花より甘やかに降るくちづけのこと
春ももうすぐ終わりそうな頃、彼女と出逢ってもう二ヶ月程経ってしまってたみたいだ、こんなにも季節が早いことに俺は驚いた。それは彼女に出逢ったからだろうか。
今日も彼女はいつもの定位置にいた、膝にきなこを乗せて無防備に瞳を閉じてうたた寝している。はじめて会った頃みたいに倒れてはいない。
「寝顔…天使みたいだ」
思えば声に出していた、薄く開いた桜色の唇に吸い寄せられそうになる。微かに聞こえてくる寝息が俺を安心に導いて微笑ませてくれる。
頬に触れると流れる髪、さらりと顔にかかるからそれを避けてこんなにも人に触れたいと思う気持ちが強い自分に驚かされる。そしてなぜかこんなに無防備でいる彼女にも腹が立ってくる。俺じゃなくてもこんなにも無防備にここで寝てしまうのだろうか。
一度だけ、と思って花びらが降るように優しく唇に触れた。
仄かに熱がおびて止まらなくなりそうになる。これを知ったら彼女は怒るだろうか。
それからまた寝顔から目を離せなくてじっと見つめていた。どれくらいそうしてたか分からなくなった頃なにか違和感を感じた。
「…ねぇ、起きてるでしょ」
「…」
「狸寝入りですかー?」
「起きるタイミング逃したんです…」
ふて腐れたように拗ねて彼女は口を尖らせる、いつから起きていたのか聞いてみるとあの魔がさしたことは気がついていないようでほっとした。いやほっとしていいのか?
彼女はよく寝る。話をしてても時々うつらうつらとなる。どうしてそんなに眠そうなのかと一度聞いたことがある、寝不足というわけでもなくただ寝ても寝ても眠いだけなのだと言っていた。あと寝る子は育つという言葉に忠実なのだと。その割に身長が小さいというと、気にしていていたのかその言葉は地雷だったのか足を思い切り踏まれて痛い思いをしたのでもう二度と聞くことはないと思う。
そしてその日、俺ははじめて彼女と一線を越えることになる。ぽつりぽつりと降り出した雨に俺たちは傘を持っていなくてお互いに家に帰れば良かったのに俺はそれをしなかった。
「わ、急に降り出したな」
「…うん」
「…ここから家どれくらい?」
「…」
「…聞いてる?」
「…遠くないって言ったらどうするの?」
彼女は試すような目で俺を見つめた、濡れた前髪がおでこに張り付いてあいにくの雨で散ってしまった桜の花びらをいくつか付けながら問うてくる。彼女の胸に抱かれたきなこは身体をすこし震わせていた。
「…遠くないって」
「…そう言ったら、」
そこから押し黙ってしまった彼女。きっと言おうとしてたのは、そう言ったら「家に入れてくれるの?」だろう。
俺も健全な男で、彼女も子供じゃない。ただの男と女なのだ。
俺の考えすぎかもしれない、何かの媒体の見過ぎで家に呼ぶイコールそういう事と子供じみた考えが染みついているのかもしれない。だけど。
「…そう言ったら、明日の朝まで帰さないけどいい?」
彼女の手に触れた、指先に触れると冷たかった。なのにそこから熱を持った気がした、そんな気がしただけかもしれない。俺の思い込みかもしれない。それでも蒸気する彼女の顔の熱と俺の心の臓の音が煩いからこれは俺の思い込みだけじゃないと思った。
そういうと彼女は首を縦にゆっくりと、こくんと動かして俺はその手を引いて家まで向かった。
とりあえずシャワーを浴びて落ち着いたころ、俺自身は全然いろんな意味で落ち着いてなんかいられなかったけど一度頭を整理していた。
あれはとりあえず了承を得たということだ、さすがに朝まで帰さないっていう意味を彼女が分からないはずない。とか自分に都合のいいように言い聞かせてた。そんなことを考えてたら後ろから声が聞こえて驚く。
「何してるの?」
「…いや、」
「これ、ありがとね」
「ん、ああ服…」
「…憧れてたんだ、こういう彼シャツ?って言うの」
「…ふーん」
「…素っ気なくない?」
「…そんなことないよ」
嘘、下手だなあと彼女は笑った。確かに憧れというか女性が自分のものを身につけているという共有感はいいなあと思ってたけど。意外と胸にきゅんとくるものがある。
「…ねぇ、私のことすき?」
そうだから家に呼んでくれたんだと解釈していいんだよね、と彼女が呟いた。彼女の声が部屋に響く、雨の音が小さくか細い彼女の声を消してしまいそうなくらい耳を傾けていないと零れそうな声だった。
「すき…だよ、なんで?」
なんでっておかしいかもしれない。だって俺たちはまだ付き合っても想いを伝えあったりもしてないんだから。だけどそう聞きたくなるくらい言わなくてもお互い惹かれているのは自惚れじゃなくわかってた。
「玉森くんが好きになった私はわたしじゃないかもよ、」
君がどんな風に私を見ているか分からないけどね、きっと私はそんないい子じゃないし誰かに好きになってもらえるような人じゃないよ、きっと。
そう寂しそうに言うから俺も考えた。きっとそれは俺にも当てはまる。
「俺だってそうだよ?」
好青年そうとかレッテルを貼られるけど実際そうじゃない、全てがそうじゃないと否定するわけでもないけど、きっと人間誰でも自分の中の理想像があってそんな人になりたいと作り込んですこし自分をよく見せたがるんだ。
「…真面目だ、いい子だ、と言われると、ほめられているはずなのに、なんだか苦しくなる。はっきり言えないことを優しいって言ってくれる人もいるけど、わたしは、本当は自分が人に嫌われたくないからそうしてるんだと思う。わたしは臆病な人間なんだよ。」
「…」
「…例えば自分で自分を嫌いと言うのは、誰かに嫌いだと言われることを防ぐため、誰かに言われたくなくて傷つきたくなくて、最初に自分で自分を傷つけることしかできない弱虫な私なの」
その話を聞くのに俺は彼女をそっと膝の上に乗せて向かい合って髪に触れて抱きしめて聞いていた、まるで独り言を言っていて聞かなくてもいいよと彼女がそんな雰囲気を出すから。
だから俺は重い口を開いた。
「…それじゃ駄目?」
「…え?」
「なんで弱くちゃ駄目なの?」
人間なんだから弱くて、誰かに頼りたくて当然。誰かに嫌われたくなくて当然なんだ。
「名前ちゃんが、自分を好きになれないなら俺が好きでいる」
「名前ちゃんが弱いって言うんなら俺が強くなる」
「名前ちゃんが臆病だっていうなら俺がそばで支えてあげる」
「それじゃあ…駄目?」
振り向いた彼女の瞳はぬれていた、だから目尻にキスを落としてそれから唇に触れた。触れるところから胸の鼓動が加速していって止まらなくなる。俺が君を好きな気持ち、そこから伝われって想いを込めてキスをする。
すると取らなくなって首筋、うなじ、胸、段々と求めていった。徐々に服を脱がしていくと恥ずかしそうに身を縮こませる。それにすこしだけ可愛くてふっと笑みがこぼれる。
「真面目な話ね、わたしはね…はじめて恋したのもキスしたのも玉森くんがはじめてなの」
その言葉でさっきの魔がさしたことにも気がついていたんだと知る。なんだやっぱり狸寝入りだった。
「玉森くんはきっと違うよね、それでもいいの。でもね、あなたにはじめに愛された人が羨ましくてすこし嫉妬してしまう」
だから私のはじめてが玉森くんって勿体無いなぁ、なんていうから。
「…酷い言われようだなぁ、俺じゃ駄目ですか?」
なんて笑って返すと彼女も花が咲いたように笑い返してくれる。
「嘘だよ、勿体なくないよ…玉森くんでよかった」
玉森くんに全部あげられるのが嬉しいと、わたしの全てを君にあげられて良かったと彼女は笑うのだ。
それから、私ちょっぴり出臍だし、胸は小さいし、子供の頃のひっかき傷とかもあってぜんぜん綺麗じゃないの、ごめんねと謝るから俺は全部見せてほしいと言った。俺だって見えないだけで傷なんかあちこちあるし、好きな人の見えない見せない傷を見せてくれるという嬉しさを彼女は知らないのだ。自分だけが知っているという、自分だけのものという優越感を。
「…見せて、ぜんぶ見せて。」
見えるところ全てにキスを降らせていく、すると彼女は言うのだ。
「どうして見せたくないものを見てわたしの全てを愛してくれるの?」
「わたしをすきだと全身でわからせてくれる」
「こんな人玉森くん以外知らない」
と。その言葉を聞いて心底、俺は君を好きになって良かったと思えたよ。
その言葉が俺が君を好きになった理由だって君はいつ分かってくれるかな。
fin .