その気持ちに今は名前はないけれど
ゆるやかな授業。科目は、数学。眠くなりそうな頭をなんとか持ちこたえながら、奈月は授業を聞いていた。
ふと、斜め前にいる少女のほうを見る。横髪を三つ編みし、赤いリボンでとめている。奈月の友人であり、幼いころからの知り合い、匙谷えとわ。
懸命にノートをとる彼女の様子は、いつもと変わらない。一つ一つの所作が美しく、ずっと見ていても飽きないと感じる。ただずっと、彼女のことを見れたらいいと、奈月は思った。
ふと、えとわが奈月のほうへ振り向く。青と紫を合わせた瞳の色は、吸い込まれそうだ。一瞬見とれていた奈月だが、えとわは奈月が見ているのがわかると視線をすぐに逸らした。
――避けられている。
いつもなら、目が合うと手を軽く振ってくれる。それが、今では何もせずすぐに目をそらすのだ。しかも、三日前から。
三日前、避けられているとわかったときから奈月はなぜ避けられているのだろうと考える。思い当たるのは、以前彼女に自分の弟が好きなのかと聞いたこと。想い人がばれた照れ隠しで、いずれ落ち着くだろうか。
考えてもそれ以上のことが浮かばない。じっと考えながらえとわのことを見続ける。再会してからずっと彼女のことを見てきたが、考えがこれ以上浮かばずさっぱりわからなかった。
気づいたら、彼女がずっと傍にいた気がする。今使っているシャーペンは、えとわが選んでくれたもの。何を買おうか迷っていたときに、選んでくれた思い出深いもの。せっかくだしお揃いにしようと言うと、彼女は少し困ったような顔をしながらいいよ、と言ってくれた。
かなり昔のことのように思えて、奈月は落ち込む。寂しいと、思った。
今まで感じたことがないような想い。他の友人と似たようなことはあったが、そこまで気にならなかったしすぐに仲直りできた。たった三日、しかし奈月にとっては長い三日に思えた。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。手つかずのノートに気づかないふりをして、奈月はえとわに近づこうとした。とりあえず、謝ろうと。そして、また話しをしようと。
しかし、寸でのところでえとわが離れる。呼ぼうとしたが、彼女は軽やかに教室の外へと出た。
やはり、暫く離れたほうがいいのだろうか。今までずっと一緒にいたため、離れるのは寂しい。しかし、今は離れたほうがいいのだろうか。
えとわのいなくなったほうをしばらく見ている。誰かが奈月のことを呼んだ気がしたが、奈月は気づかない。
どこかで、歌声が聞こえた気がした。