。ピンク色の髪をした子供が軽やかにピアノを弾きこなしている。
「すいなさん、兄さんは……兄さんを見かけませんでしたか?」
「ピアノをひいてるの」
「えっと、」
すいなさんはこちらの言葉を聞いていないようで、そう言って微笑んだきり答えてくれそうにない。
「おい、そっちにはあらへん」
「あれ?カランさん」
仕方がなく歩いていたら、不機嫌そうな顔をしたカランさんに引き留められます。もうすいなさんの姿は見えないものの、ピアノの悲しげなメロディは止むことがありません。
「あ、兄さんは見ませんでしたか?」
「何でわたしを案内役にするんや。お前は……」
何故か、ギロリと睨まれてしまう。カランさんは機械も人も憎んでいるからでしょうか。
「あっちや」
「ありがとうございます」
それでも、ちゃんと案内してくれるカランさんは本当にいい人だと思います。指差された方向へひたすら歩き続けます。ひたすら青に囲まれた世界。境界線も曖昧で不確か。ここはどこでしょうか。
「初めまして、そして、さようなら」
ぐにゃりと歪む、視界。これは知っている。知っていた。私は聞いている。聞いていた。
「ボクの全てを君にあげよう。悲しみを苦しみを痛みを傷を除いた幸せな幸せな記憶を君に捧げるよ」
ここは私の記憶?
「アスター、それが君の名前」
「どうか、ボクの代わりに幸せに」
0と1に解かれていく兄さんの身体を、ただただ見つめる。声も出ない。身体も動かない。最後に残ったのは四つ葉のクローバーだけだった。
「紫ぃちゃん!!!大丈夫?」
「兄さん、兄さん、」
焦点の合わない目でボロボロと涙を流す紫ぃちゃん。
「ボクはここに居るよ」
ギュッと手を握る。本当は記憶を戻したくなかった。ボクが我が儘で奪ったから、また返すのは身勝手過ぎる。
「辛い想いをさせてごめんね」
憎んでいた。壊れた自分を差し置いて、新しい君がそこに居座るのを憎んでいた。その気持ちが、紫ぃちゃんを一目見た瞬間に消えてしまったんだ。
「兄さん、ごめんなさい」
「紫ぃちゃんは何も悪くないよ」
よしよしと頭を撫でて、震える身体を抱き締める。全ては隠していたボクの責任だから。
「生まれてきてくれてありがとう」
そっと、紫ぃちゃんの手にキスを落とした。
2011/02/03