生きる仕草が醜いなんて言って

砂糖菓子の恋人は珈琲のように、甘いものにはすこしほろ苦いものを対にするように人生すべてが美味しく頂けるわけじゃないらしい。


もしも、明日私が死んだら。
誰か「勿体無い人生だったね」と言ってくれる人はいるだろうか。

そして私自身勿体無い人生だったなあと思えるだろうか。きっと思えないだろう。

そこまでつまらない人生でもなかったし、最低な人生でもなかったと思う。だからこそ死ぬことにも生きることにも興味がない。

死ぬのは怖いし、生きるのも辛い。どっちを選んだって苦しいだけだから、私はすごく曖昧なところで今をなんとなく生きている。

ほんとうに何と無く。

だけどその中できみに出会えてきみに恋をしたのは私の中で唯一幸せな人生だったのかもしれない。


二十代半ばに仕事を辞めた。この歳で仕事を辞めるのにはわりと大胆なことをしたと思う、そして同時にそんな強気な私がいたのかと思うと不思議に思う。仕事も辞めたくて辞めたわけじゃない。

辛いし嫌だなあとは思ったけど辞めたいと思うほど嫌だったわけじゃないと思う。それこそなんとなく。仕事がなくなったら困るし、これ以外の仕事なんて出来ないだろうし、長く続けてるししんどくてもこれが当たり前なんだと思ってた。そんななんとなくで仕事をしていたからか怠惰な態度が表れていたのだろうか、向こうの会社からは雇用を外すことはできない。だから口でお願いするのだ。

退職願を出してくれと。それは事実上のクビということ。そして悲しくもなかった、ただあったのは焦り。この歳で仕事を無くすことに、それこそまるでもう私から何も残らないようなそんな気がした。


そんな時だった、家の近くの駅の喫茶店でバイトを募集していた。なぜか迷わずそこを選んでた。今までの人生、どんな場所でも逃げ道を探してた。

私はそんなに要領も良くないし機転が効くわけでもない、でもそんな時必ずするのが自分より下手くそな生き方をしてる人を探すこと。その人を見ては、自分は大丈夫、まだ出来てるほうだと言い聞かせる最低な人間なのだ。


だけどその喫茶店でバイトを始めるということは、自分の中にあった本当の劣等感を認めるということだった。どこか嫌だった、仕事を辞めても私が辞めたんじゃないと言い訳して、この歳で仕事に就いていないという世間の目が怖くて友達には前の仕事を続けてると嘘をついて。


そんな自分の情けない全てを認めて始めた仕事ははじめて楽しいと思えた。恐らくこの仕事が天職だった訳じゃないと思う。ただ自分で自分を縛っていたものから解放されて私はようやくこの世界で息ができたかのように生きれた気がしたからだと思う。


そしてそんな私の密やかな幸せ。

扉を開けると音がして、昼下がりの午後に彼はやってくる。すこし眠たそうな瞼をなんとか開けているといったような瞳で店内をぐるりと見渡して私を見つけて微笑む。


「こんにちは。」

そうやって挨拶を交わすのだ、低くもなく高すぎもしないすこし独特な彼の声は私の耳を熱くさせる、それはまるで熱にかけた砂糖が沸々とわくように。


いつものようにカウンターに座ると目配せをする、いつものやつでという事なんだろう。それだけで分かるほど訪れる時間も頼むものもほぼ変わりなく、それでいて私と彼の関係もはじめの頃よりすこしは心が近づいてるんじゃないかと思う。


「またバターコーヒーですか?」

すこし呆れながらそれを目の前に差し出すと狡い笑顔で彼は微笑んだ。


「だって美味しいから」
「どこのダイエット女子なんですか、」
「男でも飲むよ、普通に。」

彼が笑うたびに髪がすこし揺れる、ふわふわと寝癖だろうかはねているところもあれば、くるりと円を描いている髪もある。


「今日は髪セットしてないんですね?」

彼は違う世界の人、手を伸ばしても届かない人。だから好きになれた。この想いを言えないからこそ想うことだけは素直に認められる、好きでいてもいいと、だって好きだとは言えないから。

もしもこれが仕事場の人とかだったなら認められなかっただろう、変なところが強がりで人を好きになるという行為が恥ずかしく思える時がある。思い上がって勘違いして、この人私の好きなんじゃないかって勘違いしてしまいそうになる。だけど彼はない、私なんかを好きになる訳ないと分かってるから好きでいられるのだ。

それがすこしだけ切ない、もっと素直に恋ができたなら。もっと素直に人を愛せたなら私はこんな捻くれた性格じゃなかったのにと思う。


「今日は仕事、夕方からだから」

時間潰ししようとおもってと彼は言う。家にいたら静かすぎて寝てしまって夜眠れなくなるのだと。


「その為の眠気覚ましですか?」

すこし笑みを含みながら言うと彼は心中がばれたかのように罰のわるい顔をした。


「悪い?」
「いいえ、何か時間の潰せるもの…」

本でも読みますか、と問いかけると棚に目を向ける。店主がインテリアにと置いた本はいくつか有名な物があり私も咄嗟にそれに手を伸ばした。この本の中でお気に入りの一冊だったから、そして彼も同時に手を伸ばした。指先が触れただけなのにそこから熱を帯びて焦げるような想いがした、そう思うのは馬鹿らしいことなんだろうか。


「「あ…」」

重なる声は同時に視線も交差させる、それからお得意の笑顔でやわらかく微笑むのだ。私はこの崩れた顔が堪らなく愛おしい。


「これ、読んだことあるの?」
「はい、伊野尾さんは?」
「俺はないけどなんか気になって」

手を伸ばすタイミングが重なったことに偶然だね、と彼は言う。それから同じものに手を取ったことに彼となにか共有できるものがあるんだと知られて私は少なからず嬉しかった。


「これ砂糖菓子の街って言ってすごく面白いんですよ、」

そうなんだ、と表紙をまじまじと見る彼にだんな話と聞かれて私は口が止まらなかった。この小説は私も二年ほど前に読んだもので内容は簡単に言うとSF混じりの現実世界と非現実な世界を舞台にしたお話で最後は割と壮大な話だった。糖害と呼ばれる病に世界の人がかかっていき指先から甘い砂糖になっていく話で非現実的ではあるけれどそれが妙に現実的に描かれていてもしもこうなったらと想像するのが怖かった、主人公の男の子の最愛の人が段々と糖害にかかっていき、砂糖のように脆く崩れていく、指先はさらりと崩れてなくなり、最後は海に還す。彼は水に溶けていく彼女を抱きしめながら最後別れていくという話が、普通の男女の別れ話と違って愛し合ってるのに別れなきゃいけない理由がすごく切なくて、そして驚いたのが彼もその時糖害に侵食されはじめていて彼女を水に還してから自分も徐々に溶けていき同じ水に還るというひどく悲しい話だった。


すこし省略して彼に話すと面白そうといってくれた、ただ彼には彼と彼女が最後どうなるかは話していない。ぜひ彼に読んでもらって驚いてほしいという気持ちと、そんなすこし恋愛気味のものを私が読んでると思われるのは恥ずかしい。まるでそんなものを求めていると思われてしまうのは。きっと読んでしまったら知ってはしまうんだろうけど。


「これ借りていっていい?」
「はい、店主には私から言っておきます」
「ありがとう。」

席に戻ると一口分だけ残った珈琲が残っていた。入れ直しましょうかと聞くと彼は首を横に振った、今日はもうお帰りらしい。


「次、来た時返すね。」
「わかりました。」
「あと…」

残っていた珈琲をぐいっと一口飲み干すと私にそれを差し出す、私はそれを受け取って流し台でそれを洗う。すると彼はそのまま身体を傾かせて何も言わずに私の片腕を軽く引っ張って前のめりになった、正直洗っていたコップに水が跳ねて腕に掛かり濡れてしまって冷たかったけどそれどころじゃなかった。


急な衝動で目を瞑った、そして彼の熱を感じた。さっきの指先とは違うふわりと柔らかいその唇に。流し台に流れっぱなしの水音が妙に煩く感じたのは私も彼も呼吸を止めていて店も閑散としていたから。


「名前ちゃんがすきだよ、次来るときに返事聞かして?」

そう言って彼は出て言った。カランカランと涼やかな金の音と一緒に、残された私は妙に熱くなった唇を押さえて頭を必死で回転させた。


「…えぇ〜」

この感情に名前なんてあるのだろうか、わからないけど彼との出会いが確かに私を変えていく。嫌いな自分からすこし愛せる自分に。そして思い出すのは彼の柔らかい笑顔、答えは決まってる。わたしも彼が好き。でも。

次どんな顔をしてあったらいいのかわからなくてわたしはしゃがみ込んで膝をかかえる、濡れた袖が冷たくて頭を冷やしてくれないかなと思った。


fin .

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