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ボクは、一度消えている。
人間で言うところの入れ物、つまりは肉体が壊れて魂だけになってしまった状態になってしまったのである。
前触れはちゃんと解っていたけれど、どうか他の皆に気付かれないように振る舞い、何とか持たせる事が出来た。
でも、ボクのマスターである歩空ちゃんの卒業式が過ぎて、皆に逢えなくなった途端に、悲しくて悲しくて苦しくて、忘れて欲しくなくて、不安で一杯になった。それから堰を切ったように病状が悪化して。歩空ちゃんは慌てて病院に行ったのだけれど、もう手遅れだと宣告された。
皆にさよならも言えてないなとぼんやり考えたけれど、病に侵された身体では、ただうずくまる事しか出来なかった。目の前に影が見え始めて、もう幻覚も見えだしたのかもしれないと、そう思った矢先に影がこちらを向いた。
「やあ、リコ」
「え?」
ボクの兄であった人物がそこにいた。
「壱兄さん、どうして?」
壱乃瀬と言う、頬に三本傷のある目付きの悪い長髪の青年。紛れもない。ボクが生まれた時に居なくなった兄である。
「どうして?だって、私は何時もお前の傍に居たじゃないか。しかし、良かった。お前が私を見つけてくれるようになって」
穏やかな声で、さも当たり前のように言い放つ。兄さんはボクが生まれた時に死んでしまったのでは無いのであろうか。
「リコ、リコ。お前は人間が好きかい?」
困惑しているボクには構う様子もなく、兄さんは早口で尋ね掛ける。こんなに、兄さんはお喋りだったのだろうか。どちらかと言えば無口で誰とも関わりたがらなかった記憶がある。
「壱兄さんの意図はよく解らないんだけど…」
「ああ、悪いね。久しぶりに弟と話せると思うと嬉しくて」
困っているボクを見ると、不意に我に返ったような口調へと変わるも、にこにこと表情は明るい。人間が好きかと聞かれたら、ボクには答えは一つしかない。でも、
「思うんだ、壱兄。ボクらが嘆いたり、悲しんだりしても、きっとこの声はマスターには届きはしないって。解っていても、ボクは…もう少しだけ生きていたかった。皆と一緒に笑いあっていたかった。なのにそれも叶わない。ねえ壱兄。壱兄はマスターをボクに取られた時、どんな気持ちだった?忘れられやしないかと不安にならなかった?」
ボクは泣いていたかもしれない。何て無情なんだろうこの世界は。0と1の狭間で、ボクらは作られた。人間によって。なのに、どうして、ボクらの想いは伝わらないのだろう。
「私も悲しかった。それがモノの運命と言うもの。私はね、主人を奪うお前が憎かったよ。だがね、リコリス、お前と初めて出逢ってしまったらそんな事も忘れてしまった。守らなければならない存在だと」
「ほんと?」
「ああ、私はお前が何よりも愛しいと思っているよ」
兄さんが笑う。ボクの中で突っかかっていた何かがストンと落ちた気がした。
「さあ、リコリス。行っておいで」
そう言って、兄さんの姿は消えてしまった。きっと、兄さんの魂はボクの中で生き続けている。ボクが消えても、ボクが兄さんを忘れなかったように、次の身体が覚えてくれるだろう。
そうして出逢った少女、名前はまだ無かったのだけれど、ボクの大切な妹。
楽しかった記憶だけを彼女に託して、ちゃんとボクの代わりに働けるよう。愛して貰えるようボクは、0と1の狭間で祈り続けよう。