17/空の下で-3






 日は高く、空は青い。気分がいいなあ、と思いながらレッドは風にさらさらと髪の毛が流れるのを気持ちよさそうに息を吐いた。

「なんかたくさん買っちゃったなぁ」

 がさがさと揺れるビニールの袋の中にはたくさんの食材が詰め込まれている。人数がいきなり増えたのだ、食糧がなくてはどうにもならないとレッドとシゲルはマサラタウンで買い物をした帰り道だった。食事を作ろうとしたハナコが冷蔵庫を開けた時の怒声にも似た声は今でも耳に残っている。育ち盛りの男の子がいる家の冷蔵庫じゃないわ、とオーキドに文句を言いに行きかねないほどの剣幕だったのである。

「はは、家に何もなかったんですから仕方ないですよ」
「ママさん、本当こわかったよなあ。…いや、それにしても申し訳ないな、なんか」
「いえ、大丈夫ですよ、これくら――…?」

 ――霧、だ。
 あと少しでオーキド研究所に着くというのどかな道の上に突然白い霧が立ち込め始める。レッドとシゲルはお互いを見失わないように距離を詰め、きょろきょろと周囲を見渡して警戒した。

「これっ…導術の霧です!!」
「うん、だよな…――あれ、もしかしてこれ…」
「最初からこうすればよかったな、探し回るなんて無駄足を踏んだ」

 聞こえてきた声にやっぱり、とレッドが瞬時に警戒を解いたことにシゲルは驚きながら、深い霧がゆっくりとまた晴れて行くその先から現れた人影に目を凝らした。

「グリーン!」
「へ……グリーン…?」

 霧が晴れ、再び青い空からは燦々と日光が注がれ、レッドは現れたその人――グリーンに駆け寄った。未だ合流していない仲間だということしか聞いていなかったシゲルはそのグリーンの容姿に少しだけ驚き、目を見開かせている。

「悪い、少し手こずった。遅くなったな」
「手こずったって…怪我とかしてないか?大丈夫?」
「大丈夫だ、そんなヘマはしない」
「そっか……まあ、お前に限って滅多なことはないと思ってたけどさ…」

 ぽかん、と気の抜けたような、肩透かしを食らったような顔をしたシゲルへとグリーンの鋭い視線が向いた。

「で、そいつがシゲル、か?」
「ああ、そうそう!こいつがシゲル。で、シゲル、こっちがグリーンな」
「えっと、研究所の…?」
「そうだ。レッドからお前の話は聞いている」

 なるほど、それならレッドがグリーンが霧を使うということを知っていたとしても何ら不自然はないし、容易に警戒を解いたことに対しても頷くことができるだろう。自分に向けられた視線はあまりに鋭く、同じく研究所から出てきたレッドやサトシとはまた違った雰囲気に気圧されそうになりながらもシゲルはグリーンと向かい合った。

「サトシたちと一緒に逃げてきたんだけど、ちょっと途中で別れちゃってさ」
「そっちの追っ手は大丈夫だったのか?」
「ああ、平気。シゲルがみんな伸しちゃった」
「そうか……なかなか強いんだな」

 いや、それほどでも、と少し困ったように笑いながらもシゲルには気付いたことがある。グリーンの周りの空気や雰囲気というものはとても研ぎ澄まされていて鋭利だが、それがふわりと和らぐ瞬間があるのだ。
 ――ああ、この人…レッドさんのこと……。

「サトシもハナコさんも無事だよ。今はシゲルの……オーキド博士の家にお世話になってる」
「……そうか、よかった」
「他のみんなは…大丈夫かな」

 小さく呟いたレッドの表情は曇っており、手に持っていた買い物袋を持つ力が少し強くなるのが見て取れた。グリーンはその姿を見て何も言えずに立ち尽くしてしまう。まだ、レッドに言えていてはいないことがあるからだ。伏せられた瞼の裏にちらつく影を払うようにまた目を開き、レッドの持っていた買い物袋をその手から奪った。いいよ、とびっくりしたように言うレッドをじっと見つめてやれば、申し訳なさそうに笑ってありがとうと言う。やはり手のしびれが少し悪化していたのだろう。

「…、グリーン?」
「いや、なんでもない」
「そう…か?――あ、そうだ!サトシたちにも教えてやらなきゃ!……あの、シゲル、こいつも連れて行って大丈夫か…?」
「あ、はい勿論…レッドさんが信用できる人なら」

 向き直ったレッドの問いにもちろん、と笑顔で応えるとさんきゅな、とまたレッドも微笑んだ。漸く安心できたのだろう、嬉しそうにしているレッドを見るとやはりシゲルも何となくほっとしてしまう。グリーンが合流するまでのレッドはどこか上の空で、そわそわとしていたから。

「サトシも喜ぶな!」
「さあ、どうだろうな?」
「喜ぶに決まってるだろっ」

 嬉しそうにグリーンの顔を覗き込んで笑うレッドにグリーン自身も安心しているのだろう、これからまたサトシが増えたら賑やかになる。この面子でこんな青い空の下にいられるなんてなんて幸せなんだろう、とレッドが思うのと同時に、グリーンも言葉にはならない、あたたかなものが胸中にあることを知っていた。

「あ…サトシ!」
「え?ああ、ホントだ。サトシー!」

 シゲル、レッドさん、と大きな声を張り上げながら手を振ってこちらに向かってくるのはサトシだ。それに応えるようにレッドが手を上げて振ると、ぱっと嬉しそうに笑って走る速度を上げたようだった。

「どうしたんだい、何かあった?」
「博士がさ、ノートもないから買ってきて…って……あれ?」

 駆け寄ってきたシゲルにオーキドからの頼まれごとを告げ、ふとその後ろに視線をやるとそこにはシゲルと同じく栗色の髪の毛を立たせたグリーンの姿が映る。何とも言えない表情のサトシにグリーンは表情を少し和らげた。

「久し振りだな、サトシ」
「グリーンさんっ!!よかった!無事だったんだ…!!」
「ああ。サトシも元気そうだな」
「ピカチュウもママも元気です!」
「よかった」

 頭を撫でるその温かい手を嬉しそうに笑みを浮かべてえへへ、とサトシは声をもらした。ほら、やっぱり嬉しそうだろ、とレッドが横からグリーンに言うとそうだな、と少し目を反らした。温かい感覚に慣れていない彼は照れているのだろう、レッドは嬉しそうに眼を細めた。
 ――なんだろう、もやもやする。
 ほんの少しどろっとしたものが胸の中に流れたことを自覚しながら、シゲルはその光景を見つめていた。

「レッド、今日はお前の家に泊まっていいか?」
「……ほこりだらけだぞ、多分…俺もまだ戻ってないんだよ」
「ならなおさら掃除が必要だろ、手伝う」
「…じゃあ、頼もうかな?」
「ああ、任せろ」

 ――気のせい、かな。
 シゲルは首を振り、そのどろりとした何かを忘れようとサトシに笑いかけた。

「とりあえず、博士のところに戻ろう、ノートも買って、ね」
「おう!早く帰って、ピカチュウと遊ぶんだ!!」
「そうだね」

 サトシの笑顔は眩しいくらいで、グリーンはそれを見つめながらゆっくりとレッドの手をとった。レッドは驚いたようにグリーンの顔を見たが、グリーンはそれについては何も言わない。サトシとシゲルが並んで歩き始めたのを眺めながら、ふたりもまた、並んで歩き出す。

「……明るくなったな、サトシ」
「うん、…初めて会った時が嘘みたいだ」
「本当に、良かった」
「うん。普通に笑えるようになってよかったよ。……グリーンも、な」
「…俺は…笑えてる、のか?」
「うん、前に比べたら、すごく」

 そうか、と言ったグリーンのその顔も笑っていた。笑うとはこうも簡単にできるものだっただろうか。そう感じながら、繋がれた手の温かさを今はごく純粋に感じていたいと思った。
 少しずつ、凍結した世界が溶けだし、いずれ春が来るように。
 また、新しい風が吹くのだろう。




2009.9.5
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