餞別は次の世の逢瀬 | ナノ


あと一息というところで春が滞り、長めの冬が訪れているこの頃はよく晴れ、空も青く澄みわたっていた。空気はひんやりと冷たく私の身を震わせるが今はその感覚すら恋しく、吐く度に白く染まる呼吸ですら心地よいものだった。目が覚めると体は軽く、いつもと違った雰囲気に自分自身の最後を悟った。不思議なもので、人という生き物は自らの終わりを知った時、逆に冷静になれる。頭はすっきりと冴えていて、目に見えるものすべてが眩しくいとおしい。



「窓を開けていただいてもよろしいですか」
「けれど、冷えてしまう」
「よいのです」



心配性な彼は眉間に皺を寄せ、しかし私の望みは叶えてくれる優しい御方。薄紅色の肩掛けを羽織らせることを忘れず、みずみずしい青との隔たりが取り払われた。冷たい空気が身体中を駆け抜け、痛いほどに染み渡る。これを感じるのも、この青を見られるのも、もうこれで最後なのかと思うと物寂しい気もするけれど、これ以上我が儘を言うと彼が悲しんでしまうから程々にしなければならない。


「…綺麗ですね」
「…ああ」
「世界は、こんなにも美しい」



きっと陽が沈む頃だと、何となく解ってしまった。途端にすべてのものが輝きを増した気がして辺りを見渡す。この部屋にも世話になった。寝具も、棚も、何もかも、一つ一つを目に焼き付けて、最後に彼を見つめた。私の様子を見て何かを感じたらしい彼が口を開く前に彼の手をとり、真っ白で今にも消えてしまいそうな自分の手でそっと包み込んだ。暖かい。


「…巴」
「わたしは、此の世を生きました」
「巴、もう」
「あなたと巡り会えて、本当によかった」



あなたの為に私は一体何が出来ただろうか。与えられていたのは私で、与えていたのは何もかもが彼。もっと尽くせばよかったと後悔してももう遅く、私にできるのは力なく手を握るだけ。透明な液体が流れ落ち、私の身体が震えたのに気付いた彼はしがみつくように私を掻き抱いた。こんなに強く抱き締められたのは初めてのことで、私は最後まで彼に何かを与えられてしまった。耳元で私の名を呼び続ける声に涙が止まらず、巴、と途切れた声に耳を傾ける。



「すぐに迎えに行くから、待っていて」


何時の日か、私を迎えに来てくださったその時、私も彼に何かを与えられればいいと強く願って目を閉じた。


「ええ、…いつまでも」


瞼の裏に、春が訪れた。




―――――――
現パロ