五万打企画 | ナノ
空いた右腕の行方





駆けていくあいつの背中を、ただぼんやりと眺めていた。


「っ‥ありがとう」

「ふらー、早く行け」


俺の言葉が後押しをしたのか、名前は勢いよく走り出した。遠くなっていくあいつを見ながら、俺は空しさみたいなものに苛まれていた。その場に仰向けになると、木の葉の間から不規則に差し込む光がきらきらと眩しかった。


「ふらーは自分やっしー‥」


俺も大概お人好しだ。落ち込んでるあいつにつけ入ることぐらい出来たはずなのにな。あいつのことになると自信なんてものは、いとも簡単に壊れていくんだ。ちくしょう、なんなんだよ、馬鹿じゃねえの、やってらんねえよ。俺はいつからこんなヘタレな人間になったんだよ。


「‥あー」


無意識に出てきた声はどうにかなるわけでもなく消えてった。気怠い。起き上がって髪をさわると砂がはらはらと落ちてきた。ああ、なんて鬱陶しい。慣れたはずのこの暑さも、今の自分も鬱陶しい。

すっかり日も沈んだ頃、重い体をなんとか起こして、帰路につく。家に着くなりばーちゃんが話しかけてきたけど、適当な返事をして自分の部屋に向かった。何も考えずにベッドに身を投げると思った以上に体が沈んだ気がする。
今頃あの二人は恋人同士にでもなっているんだろうか。当たり前か、両思いだもんな。ああ、眠い。疲れた。寝返りをうってうつ伏せになる。右腕がだらりと床に垂れた。このまま溶けてしまえなどと考えた今の自分はまともな頭をしていない。まったく誰のせいだよ。

ふと目を覚ますと、机に投げた携帯がチカチカと光っているのが目に入った。携帯を開くと「着信あり」の文字。誰からかは確認せずに、携帯の電源を切った。本当に大事な用がある奴は家にでもかけてくれ。そう思いながら、またベッドに身を投げた。

次の日、裕次郎とは部活で普通に話をした。あえてあいつの話題に触れないところを見ると気を使ってるんだろう。それが有り難いようなかえって苛つくような、複雑な気持ちだった。

名前には会ってない。







「凛!」


振り返ると名前がいた。俺は母親に買い物を頼まれた帰りだった。数日前に会ったばっかりだって言うのに、すごく久しぶりな感じだ。


「うお‥びびった、ぬーがやー」


名前は唇を噛み締めて俺のことを睨んでいる。意味わかんねえ。お前なんなんだよ、なんでそんな顔してんだよ。
俺はなんだか見ていられなくて、代わりに垣根から見えていたアカバナーをぼんやりと見つめた。


「電話、ずっとかけても出ないし」

「あー、ぶっ壊れた」


真っ赤な嘘だけどな。どうせ名前も気づいてるだろうけど。未だ携帯の電源は切ったままだ。


「家行ってもずっといないし」

「‥たまたまやんにー」


これは居留守。


「‥あたしの顔、見ないし」


ぱ、と思わず名前の顔を見てしまった。あ、やっぱ泣いてる。さっき顔を見ていられなかったのは今にも泣き出しそうな顔をしていたからだ。


「‥あたしは凛とこんな風になりたかったわけじゃない」


名前は拭いもせず、ただただ涙を流して俺を見ている。


「あたしは裕次郎が好き」


でも、と名前は続けて言う。さっきとは違って視線をはずすことはできなかった。


「凛がいてくれなきゃ嫌だよ」

「離れていくのは嫌」

「‥‥嫌いにならないで」


最後の言葉が消え入りそうな声だったから、思わず右腕を伸ばして名前を自分の胸に抱き寄せてしまった。左手に買い物袋を持っていなければ抱き締めていただろう。抱き寄せたときにふわっと名前の匂いがした。少しだけ早くなる鼓動。道端で何とも大胆なことをしたもんだ。


「やー、わがまますぎ」

「‥ごめ」

「‥なれるかよ」

「え?」

「嫌いになんて、なれるかよ」


お前にいくら振り回されても嫌いになんてなれない。お前だから何でも良くなる。お前だから許せる。じゃなきゃ、あの時背中を押したりしなかった。

胸んなかで名前がまだ泣いてるから、ポンポンと頭を撫でてやる。すると「ありがとう」と言いながら、少しだけ名前は笑顔になった。ああ、やっぱり好きだなって思うと、こいつのこと優しく抱き締めたいと思った。けど裕次郎への罪悪感と左手にある買い物袋によってその行動は泣く泣く阻止される。まあ、俺にはこの右腕一本分がちょうど良いくらいだろう。