体育祭効果

強子の背中がトン、と壁にぶつかった。
ヤバい―――咄嗟にそう感じるが、目の前にいる男からは逃げられないのだとも確信していた。
彼は強子の背後の壁に両手をついて、強子を覆うように囲い込んだ。同時に、彼の顔と強子の顔が・・・僅か数センチまで距離をつめられ、思わず身をすくめる。
彼の吐息を近くに感じ、強子はカァッと顔を赤らめると呼吸をとめて、この状況を打開する策はないかと視線を彷徨わせた。


「なぁ、オイ・・・よそ見してんな」


そう言いながら、彼は強子のあごに優しく片手を添えると、すっと顔を上向きに持ち上げられた。
強子の目が、目の前の男とカチリと合わさる。


「ちょ、爆豪くん!?なにすんっ・・・」

「てめぇは・・・俺以外のやつばっか見てんじゃねえ」


その言葉に、その表情に、ハッとして強子は口を結んだ。
彼のそんな思いつめた表情、強子は一度も見たことがなかった。こんなに真剣で、余裕のない爆豪なんて、知らない。
なんだよ・・・彼の中の強子の存在が、いつの間にか、そんなにも大きなものになっていたなんて。ちっとも気がつかなかったよ。
爆豪はもう一方の手を強子の頬へ伸ばすと、彼女の輪郭を確認するよう、するりと指を滑らせる。そのやけに色気のある動きに、頬を上気させた強子はごくりと唾を飲みこんだ。


「・・・俺のモンに、とっととなれや」


爆豪の、少しだけ眉間にしわを寄せた端正な顔が、ゆっくりと近づいてくる。
強子はそれに抵抗することなく、彼をじっと見つめて、その唇が触れる瞬間を待って―――










「っっって、何でだあああぁぁ!!」


ガバッと布団を跳ね除けて上半身を起こすと、ぜぇはぁと呼吸を乱しながら、ぐるりと部屋は見渡し・・・ここが自分の部屋であり、自分はベッドの中にいて、今まで眠っていたことを把握した。
途端に、強子はふるふると小さく震えだして、


「おまっ、なんっ・・・なんっつう夢みてんの!私ぃぃ!!」


盛大に叫び声をあげた。


「ってかなんで、爆ごぉお!?どういうシチュエーション!?」


真っ赤な顔で頭を掻きむしるが、それでも気持ちは収まらず、強子は自分の枕をポカポカと両手で殴りつけた。


「っああああ・・・!!」

「ちょっと強子!昼に起きてきて叫ばないで!!あとバタバタ暴れない!!」


母親に叱られて動きを止めると、不服そうな表情のまま、重力に身をまかせ体を倒し、己の顔をボスンッと枕にうずめた。










「(最悪だ・・・)」


体育祭の翌日にあんな夢を見てしまったのは、きっと体育祭の疲れが出たせいだ。体育祭では、体力的にも、精神的にも、追い詰められることばかりだった。あの日は、強子も驚くようなことが山ほどあった。
人間の脳は、眠ることでその日の出来事の情報を整理するというけれど、きっと、心身ともに疲れた状態で整理するには・・・情報量が多すぎたんだ。
だからあんな素っ頓狂な夢を見せられたのだろう。

体育祭から二日が経った今、体育祭での疲れはもう癒えたけれど―――変な夢を見たせいか、学校に行くことに、気が滅入ってしまう。さらに、そんな強子の気分を代弁するかのように、どんよりと暗い空から、鬱陶しく雨が降りそそぐ。

悩ましいため息を吐いていると、強子の乗る電車が雄英の最寄り駅へと着いてしまった。電車のドアが開くと同時、憂鬱な気分を振り払うよう、勢いをつけてぴょんと駅のホームに降り立つ。
すると思いがけず、すぐ隣にいた人から声をかけられた。


「あのっ、身能さんですよね!?」

「・・・はい?」


そちらを見ると、知らない男性が嬉しそうに頬を緩ませて強子を見ていた。
なんだ、ナンパか?まず頭をよぎった可能性はそれだったが、


「体育祭、見ました!!かっこよかったです!」

「!」


その一言に目を見開いて、きょとんと呆けてしまう。


「あの!応援してます!握手してくださいっ」

「あっ、はい」


勢いに負けて、求められるがままに握手をかわす。
すると、周りにいた人たちも触発されたのか、わらわらと強子を取り囲むように人が集まってきた。


「ベスト8だったよね?惜しかったよなぁ」

「見た目は普通の女の子なのに、すごいパワーよねぇ」

「ってかテレビで見てた時も思ったけど・・・実物の身能さん、めっちゃ可愛いー!」

「それに、カッコイイ!!強個性のやつら相手に臆せず立ち向かってく姿は痺れたぜぇ!これからも頑張ってくれ!」

「なんたってオールマイトのお墨付きだろ!?」

「週刊誌にも載ってたよ――オールマイトの“秘蔵っ子”だとかなんとか!」

「将来有望だなぁ・・・期待してるよ!」


じんわりと、胸が温まる。
こんなにも強子を応援してくれている人がいるなんて・・・!
大勢の人々からきらきらとした瞳で見つめられ、手放しに褒めちぎられて、強子の頬にほわほわと熱がともり、口角がゆるゆると持ち上がった。
気づけば強子は、気の抜けるような、なんともだらしない笑顔になっていたようだ。
強子の表情を見つめ、ぽかんと固まっているギャラリーを見て、ハッと我に返ると、慌てて強子はキュッと表情筋を引き締める。それから改めてニコッと人好きするような笑顔を見せ、周りにいる人々に声を張り上げた。


「応援ありがとうございます!私、とっても嬉しいです!早くプロヒーローになって活躍できるよう、頑張りますねッ!」


体育祭では凄まじい勇姿を見せていながら、こうして無邪気に笑顔を振りまく強子はあまりに愛らしく、そんな彼女のギャップにやられたのだろう―――彼女を囲む人々は頬を染め、ほわんとした表情で彼女に見惚れていた。人によっては、わかりやすく目がハートになっている。


「(よし、首尾は上々・・・!)」 


雄英高校のヒーロー科の生徒は、全国放送される体育祭に参加することで、学生のうちから課せられるものがある。
それは“知名度”だ。
良くも悪くも、自分の顔も名前も個性も、プロになる前から世間に認知されてしまう。
つまり、民衆からの人気を博し、社会的支持を得る――超人気トップヒーローへの道のりは、すでに始まっているということだ。
今のうちから、強子の魅力を存分に振りまいていかなくてはならない。
誰もが気を良くするような耳ざわりの良い言葉、自身の可愛さを最大限に引き出す表情、相手を魅了すべく計算しつくされた仕草・・・強子の立ち振る舞いのすべてをもって、民衆の心を掴むのだ!

とはいえ、目の前の人々の様子を見る限り、それも難しいことではないだろう。今の時点でこれほど人々を魅了しているのだから、強子が超人気トップヒーローになる日もそう遠くはない。
強子は、内心でニタリとほくそ笑んだ。


「・・・ッサイン、サインくださいっ!」

「っえ!?あっ、あー、サインは・・・」


しまった―――早速、失策した。
強子の熱烈なファンを獲得するためには、非の打ち所のない、最上のファンサービスを提供したいところ・・・だというのに、強子はサインをまだ考えていなかった!
まさかこんな初手からつまづくとは!
どう対処しようかと内心で焦っていると、ぐいぐいと袖を引かれ、そちらを振り向く。


「強子ちゃーん!一緒に写真とろっ!?」

「僕も写真いいっすか!?」


強子にカメラを向ける者、強子とツーショットを撮ろうする者。それぞれが、僕も私もと強子のまわりにごった返している。
そのかなりの人数に「これ、全員をさばくのは無理だろ・・・」と時計を見ながら強子は顔を引きつらせた。


「あっあの、すいませんが、あまり時間が・・・」

「俺、握手したいっ!握手してー!!」

「私もーっ!」

「ちょっ!?危ないから押さないで・・・!」


まるで、超人気トップヒーローになったような気分だ―――なんて、もみくちゃにされながら、遠い目をして、現実から目を背ける。
オールマイトなんかは、よくこんな風にフォロワーやマスコミに囲われている姿を見るが、今の強子も、まさにそんな有り様である。
しかし、やっぱオールマイトはすげぇなと敬服する。
オールマイトならば、集まったフォロワーに対して完璧にファンサをこなし、かつマスコミへも笑顔で対応し、颯爽と去っていく。
だというのに―――強子は人混みに揉まれて、思うように身動き一つとれそうにない。まさか一般人相手に個性を振るうわけにもいかず、かといって女子一人の力で、この状況を打破することもできない。
一般人相手にこうも手間取るなんて・・・眉を八の字に下げて、強子は途方に暮れた。その時、


「ちょっとスンマセン!!」


目の前にズイと誰かが割り込んできたかと思うと、強子に背を向けて、彼が声を張り上げた。


「あのっ!盛り上がってるとこ申し訳ないんスけど・・・俺ら、そろそろ学校いかないと遅刻しちまうんで!もう行きます!!」

「「「え〜っ!」」」

「すいません!続きはまた今度ってことでっ!!」


その赤い髪の後頭部をぼけっと見つめて固まっていると、まわりの人々も、その人物が誰なのか気がついたようだ。


「あれ?君・・・『硬化』の切島くんだよね!?」

「トーナメント戦、男らしくてカッコよかったよ!」

「あざっす!これからも応援お願いしゃーっす!」


爽やかにそう言いながら、後ろ手に強子の腕を掴むと、切島は器用に人の合間を縫うよう走り出す。彼に腕を引かれ、強子も彼を追うかたちで、ようやくその場を抜け出せた。
後ろから「応援してるよー!」なんて声がとんでくるのを背中で受けとめながら、強子はほっと肩の力を抜いたのだった。






人だかりを抜け駅の改札も抜けると、彼と横並びに傘をさして、学校へ向けて歩き始める。


「切島くん、さっきは、ありがとう・・・助かったよ」


あの場から連れ出してくれた切島に、礼を言う。だが、強子のその表情は決まりが悪そうに曇っている。
先ほどの状況、強子ひとりでは何もできなかったことを、情けなく思う。ヒーローを目指している者が、救けるべき対象の人々に囲まれて、逆に救けられることになるなんて・・・なんとも滑稽な話だ。クラスメイトに恥ずかしいところを見られてしまったと、腰も引けるってもんさ。
しかし―――彼は、そんな強子の心情とは裏腹に、きらきらと底抜けに明るい笑みを強子に向けた。


「身能、すげぇ人気だったな!駅のホームでやたらと人が集まってるから、何ごとかと思ったぜ!やっぱアレだな・・・体育祭でも身能はガッツが凄かったし、アツい性格が好感もたれるんだろうな!」

「あ、うん、そう・・・かな?」


けろりと答えた彼の笑顔の眩しさときたら、直視できず、思わず強子が目をそらしてしまうくらいだ。降りしきる雨の中でも、彼のまわりだけは眩しく輝いている。彼の頭上には、虹でもかかるんじゃなかろうか。
思ってもみなかった彼の反応に、なんだか肩透かしを食らったようで、強子は当惑してしまう。


「いやぁ、体育祭の影響ってスゲーのな!!」


自然体で、純真に、顔を輝かせてそう話す切島。
そんな彼につられるように、強子の顔色も、じわじわと明るさを取り戻していく。


「うん・・・確かに、すごい」


確かに、全国放送された体育祭の反響はすごかった。
体育祭をテレビで見たという、中学までの友人・知人たちや、顔も知らないような遠い親戚からも、強子宛てにたくさんの連絡が殺到した。
先ほどのように、見知らぬ人々からの強子の人気っぷりも、凄まじいものだ。
この調子なら、ドラフト指名だって、強子はプロヒーローから指名をいただいてるんじゃないだろうか。


「けど、」

「?」


だけど・・・今、強子が何よりすごいと感心しているのは、


「切島くんの、天性のヒーローっぷりが、すごい」

「・・・はっ!?」


目を見開いて驚き、足をとめた切島。
そんな予想通りの反応を示す彼に、強子はにっこりと楽しそうに笑みを深めた。

救けてほしい場面に、当たり前のように現れて。
その場の誰にも、不快な思いをさせることなく救け出して。
救けたことに恩着せがましくなく、誰かをたしなめるようなこともしない。

以前から思ってはいたが、先ほど救けられた時に、改めて思った。
切島という人はいつだって、困っている人を救い、弱っている人を励まし、危機におかれた人を守り、間違っている人を正すよう行動する。
そうやって彼が誰かのために行動するとき、そこに下心や打算は一切なく、あるのは・・・どこまでも純粋で真っすぐな善意だけだ。彼の表情も、彼の言葉も、強子のように取り繕ったものではなくて、素直な、心からのもの。
それゆえに誰もが、彼を信じられるのだ。誰もが、彼に惹きつけられるのだ。


「・・・かなわないなぁ」


ねらったわけでもないのに自然とそれができるんだから、ずるい。強子の計算だかいご機嫌とりとは違う、天然モノだ。
雄英に入学してから、彼の人となりを見てきたけれど・・・切島の人間性を知れば知るほど、彼はヒーローになるべくしてなる男だと、そう思わずにいられない。切島ほどナチュラルに人を救けられる人、強子は他に知らない。


「ヒーローを目指す私が言うのも、おかしな話かもしれないけど・・・」


先ほどの――彼に腕を引かれて救けてもらった、あの瞬間を思い出す。
まるで物語に出てくる、乙女をピンチから守ってくれる勇者のような。囚われの姫を救い出す王子のような。
強子は嬉しそうにくしゃりと笑みをこぼして、噛みしめるように呟いた。


「・・・ヒーローに救けてもらえるって、嬉しいものだね」


自分ひとりの力ではどうしようもない状況。手も足も出せず、逃げ場もない窮地。そんな中で、自分の手を引いて、駆け出してくれる人がいる。絶望という暗闇から引きあげて、希望という光を与えてくれる人がいる。
強子の前世では、そんな存在に出会うことはなかったけれど―――今、強子の目の前には、そんな存在が確かにいる。
まるで物語に出てくるようなヒーローが、実在するのだ。
強子は、ぽかんとしている切島を見つめ、


「かっこよかったよ、ヒーロー!」


思ったことを正直に、ストレートに告げた。
強子も、彼のようにまっすぐで、自然と人を救ってしまえるような、そんなヒーローになりたい・・・いや、そんなヒーローになろう!
そうして強子が新たな目標を掲げていると、視界に映る彼の表情の変化に気がついた。


「切島くん・・・顔、赤いけど、」

「〜〜〜っ!」


彼の顔は、その髪の色と同じくらい赤く染まっていた。何かに耐えるよう、きゅっと口を結んで、目を見張っている彼。
そんな切島を見て、強子は意地悪い顔になり、口元をニヤリとひん曲げる。


「・・・なに、照れたの?」

「ばっ・・・!!」


傘の下から彼の顔をのぞき込んで問えば、耳までまっ赤にした彼は、パクパクと口を動かし、声にならない声で異議を唱えているようだが―――余裕なく動揺している彼に、強子は胸をキュンとさせた。
「かっこいい」と言われたくらいで、照れて顔を真っ赤にして、言葉が出ないくらいに慌てるとか・・・年頃の少年らしい素直な反応を、可愛いなんて思ってしまう。雄英に入ってから、こういう反応をしてくれる人がいなかった分、余計に胸の高鳴りは大きい。
それに何より、相手はあの切島鋭児郎だ。明るく気さくで、A組の中心的な存在で。さっきだって強子を救ってくれた、かっこいいヒーロー。
そんな彼の、健全で年相応な可愛らしい一面を見て、強子はつい舞い上がってしまい、ケタケタと嬉しそうに声をあげて笑った。


「(あの変な夢で見たような生意気な男より・・・切島くんの方が、よっぽど好感もてるわ!)」


それにしても、1−Aのクラスメイトときたら、どいつもこいつも一筋縄ではいかないな。
好感度ダダ上がりの目の前の人物を見ながら、強子は気を引き締める。
格好良さも可愛さも兼ね備えた人物は、強子だけじゃない。その上、生まれながらにしてヒーローの素質を持つような奴がいるのだ。
体育祭の効果で強子の名が知れわたり人気が出たとはいえ、これじゃあ少しも気が抜けない。ちっとも油断なんかできないぞ。
彼らと対等に張り合って、最高のヒーローになるためには・・・強子はさらに魅力的に、さらに強く、さらに向こうへ進み続けなければいけない。
そのことに気づいたなら、こんな所でちんたらしてられない。
早く・・・!早く学校に行って、もっと、たくさんのことを学ばなくちゃ駄目だ!


「行こう、切島くん!理想のヒーローに、なるためにッ!!」







少し前まで学校に行くことに気が滅入っていたことも忘れ、気合いを入れて教室に足を踏み入れれば―――なんと、あの轟が、彼の方から強子に話しかけてきた。
体育祭前だったらあり得なかった事に面食らいつつ、強子は自分が着実に前進しているのだと自覚し、その嬉しさから破顔する。

そんな幸先いいスタートを切って、職場体験編が始まろうとしていた。










==========

長らく体育祭で勝つことを目標に掲げていたから、体育祭後、燃え尽き症候群にならないか心配でしたが・・・切島特効薬に救われました。
明るく、前向きで、素直で、漢らしく、他者を思いやれる彼に感化されたかった。
1−Aの個性あふれる面々の中でも、彼が一番、いわゆる王道の“ヒーロー”っぽいと思うのです。



きっと、切島じゃないクラスメイトだったら、こんなスマートに救けてもらえなかったと予想してみました。

八百万→大勢の人だかりにオロオロして中心までたどり着けず・・・最終的に自分も人々に囲まれて抜け出せなくなる。

耳郎、上鳴とか→困惑する夢主を笑いながら写真に撮った上で、素通りして先に登校する。

峰田、青山とか→囲まれてる中心が自分じゃないことが気に入らず、アイツらわかってないなとか悪態つきながらスルーする。

常闇、障子とか→大変そうだなとは思うが、自分が出るまでもないかとスルーする。

緑谷→困惑する夢主に気づいてオロオロするが、自分が彼女を救けたら逆に怒られそうな気がして、スルーする。

轟→騒ぎに気づかずスルーする。

爆豪→目ざわりな奴らだと苛立ち、夢主ごと人だかりを爆破―――したいのをどうにか堪えてスルーする。


・・・スルーされすぎ。


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