深い階段の底から、白塗りの階段と壁に縁取られた夜空を見上げる。
ようやく受信できたメールを閉じて、
テキーラに灼かれた喉を震わせて溜息をついた。
背後のバーの扉から漏れるキャプテン達の声が一瞬大きくなって振り返った。
「木野さん」
「吹雪くん。乾杯の後出て行っちゃったから、どうしたのかと思って」
彼女はそう言いながら、ネックレスを直した。
「名前ちゃんから連絡が来たんだ。今、電車乗ったって」
一度ポケットに納めた携帯を取り出して見せると、
木野さんは
「名前ちゃんが一番に連絡するのは、やっぱり吹雪くんね」
と、嬉しそうに笑った。
「普段は離れていても、一応そういう関係だからね」
天井に埋め込まれたスピーカーから、ボッサノーヴァがゆるやかに流れる。
数杯飲んだのか、木野さんの頬は血色がよくて、
「じゃあ、二人の結婚ももうすぐかな」
と機嫌良さそうに鼻歌を歌い始めた。
「まだ、そこまでは行かないよ」
気恥ずかしさとはまた違って、声を落とした僕に、木野さんは鼻歌を止めた。
「僕は名前ちゃんを信じてあげられないんだ」
テキーラシューターに降ったクラッシュアイスみたいに、
冷たい思いが零れていく。
「名前ちゃんはね、最初は、仕事でも僕と一緒にいたいって言ってくれて、
 サッカーに関われる仕事に就こうとしていたんだよ。
 名前ちゃんならそれを叶えられたはずなのに、
 結局サッカーとは関係ない仕事について、
 こんな時間まで仕事するなんて」
今だって、名前ちゃんと一緒に過ごしたい気持ちは変わらない。
だけれど、彼女のことを、
信じられる家族の一人にしたいと思い直せないままでいる。
木野さんは小さく息を吹きながら笑った。
普段から思いやりのあった彼女には似合わない反応。
「ふふっ。名前ちゃん、就職先が決まる直前に、私に話してくれたのよ。
 サッカーの世界では、自分は吹雪くんに追いつけなくて、その背中しか見えないって」
手のひらの中で、僕の携帯が蛍光色に点滅する。
木野さんはそれを見ながら続けた。
「自分は自分のフィールドで、吹雪くんと同じ最高のプレーヤーになりたいって」
毎晩あんなに電話を切ることを嫌がる名前ちゃん、
どうしてその思いを僕に教えてくれなかったのだろう。
木野さんに促されて携帯を開くと、
思ったとおり名前ちゃんからのメールだった。
「木野さんが羨ましいな。
 名前ちゃんのそういう気持ち、僕も話してもらいたかった」
「親友の特権なんだから。名前ちゃん、何て?」
「駅に着いたって。僕、迎えに行ってくるよ」
地上階へ続く白塗りの階段を駆け上がった。
空港のゲートで、仕事着で僕を見送りに来てくれた名前ちゃん。
待ち合わせに五分遅れた僕に、八つ当たりをした名前ちゃん。
二十五時のニュースで試合のハイライトが流れた時、
僕は隣にいるのに画面の中の僕へ一生懸命声援を送った名前ちゃん。
全部、僕の大好きな名前ちゃんにつながっていく。
耳元を抜ける夜風に、意識が覚める。

  ***

 駅へ続くバス通り沿いのコンビニの前で、
街明かりの中を走ってくる名前ちゃんの姿が見えた。
「名前ちゃん!」
僕に気付かずに走り抜けようとする彼女の腕を捕まえて、
そのまま抱き寄せた。
「えっ?士郎くん?どうして?」
僕の腕の中で、大きく胸を上下させながら彼女が驚いている。
「迎えに行くに決まってるじゃない……駅で待っててよ」
乱れたままの髪にも、チークの落ちた頬にも、愛しくて唇を寄せる。
今日一日を全力で駆け抜けて来た彼女の体。
「人が見てるよ」
と、彼女は小さく悲鳴を上げた。
落ち着かない腕をそのままに、コンビニの前に並んだ自転車の列の端へ身を寄せた。
「名前ちゃん、毎日頑張ってるね」
「うん。だって、妥協したり諦めたりしたら、
 うまく行かない時に後悔しそうだから」
その言葉の先にある彼女の夢を話してほしいのに。
そう彼女を責めるよりも、もっと伝えたいことがある。
「おもしろいね。僕も同じことを思いながら、毎日プレーしてるんだよ」
名前ちゃんは頷くように、爪先立ちをして僕の背中に腕をまわしてくれた。
フィールドは違っても、僕と名前ちゃんは同じように前を向いていて、
同じ向かい風を感じている。
今まで僕は、夢を見ることを一人占めしようとしていたみたいだ。
「あのね、名前ちゃん。お店に行く前に、少しだけここで時間もらえる?」
狭い背中を掻き抱いて言うと、彼女は「いいよ、どうしたの?」と僕のはねた髪へ手を触れた。
家路へ向かうサラリーマンが通り過ぎる。
信号が変わって車の波が流れ出す。
ビロードの色をした空に、銀弧の月とダイヤモンドの星が昇る。
「今言いたくて仕方がないんだ。
 名前ちゃんに、僕のお嫁さんになって、って」
僕の夢は君の夢。
昼も夜も隣で同じ夢を見て、
きっと最高のプレーヤーになるんだ。



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