風に流したはずのこと
西京駅。ただなんとなく降りたこの駅で、真佐紀はぼんやりとホームのいすに座っていた。
ただ過ぎ去っていく電車を見るだけ。体が疲れているためか、動きたくなかった。
「あれ、お兄ちゃん?」
ふと、真佐紀は声をかけられた。人が多いホームで真佐紀を見分けたのに少し驚きつつ、声をした方へ振り向く。すると、そこには案の定というべきか、『元』妹の菜津実が立っていた。
「どうしたの、そんなところで」
彼女もまさか会うとは思っていなかったのだろう、驚いた感じで近づいてくる。なんとなく電車を見てる、と答えると、菜津実はふうんとどうでもよさそうな返事をした。
「ねえねえ、せっかく久しぶりに会ったんだし、ちょっとお茶しない?」
報告したいことがあるし、という菜津実に、真佐紀はここでもいいじゃんと言う。しかし、菜津実はせっかくなんだしさーと譲らない。菜津実の性格を知ってる真佐紀は、仕方ないなあと思いながらいすを立つ。
「あのね、近くに美味しい喫茶店があるの。そこ行こうよ、ね!」
恐らく真佐紀の返答などあってないようなものだろう。何も答えずにいた真佐紀だったが、菜津実は気にせず先へ進む。気づくと彼女の手はしっかりと真佐紀の手首を握っており、逃がさないとでも言ってるようである。
逃げないのになあと思いながら、真佐紀はどんどん先を進む菜津実を見る。一年ぶりか、久しぶりに見る顔だ。懐かしいとぼんやり感じていると、ある店の前で止まった。
「ほらここ、紅茶とかすっごく美味しいんだよ」
菜津実は嬉しそうに言った後、店に入る。彼女の手は真佐紀の腕を握ったままなので、つられて真佐紀も店に入った。
中は、少し狭いがどこにでもある喫茶店に見える。しかし、よく見ると机やいす、さらにはかかっている音楽などが程よく合っており、入るものに心の安らぎを与えているように感じた。
店の人たちの案内により、真佐紀たちは窓際の席で座る。そして、二人はメニューを見ていた。
店の人に注文をした後、真佐紀は菜津実に話しかける。ただ、少し気になったこと。
「ところで、咲都季は? いつも一緒にいるよね」
菜津実の双子の妹、咲都季。そっくりなためか、よく入れ替わって色々な人を困らせていた。ふと過去のことを思い出し、真佐紀は懐かしさを感じる。
「ああ、今日は咲都季はお休みで私は仕事だったの。それで私は今帰宅途中」
何だそんなこととでも言うように菜津実は答える。確かに、同じ仕事場にいても休みがいつも一緒だとは限らない。そうだよねと真佐紀は呟くと、窓の外を見た。
人が多い西京駅近くでは、これから帰宅しようとしている人で溢れかえっている。制服を着た学生やスーツを着た会社員、着物を着た人たちが西京駅に入ったり出たりをしている。空は茜色に染まっており、真佐紀はそっと腕時計に目を落として時間を確認した。
お待たせしましたと言いながら、店員が頼んだものを置いていく。菜津実は紅茶、真佐紀はコーヒーだ。それではごゆっくりと言って去っていく店員を見送ると、菜津実は気だるそうに口を開いた。
「そういえば、みゆ姉が結婚したよ」
「そう」
はたして、表情に出ていないだろうか。わかっていたことではあったが、今こうして聞くと思いの外衝撃であった。
「あと、貴深子がなんかよくわからないアパート借りてる」
「そう」
「それですぐそこのヘブンイレブンでバイトしてるよ」
「そう」
ただ菜津実が言う言葉に対し、真佐紀はそうと答えるのみ。菜津実は何かを感じ取ったのか、しばらく言うと何も言わなくなった。
しばらく、二人はただ無言で目の前の飲み物を飲む。何も入れてないコーヒーはかなりの苦みがある。まるで自分の今の心境と同じだと思いながら、真佐紀は残ったコーヒーを一気に飲み干した。
「あれ、お兄ちゃんもう飲み終わったの?」
驚いたように言う菜津実に、真佐紀はもう帰ると言い放つ。どこか鋭さを持った言葉に、菜津実はそうか、とただ静かに呟いた。
「じゃあこれお金」
真佐紀は自分のコーヒー代を机の上に乗せると、席を立つ。はやく、この場から立ち去りたかった。
「うんありがとう。久しぶりに会えて、私はよかったよ」
早歩きで去ろうとしている真佐紀に、後ろから菜津実が言う。真佐紀は何も返さず、店を出た。
『家』に着くと、真佐紀は自分の部屋へまっすぐ行き布団に倒れこむ。
ずっと、菜津実の言葉が繰り返されていた。
わかっていたはずだ。これは叶わないのだと。さっさと逃げたのは自分のはずなのに。そんな自分がこんなことで。
あなたがほめてくれたこと、優しい笑顔を向けてくれたこと、そっと頭を撫でてくれたこと。全て、全てがもう手に入らないもの。
一生言葉にすることはできないこの気持ちを、ずっと抱え込むとは思いたくないけど。一度は離れて、でも傍にいたくて後を追い、そしてまた離れていくところを見たくなくて結局逃げて。
自分は臆病だなと自嘲気味に笑う。顔周りが、濡れている気がした。