泣いていないでキスをしよう | ナノ



燐と喧嘩をしてしまった。燐に怒鳴られたのは初めてのことで、驚きのあまり身体が固まって動かない。それでも涙は自然と流れるもので、静かに頬を伝って床にこぼれ落ちる。燐は私を怒ったあとにどこかへ行ってしまった。呆れて出ていったのか、気まずさで出ていったのかはわからない。まず、どうして燐に怒鳴られたのかが私にはわからなかった。友達と出かけるためにやっと覚えた今時の洋服を着て、カラフルな化粧を少しだけ施して、それを燐にかわいいと言ってほしかっただけなのに。待ち合わせの時間はとっくに過ぎていて、ポケットに入っている使い古した携帯電話はもう既に鳴らなくなっていた。



「しえみ」



いつ帰って来たのか、燐の声が後ろからする。それに反応して身体が大きく揺れたが、振り向くまでには至らない。燐が私をどんな目でみているかが怖くて、振り向くことができない。燐の気配が段々近付いてきて、私の真後ろまできた。



「……しえみ」
「ごめん、なさい」
「しえみ、聞いて」
「私、燐に何かひどいこと、しちゃったかな」
「違う」
「ごめんね。でも私、わかんなくて」
「しえみ!」



震える声で続けられる謝罪を遮るように、燐が思いきり私を引き寄せた。高い燐の体温が伝わってきて、緊張が少しだけ解れる。首筋に柔らかな髪が当たってくすぐったい。燐がそのまま動くなと言うので、私は固まったままその場から動かない。



「しえみは悪くない」
「……じゃあ、なんで」
「……お前が最近、かわいいから、焦った」



言い淀んだ燐は、気恥ずかしそうに身じろぎをして私から離れた。何を言われたかやっと理解したときには私の身体も熱くて、相変わらず動けない。涙はとっくに止まっている。
しばらく俯いたままでいると燐がいつの間にか目の前にいて、私は、燐の顔、熱そうだなあと呑気にそんなことを思った。



「……お前はかわいいよ」



きっと私の顔も熱そうなのだろう。けれど、欲しかった言葉がやっともらえた。それだけでよかった。





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ハッピーバースデーしえみ