ようこそ、お人よしな王子様
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期待した分、裏切られたときの落ち込みって増すよね。
それが、本人の意思とは違うことによるものだとしても。
「トーリスの嘘つき……」
今日は久々に、ほんっっとうに珍しく取れたオフだと聞いた。
せっかくのゆっくり休める日に、「一緒にどこか出掛けようか」と誘ってくれたのが嬉しかった。だから、頑張っておめかしだってしてきたのに……なのに!!
『ごめん!急にイヴァンさんから呼び出しの電話が入って………出来る限り早く終われるようにしてみるから!ほんとごめんね!!』
準備万端に、いざトーリスの部屋へ向かおうとした時。突然鳴った携帯から聞こえた大好きな声に返事をする間もなく、彼は要件を慌ただしく告げて一方的に電話を切ってしまった。
それまで浮かれていた私の気持ちは一気に急降下。電話口から聞こえる無機質な電子音はただ会話の強制終了を表していて、内側からふつふつと沸き上がる苛立ちとも不満とも言い難い感情を更に加速させる。
休日に急に呼び出されるような仕事で、そんなにすぐに帰ってこれるはずはない。これでもう今日の予定はまるまる台なしだ。
ただ感情に任せて、手の内にあった携帯を床にたたき付けた。ガシャンと大きく音を立てた機体とストラップの音ではっと我に返り、慌てて携帯を拾いあげる。私のばか。こんなことしたって何の意味もないのに。
新しくついてしまった機体の傷を撫でて自己嫌悪に陥っていると、トーリスとお揃いで買った小さなストラップが手に触れた。
「よかった、これが壊れてなくて……」
小さなクマのストラップを撫でながら、これと同じものをトーリス渡した時のことを思い出す。いつも通りトーリスが仕事で忙しかった日、一人で買い物に出掛けた私が気に入って勝手に二人分お揃いで買ってきたのだ。帰ってそれを渡すと、僕には女の子っぽすぎるんじゃないかなと苦笑いを浮かべていた。やっぱりちょっと無理があったかな、と思ったけど、次の日見るとしっかり携帯にクマのストラップをつけていたトーリスは、本当になんというか、私が言うのもなんだけど、お人よし過ぎるんじゃないかと思ったものだ。それ以上に、その時は嬉しくて仕方なかったけど。
ぼんやりとトーリスを思い浮かべると、どれも笑った顔。でも、最近の記憶にある彼は、どれもどこか疲れたような顔をしていた。
「…………トーリスの、ばか」
足は、自然と本来の目的の部屋に向かっていた。
*
「名前、ただいま!」
慌ただしく帰ってきたトーリスは、まっすぐに名前の部屋へと足を運んだ。
呼び出しの内容は到着してから、と言われていたが、単に休暇の前にトーリスが担当していた書類の場所がわからなくなったというだけのもので、なんとも早く事は済んだ。
そんなこと電話で言ってくれればいいのに、と思ったが、イヴァン本人を目の前してそんなこと口が裂けても言えなかった。
とにかく想定していたよりもかなり早く戻って来られたことに変わりはなかった。トーリスにとってはもう理不尽に呼び出されたことより、ただ名前が機嫌を損ねていないかが気掛かりだった。
「名前!いないの?」
何度ドアをノックしても、中から返事はない。
(やっぱり、怒ってるのかな……)
不安になりながらも、ドアノブにそっと手をかける。鍵はかかっていなかったようで、ドアはすんなりと開いた。
「……入るよ?」
少し開けた隙間から部屋の中を伺ってみるが、そこには誰もいないようだった。
(もしかして、また一人で出かけちゃったとか……?)
部屋に入ってぐるりと中を見渡しても、やはり名前の姿は見当たらない。
がくりと肩を落とし部屋を後にすると、トーリスはとにかく仕事用の服を着替えるべく自室へと向かった。
いつも仕事に追われて一人にさせていることに、申し訳なさを感じていた。
仕事から帰ればなるべく傍にいたが、そんなに長くいられることは少なかった。
だからこそ、今日はずっと一緒にいようと思っていたのに……
名前のがっかりした顔を思い浮かべると、その分、心にずしりとのしかかる自責の念。それに比例して、自室へ辿り着くまでのトーリスの足は非常に重かった。
ため息と共に、自室のドアに鍵を差し込む。カチャリと音がしたのを確認してからドアノブを捻った。が、本来開くはずのドアは開かなかった。
「……あれ?」
おかしい。間違いなく部屋を出る前に鍵を閉めたはずなのに。
(まさか、泥棒!?)
もう一度反対に鍵を回して、そっとドアを開ける。またドアの隙間からこっそりと顔を覗かせてみたが、部屋の中は特に荒らされた様子はない。
とりあえずほっとして、トーリスは部屋の中へと足を踏み入れた。もしかすると、鍵をかけたことが勘違いだったのかもしれない、と思い直した。
すると視界には、不自然に膨らんだベッド。
「え!?」
トーリスは驚いて声を上げた。
明らかに、人一人分、ベッドが膨らんでいる。
「だ、誰!?」
声をかけるも、返事はない。
しかしその代わりに、盛り上がった布団の中から、ズボッと足が出てきた。
かなり間抜けな光景だったが、よくみればその足は靴を履いており、しかもトーリスはその靴には見覚えがあった。名前のお気に入りの靴だ。
「もしかして、名前?」
やはり返事はない。
しかし、名前だとすれば納得がいく。名前ならば確かにこの部屋の鍵も持っていたはずだ。
考えている間に、いつの間にか布団からは両足が出され、静かな空間でブラブラと意味もなく揺らしている。寝ているわけではないようだ。
となると、やはり拗ねているのだろうか。
「名前、待たせてごめんね。ほら、一緒に出かけよう?」
膨らんだベッドに向かって、トーリスは出来るだけ優しく声をかける。
「…………行かない」
「えぇえ……」
布団の中から聞こえたくぐもった声に、やはり拗ねているのか、と焦りは増す。
どうしようかと迷った末に、とりあえずトーリスはベッドの傍まで歩み寄った。
「ねぇ、名前……怒らないで。確かに約束の時間は守れなかったけど、ほら、今から出かけても―――うわっ!?」
言葉が途中で途切れる。
布団の膨らみに触れようとしたトーリスの手が、急に開いた布団の中へと引き込まれたからだ。
突然のことに対応しきれなかったトーリスの身体は、すんなりとベッドに倒れこんだ。それから、暖かいものに包まれる。
「名前……!?」
顔を上げると、間近に名前の顔。トーリスは名前に抱きしめられていた。
普段は低い位置にある名前の顔があまりにも近く、トーリスは顔に熱が集まるのがわかった。抱きしめられる、という慣れない状態もその原因の一つかもしれない。
名前は想像していたような拗ねた顔ではなく、とても優しい顔で微笑んでいた。
それからそっとトーリスの耳元に口を寄せると、ゆっくりと口を開いた。
「今日は、このままこうして一緒にいよう?」
それからもう一度、抱きしめる腕に力が篭る。
トーリスは、ゆっくりと同じように名前の背中に腕を回した。伝わる体温が、何となく先程より高くなっているように感じた。
ようこそ、お人よしな王子様
心地好い体温と優しい香り、それから溜まった疲労がちょうどいいスパイスとなって、トーリスはあっと言う間に眠りの世界へと引き込まれて行ったのだった。
(優し過ぎる王子様、
(今日はゆっくり休みましょう)
(私の胸を貸してあげる)
(一緒にいられるだけで、私は幸せよ)
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