女の支度には時間がかかる。
座り慣れてしまった、しかし自分の物ではない椅子を行儀悪く後ろへ傾がせて、ぎし、みしり、椅子から漏れる微かな軋みをBGMに、そろそろ十五分は経つだろうかと俺は窓の外を眺めながらでかい欠伸を噛み殺した。
まあ、来る前からなんとなく予想はついていたのだ。
貴未は時々、こんなふうに支度が遅くなることがある。
約束の時間に家まで迎えに来た俺に「えっやだうそどうしよう、ごめん錦くんもうちょっと待って!」とインターホン越しに貴未が慌てて言った時点で、なるほど今日は例のアレか、とすんなり受け入れ、諦めてしまえる程度には馴染み深くなった展開とも言えるだろう。
そうしてそこから先はなんというか、いつものように合鍵で俺がドアを開けると、ドアの前まで来ていたはずの貴未は逃げるようにバタバタと自分の部屋へ逃げ込んで行くし、聞こえるようにわざとらしく、貴未、またかよ、少し大きめの声で文句を口にしてみれば、ごめんね錦くん、もうちょっと待って、もうちょっとだから、そう部屋の向こうで焦ったように貴未がお決まりの台詞を返してきて、あーもう、ったく、仕方ねーなぁ。なんて、さ。
不機嫌そうなそれを装ってみても、その実、俺はほんのこれっぽっちも腹を立ててなどいないから、思わず笑いが漏れてしまう。
本当なら、もっとゆっくり準備したって平気なのだと、優しく言ってやる方がいいのかもしれない、そんなふうに考えることもあるにはあるが、俺は、俺と貴未は、これくらい気安くて、凡庸な、どこにでもありそうな日常を慎ましやかに過ごすぐらいで丁度いいと思うのだ。

「おっ…お待たせ錦くん…!」
「ったく…おせーよ、」

バン、と勢いよく開いた扉から現れた貴未は、身支度を整えていただけだというのに、何故だか外でも走ってきたような風情で肩で大きく息をしていた。
出かける前からもうすでにひどく疲れているようにも見えるのは、多分気のせいではないだろう。
俺は内心、笑い出しそうになるのを堪えるのに必死だった。

「錦くん、ごめんね…?」

けれどそれに気づかない貴未は、両手をあわせて、口数の少ない俺の方を片目を瞑って恐々と見上げてくる。

「……、仕方ねーなぁ」

深々、これまたわざとらしく溜め息を吐いて、頭をかいて。
まだ同じ格好でこちらを見つめてくる貴未の頭に手をやって、ピンと変な方向に跳ねた前髪を、軽く撫でるような手つきで直してやる。

「なあ、貴未」
「うん?」
「……ピアス」
「え?」
「それ、この間のやつだよな」
「、うん」
「やっぱ似合ってんな」
「…ふふ。だって、錦くんが選んでくれたのだし」
「おう」
「絶対、今日着けようって思ってたんだ」

だから、似合うって言ってもらえて、うれしい。
はにかむように、だけど小さな子供が悪戯に成功した時のようにも見える笑い方で、貴未が白い歯を微かに覗かせる。
それにつられて細やかながらも、ふと口元が緩んでしまうのはどうにも誤魔化しようがなくて、俺はなんだか負けたような気分を味わいながら、貴未の耳できらきらと光る青いピアスを眺めた。
(そう。女の支度には、時間がかかる)
(けれど貴未が約束の時間を押して支度に手間取るのは、決まっていつも、俺が選んだものを身につける時だった、)

「…で。どこ行きたいって?」
「ええっとねぇ…えーと、あははは、」
「って決めてねーのかよ」
「う…ごめんって!」

撫でつけてみてもあまり効果がないらしい跳ねっ毛を今度は軽く、痛みを感じたりしない程度に引っ張って、俺が片眉を上げて言うと貴未は手をばたばたさせて謝った。
こんな、くだらないやり取り。
だけど今までに何度も何度も二人で繰り返してきた、このありふれた、くだらなくも幸福なやり取りというやつを、俺はこれからあと何回、丁寧になぞることが出来るのだろう、。
きらきら、きらきらと貴未の耳で輝くそれを目の端に捉えながら、俺はぼんやり、考える。

「まあ、とりあえず…出るか」
「うん」
「飯は?」
「あ、まだ食べてない」
「じゃあ、飯食いながら決めるか」
「うん。ふふ、」

ぱっと笑顔になった貴未が俺の手を握って、俺はごくごく自然にそれを柔らかく握り返す。
そっと、細やかな日々を噛み締めるように。
繰り返す。

「貴未、」
「うん?」
「…なんでもねーよ」

言いながら、馬鹿馬鹿しくて、おかしくて、沸き上がる苦笑いが滲んでも、俺は貴未の手を離さなかった。
…いや、離せなかった。
いつまでも、きっとこんな日は続かない。
なのにどうして、俺はこんなふうに過ごすことが当たり前のように感じてしまっているのだろう。
手のひらの中の温もりにじわりと胸を満たされながら見つめると、貴未は浮かべた笑みを深くして、俺の微かに震えた手の形を確かめるように、ぎゅっと握りかえした。











蕀 と 小 鳥


2015.02.19




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