重たい音を立ててゴンドラの扉が閉まる。角が剥げて中身が見えている椅子は硬くって、座り心地があまり良いとは言えないそれにトウヤはとりあえず体を預けた。どのみちこれから10分近くはこの場所から逃げられないのだ、自分も、Nも。ふー、と知らず肺に溜めていた息を吐き出すと、窓に張り付いていたNの双眸が一瞬此方を向いた。凪いだ蒼い目は何を考えているか読み取れない。その癖、口許に刻んでいる笑みには、まるで此方の心内を見透かされているようだとトウヤは思った。
Nに訊きたい事はたくさんあった。今問題なのは、それがあり過ぎている事だった。何から訪ねればいいか、わずかに逡巡したが、結局トウヤは一番最初に浮かんだ物を訊く事にした。

「ねえ、N」
「ごらん、トウヤ。星が近くなったよ。今日はたくさん見えるね」
「……わざと?」
「さあ?」

そう言って白い指で宙をなぞるNは、一度目に乗った時の記憶よりも解放的であるように感じた。冗談だよ、と笑う声もどこか軽い。こっそり脇で拳を握った姿を見つけたのか、Nは一頻り肩を揺らすと、斜めへ向けていた姿勢を正してトウヤを見据えた。真面目な顔に戻ると年相応以上の気迫を持つNには、素直に感心する。膝の上で指を組んだNは普段よりも幾らかゆったりとした口調で言った。

「質問は観覧車が戻りきるまで、ね」
「――これから、どこか行くの」

口が答えを言うよりも先に、Nの双眸が瞬く。
ともすれば詰問をされるやもしれぬ覚悟で待っていたNに、トウヤが訊いたのは非常に軽い物だった。

「…もっと別の事を訊くのだと思ったよ」
「ああ、うん。まあ」
「行き先を教えたら、トウヤはついてくるのかい」

歯切れの悪い返事をかえしたのはトウヤで、質問を質問で返されているなあ、と感じながら考えるのもまた何故だか彼の方だった。一瞬間、悩んだトウヤは首を横に振っていた。その言動にNはまた目を見開く。予測していた結果と違うトウヤの行動は何時かのようで、ふーん、と鳴らした音はけれども楽し気な色を隠しきれてはいなかった。

「いや、Nの邪魔をするのも悪いし。ただ」
「ただ?」
「特に予定決めていないなら、もう少し話したいなって思った」

真っ直ぐ合わせたトウヤの目は、言葉に裏を持ち合わせている様子は見えなかった。唐突にゴンドラの内部が薄暗くなる。鉄柱の間を通り過ぎたゴンドラから外を覘くと、すぐ近くに地上が見えていた。

先に降りていくNの背中を見送りながら、トウヤは結局答えを聞き忘れた事を思い出していた。Nの事だからきっと、ゴンドラを降りた瞬間にでも飛び去るつもりなのだろうな。自分を待ちはしないだろう。そう思って、Nの半身が外に出た時点でトウヤは席を立った。ふいに追いかけようとした白い背中がぐるりと回ると、長い腕が内部に戻ってくる。一歩後退して仰け反るトウヤに、Nは外から不思議そうな顔をして腕を揺らした。

「トウヤ」
「あ、うん。ありがとう」

そうするのが当然である雰囲気に流されて、握手をするように手のひらを重ねると、Nの腕はトウヤが外に出てくるまで手摺代わりとなってくれた。繋いだまま歩き出すNに合わせながら、座っていた時は然程なかった身長差に、トウヤはNを見上げ訪ねる。

「N、行くんじゃなかったの?」
「夜も暗いし、はぐれたら困るよね」

噛み合わない会話をしながら滑るように指と指を絡め合わせて、手を繋ぎなおしたNは「そもそもね、」と続けた。

「ボクはトウヤにもう一度会いたくて、探しに来たんだ」
「なに、」
「トウヤ、ボクと一緒に来てくれますか」

ぽかんと口を開くだけで声の出ないトウヤに、Nはふふっと笑うと、握る手を揺らした。筆を入れたように赤みが差す頬を隠そうと、残った片腕で頭を覆うトウヤはやや置いて頷く。
十本の指が離れたら許さないとばかりに、繋いだ指先にきゅっと力を込めた。



サヨナラのかわりに
(本当はずっとこうしたかった)




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