彼はあの日涙を流したのだろうか | ナノ



気づいたら、あの夏から10年が経っていた。一番最後に景色がにじんで、視界の端にいた篠岡が崩れ落ちる。ほぼ全員が涙を流していた。俺はもちろん、あの阿部でさえ顔を歪めてしゃがみこんだ。忘れない、忘れることのできない夏がそこはあった。止まらない涙を拭い続けて、ふと前を見ると自分よりも小さな、けれど何よりも逞しい大きな背中。ヤツはずっと前を向いていた。こちらを振り返ることもなく、ただひたすらに目の前を見つめていた。泣いているのかはわからない、わかったのは握り締めたこぶしが白く変色していることだけ。周りが悲しみに暮れる中、ひとりだけ背筋を伸ばしてしゃんと立っていた。その光景が特別、脳にこびりついて離れない。


テレビをつけるとまるでそれが当たり前かのように流れてくるニュース、自分がこうして帰ってくる頃にも、世界のどこかで誰かが誰かを殺しているのかと思うとひどく遣る瀬無い気分になった。どうでもいい政治家の話を聞き流して、大抵最後にやってくるスポーツニュース。彼は今日もスポーツ誌の一面を賑わわせていた。10年前までは隣にあったはずの背中は、もう随分と遠くまで行ってしまった。長い間口にしていないその名を声に出して見る、「 たじま 」自分の声は思ったよりも掠れて、震えていた。映像の中の彼は満面の笑みでそこに佇んでいる。前に進んだのだ。俺の知っている田島悠一郎は、きっともう、どこにも存在していない。




彼はあの日涙を流したのだろうか