05/心を融かすもの-3






 暗い所から光を見つめるような、夢を見た。井戸の底から遠い空に焦がれるような、そんな感覚だった。切り取られた光はどこまでもまっすぐ自分自身を突き刺すかのように降り注いでくる。永遠にも近い時間、ただその光を見続けた。

「……ん…」

 重い瞼を開いて見えるのは、いつもと同じシゲル自身の部屋の天井だ。扉の外からはオーキドとサトシの声が聞こえてくる。声音からして、オーキドがサトシを宥めているようだ。また何か駄々をこねたのだろうか、と未だに覚醒しない頭の端で思考しながら、シゲルは小さな足音が扉の前から離れていくのを聞いた。
 中々力が入らない身体をシゲルはゆっくりと起こし、痛む頭を手で触れて息を吐いた。

「おお、シゲル!気が付いたようじゃな!」
「…お…、博士……」
「具合はどうかの?」
「……具合…?」

 扉を開けて嬉しそうに笑ったオーキドはシゲルのベッド脇の椅子に苦笑しながら腰掛けた。どうやらシゲルは現状を理解しきっていないようだった。オーキドの言葉に小さく首をかしげ、ぼうっとしている。
 昔から甘えるのが下手な子どもだった。両親と過ごす時間が短かったせいもあったかもしれない。祖父と同じく両親も研究職についていたシゲルは幼い頃から家にある文献を読んでいた。初めは意味もわからないまま読んでいたのが少しずつその意味を理解し始め、知識として吸収することを覚えて今では一端の研究者を名乗るほどまでになった。オーキドの研究を補佐しながら興味のある分野の研究を決して妥協することもない彼は、研究者として尊敬するオーキドのことを祖父としてではなく"博士"と呼ぶ。それが寂しくないと言えば嘘であったが、その程度の愛しか注げなかったのは自分にも非がある。オーキドは大人であろうとする自身の孫に対して、罪悪感というものを拭いきれずにいるところがあった。

「なんじゃ、覚えとらんのか。いきなり倒れたんじゃよ?」
「へ…?」
「サトシと話してた時に突然倒れたんじゃよ。サトシが血相変えてお前を引きずって来た時には何事かと思ったわい…」
「…ああ、そっか…」

 記憶を失う前と今自分が置かれている状況が少しずつ結びついてきたらしい。納得するように小さく頷くシゲルの頭をオーキドは大きな手で撫でる。シゲルは拒まずに素直にそれを受け入れていた。

「……まったく、無理をするからじゃぞ」
「無理なんてしてませんよ…?」
「したから倒れたんじゃろう、ばかもん」
「あたっ…」

 軽く額を叩かれ、反射的に目を閉じてしまったシゲルが目を開いて見たのは、困ったように微笑むオーキドだった。ああ、心配している顔だ――オーキドにそんな顔をさせている自分の落ち度やそのことに対しての罪悪感で目を伏せたが、頭上から降ってきたのはそれを責める鋭い声ではなかった。

「……サトシには部屋に入らないよう言ってある。今は気を張らなくてもいいんじゃぞ、シゲル」
「………おじいさま……」
「うむ。…疲れていたのじゃろう?ゆっくり休みなさい」
「…はい」
「ここに、長くいる人間は少ないからの。さすがのお前も保たなかったんじゃな…」

 オーキドにはかなわない。誰より長い時間を一緒に過ごして、自分自身の内面に一番近いのは目の前にいる祖父だろうとシゲル自身も思う。他人と接するのが苦手だった。どうすればいいのかもわからなかったし、何より傷つくのが、傷つけるのが嫌でたまらなかった。それを避けるには相手との距離を適度に保つという方法しかシゲルは知らない。

「サトシだから、余計につらいところもあるのじゃろうな。あの子は……どこか、レッドに似ているからの」
「っ、」
「心配しておったぞ、お前のことを」

 ――レッド。それは今はどこにいるかもわからないたった一人、シゲルが心を許した優しい存在の名前。今、あの人はどこにいるんだろう。共にこの家で過ごした時間は長いものではなかったが、シゲルが心を許すには十分だった。今でもシゲルはレッドを探している。ある日突然、姿を消した―――否、ロケット団に連れ去られたであろうレッドのことを。
「……大丈夫だと、伝えておいてください」
「…わかった」
「慣れてたんだけどな…」
「本当は苦しいのを隠そうとしているから、いくら慣れようと疲れてしまうんじゃ。全く…」
「そんなこと…」

 シゲルは怯えているのだろう。心を許した人が居なくなる恐怖、絶望を知ってしまった彼だからこそ、サトシのことを信用すること、信用してしまう自分自身を恐れているのだろう。それでも、戸惑っているシゲルの姿を見ているといつかサトシのことを受け入れる日が来るのではないだろうか、自然と相手を受け入れることができるようになるのではないかと期待している気持ちがあるのも嘘ではない。

「わしにまでそんなに強気に振る舞わなくてもいいといつも言っとるじゃろ?」
「……はい…。――駄目ですね、僕。心配かけてばかりで…」
「何を言っとる。お前はまだ子どもなんじゃ。大人に心配をかけるのも子どもの特権じゃよ」
「そう…ですね」

 身体を起こしていることに疲れたのだろう、シゲルはまたベッドに身体を沈める。顔色はまだ悪いようじゃな、とオーキドは額を触り、熱がないことを確認したその流れで頭を優しく撫でた。優しい祖父は心配しているのだろう、とシゲルにもわかり、大丈夫だというように笑って見せた。

「サトシには、暫く部屋に近づかんよう言っておくからの」
「…お願いします。今日は……ちょっと、笑おうと思っても無理そうです」
「うむ。じゃあ、ゆっくり休むんじゃぞ?眠れそうなら寝ておくといい」
「はい」
「おやすみ、シゲル」
「……おやすみなさい」

 立ち上がり、部屋を出ようと扉を開いてからオーキドは少しシゲルの様子をうかがうと、シゲルは既に目を閉じて眠気にのまれていこうとしているところのようだ。少しすれば、穏やかな寝息が静かな部屋に響き始める。ほっとしたように息をついたオーキドは音をたてないように慎重に扉を閉め、廊下を歩きだした。




2009.4.15
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