庭球 | ナノ



昼休み、あたしは運悪く日直で、英語の先生にクラス全員分のノートを集めるように言われ、重いノートを職員室まで運んでいた。一階から二階をつなぐ階段の途中で、でかい図体した男が突っ伏していた。


「千歳、何しとん?」

「あ、名字さん」

「こんなとこででかい体転ばして、邪魔やで」

「名字さんもこっち来んね」

「無理、あたしこれ運ばなアカンのやから」

「残念」


そう言って千歳の横を歩いていく。寝転ぶ奴を横目で見て、足なげーなオイなどと思いながら職員室へ向かおうとした時、千歳が呟いた。


「せっかく面白いもん見れるんに」


面白いもの?それはちょっと興味が湧く。あたしはクラス全員分のノート(千歳除く)を床に置いて、千歳の横に同じように突っ伏した。


「あれ、それ運ばないでよかと?」

「ちょっとその前に用事が‥で、面白いものって何?」

「あれ」


うちの学校の階段はここだけがガラス張りになっており、中庭を見ることができる。あれ、と言われ千歳が指し示した方を見る。ほぼ真下に男子テニス部の部長(イケメン)とその彼女(べっぴん)が立っていた。


「白石と彼女さんやんか」

「当たり」


はたから見ると仲睦まじげに話しているようにしか見えないが、よく見ると様子がおかしい。ここは二人の真上ともあって、会話もちょいちょい聞こえてくる。


「こ、これは‥」

「喧嘩中ばい」

「ふおお!修羅場ですね!」


人の修羅場を見て楽しむなんて、あたしは相当悪趣味であると思った。しかし白石の彼女は美人ではあるが高飛車で、以前からあまり良い印象は持っていなかったため、心のどこかで好奇心を抱かずにはいられない。


「白石、彼女がたいが束縛するって悩んどったばい」

「へー、そうなん?」

「他の女の子と少し話しとっただけで怒るんと」

「うわ」


白石はかなり気が利くため、女の子の手助けをしている姿をよく目にすることがあった。それでさえあの彼女は怒るのか。恐ろしい。


「束縛しすぎるのは良くないけんね」

「ですね」

「名字さんも束縛は嫌いとね?」

「適度なら嬉しいけど‥あんまり酷いと無理」

「俺もたい」

「あ」


白石の彼女がバッと右手を振り上げた。あ、殴る。そう思ったとき、振り上げられた彼女の手はすでに白石の左頬をはたいていた。ここにいるとその派手な音でよく分かった。相当な力で殴られたらしい。昼休みの中庭で、まさに公開処刑だ。白石の彼女はすぐに走り去っていった。ごくり、思わず息を呑んだ。あたしと千歳の間に暫しの沈黙が流れる。


「‥白石もなんであの子と付き合ったんやろ」

「見てくれはかなりよかね、付き合ってからボロが出たとよ」

「あー、騙されたんやね、白石ノットパーフェクトやん」

「言えてるばい」


衝撃的現場を(故意に)目撃してしまった罪悪感はあっという間に消え、二人で爽快に笑っていた。ふと気がつくと下からもの凄い視線を感じ、見ると白石が左の頬を押さえながら、こちらを鬼のような形相で睨んでいた。


「あー‥千歳、あたし用事思い出した」

「奇遇やね、俺もばい」


その後二人で懸命に逃げたものの、白石に捕まり、それからの記憶はあまり残ってない。そういえば、英語のノートどうしたっけ。



甘い後の報復
(ノートは放課後まで階段に散らばっていた)