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恋するアプリコット


小さいって可愛いからいいじゃん、とかいう奴。それはほんとに小さくて困る苦労を知らないから言えることだ。最初は届かないの、可愛いねなんていってた上司も時が経てば容赦なく倉庫の上のほうにあるってわかる資料を取ってこいっていう。それは別に仕事だからいいんだけどなんだかその最初は可愛いからしてあげるね感満載なくせして時が経つとそんなのお構いなしっていうのはちょっと納得いかない。まぁ人が足りないから仕方ないんだろうけど、人のああいう変わり身がいいところには結構うんざりしてた。

そしてなぜ今そんなことを思っているのか、それはまさにその状況にいるから。


つま先立ちをしてもわずかに届かない、自分の身長を恨んだ。そしてせめてあと指が5センチあったなら届いたかもしれないというのに。あいにく脚立は見つからない、定位置においてるのにすぐにどかす奴、そういう人にもさっきの言葉を言ってやりたい。小さくて困ったことがある人の気持ちを考えてと。



「あとちょっと…」

仕方ないから少しだけ棚に足をかけてといっても2センチほど。これで変わるとは思わない、棚が傾かないか心配だったけど人差し指でどうにか手前には持ってきた。けどパンパンに仕舞ってるせいで取れない。


「んしょっと…」

手が攣りそうになってきたときある手が横から伸びた。


「大丈夫、ですか…?」

それは有岡くんで心配な顔をして覗き込むようにしていった。それから取りたかった書類を取ってくれた、天使みたいだなあなんて他人事みたいに思っていると有岡くんはそそくさと去っていった。思わずお礼言うの忘れちゃった。

有岡くんは同期で入ってきたタイミングも一緒だけどあんまり必要最低限のことははなしていない、入社して半年も経つのに。有岡くんはいつも困ったような顔をしてるように見えてちょっとおっちょこちょいなのか怒られてるのをよく横でも聞こえてくる。でも一生懸命だしわざと間違えてるわけじゃないからそんなに怒らないであげてといつも心の中で思うのだ。でもその笑うと可愛い笑顔と人懐っこさで許されていると思う。困ってる顔も笑顔も可愛いくて身長も男性にしてはあんまり高くない、わたしとそう変わらない気がする、だから彼がちょっとかっこよく思えた瞬間。

だけどやっぱりすこしだけ背伸びして取ってくれたことに気づいてしまっている。それでも嬉しい、だって何も言わずさっと取ってくれる彼の背中をまだ目で追ってしまうんだから。




仕事の帰り、乗っていた車両に有岡くんが乗ってきた。正確には車両移動したんだろうけど。目が合ってしまったのでお互い挨拶して初対面みたいな会話をした。


「電車同じだったんだね…」
「そうですね、知らなかったです」

ごめんなさい、ほんとは何回か会ったことあったけど話しかける勇気もなくてあっちも私に気づいてないようだったからわざと車両の端、すこし斜め後ろから見てた。


「どこに住んでるんだっけ?」
「あ、王子駅」
「うそ、俺東十条」

一駅しか変わらないことには初めて気がついた。いつも私のほうが先に降りるから知らなかったのだ。



「今日はありがとう」

なんか私うまく敬語使えてる?
というか敬語が正しいの、それとも同期なんだしタメ口?
よくわからないことで頭は実は真っ白で脳は全然機能していなかった。


「ああ、全然そんなの…」

いいよ、と言おうとしたんだろうか。急にブレーキがかかって車内がゆれる、扉を背にしてた私はドンと鈍い音がすると軽く頭を扉にぶつけた。だけどそんなことより動揺したのは同じくドンと激しく音がしたのが真隣だったから。衝撃で一瞬目を瞑って開けると眼前に有岡くんの顔。こんな至近距離はじめて…



「ご、ごめん…」

正面に立っていた彼はバランスを崩して私のほうの扉に思わず手を突いた、それから慌てたように謝った。顔が近いこともそうだけど体も近いわけで決して触れ合ってはいないその感覚に思考回路が溶けてしまいそうだった。いわゆる壁ドン的なものをされていてテレビの特集で言ってた今女子校生のあいだで流行っていることがまさか自分に起きようとは想像だにしなかった。というかいまさら流れる「激しい揺れにご注意ください」っていうアナウンス遅すぎだよ。


「ううん、大丈夫…?」

なんか有岡くんのペースにつられて自然な口調で話せてる、それが不思議だった。それから離れていくのがなんとなく寂しい気がした。

わたし有岡くんが好きなんだ、いつも見てたから。好きになった瞬間なんてわからない、だって気がついたら彼を目で追いかけてた。

いつも何か話すきっかけないかなって探ってた、好きになっても想いは募っていくのになんにも出来ないまま。一度くらい勇気出してみてもいいかな。嫌われたっていい、そう思わないとそんな行動には移せなかった。



「そのままでいて…」

案の定、有岡くんは何を言われたのかわからない状態。


「…え?」
「謝らないで、そのままでいて…」

スーツの裾をつかんだ、ちょうど目線を下ろしたその先に。やっぱり嫌われちゃわないかな、気持ち悪がられたりしないかなって怖くなったけどそれよりもこのままで居たいっていう気持ちが強かった。



「…なにそれ」

いつもよりその言葉は声が低かった。幻滅?嫌われたかな?そう思って涙が滲みそうになる、それこそ面倒な子だって思われる、そう思って必死で我慢した。


「ごめんなさっ…」
「…それ期待していいってこと?」

次に言った彼の言葉の意味がよく理解できなくて顔を上げる、すると今までに見たことのない顔をしていた。すこし照れくさそうに頬が緩んでそれを手で隠してた。



「なら…遠慮しないよ?」

彼の男らしい部分をどうやら私は知ってしまったようです、ふわりと唇に何かが触れていてそれがくっついているものと同じだとわかるのに時間を要した。それから終電とはいえ人がいないわけではない人の目がになって彼も顔を染めながら電車を降りた。気がつけば王子駅だった。


「あ…あのっ」
「取り消しはなしだからね?」

繋がれたままの手、それからまた二人して真正面に向かい合う。その瞳に私が映ってる。なんだか違和感を感じた。



「…俺のことすき、ですか?」

そこで敬語になるのずるいなって思った。


「っ、」
「…俺は好きだよ、ずっと前から」

冷たい風にさらされて体は冷えていくはずなのに今は全然で、寧ろ温かかった。繋がれた手をそっと両手で包まれてまた顔を近づけてくる。



「…ぅ、ぁ」
「名前ちゃんは…?」

情けない声を出してしまった、子犬のような顔で見つめられて視線を無意識にそらさせてくれない。意外と強引…だってことも知ってしまった。


「わ…たしもっ」
「なに、ちゃんと言ってくれなきゃわかんないよ?」

「…っぅ」
「なに…?」

「わたしも…有岡くんのことがすきだよ」

そういうと自然と口を塞がれる、まるでそれ以外言わないでと言ってるみたいに。熱いキスを交わしてここに人がいなくてよかったけど足音と誰かの話し声が聞こえてきた。それで胸を軽くたたく。でもやめてくれない。


「…誰か、き…ちゃうっ」
「…うん、でももう少しだけ」

このままで。ってそれ私のさっきの言葉。結局ギリギリになるまでやめてくれなくて人が来るとまた手を繋いで階段に向かう。顔は染まったまんま、お互いに。恥ずかしいくせに大胆なんてなんかずるいなあ。



「…送るから」

それだけ言って家まで送ってくれるとまた別れ際にキスをした。有岡くんって一度その気になると大胆になるタイプなのかな。

頬に手を添えられて触れ合うまるで確かめるようなキスは味なんてわからないけど甘くてあまくて溶けてしまいそうだった、現に唇の皮がむけちゃいそうなくらいキスをした。だけどねそのひりひりした痛みも愛しくてそっと熱が残っている唇、火照るからだが冷めないままその日はあんまり寝付けなかった。




「もうちょいっ…」

「…ん、」
「あ…ありがとう」

また今日も資料室で書類をあさっていると有岡くんが来て取ってくれた。でも以前と違うのは…

取ってくれたはずの資料を渡してくれない、不思議に思って横を向くと触れる唇。またあの熱い温もりがよみがえる。


「だ…だから職場でキスは」
「お礼…くらいはもらっていいじゃん」

そういって持っていた書類を渡してくれるとそのまま資料室を出て行った。こっちのことはお構いなし。火照る顔を冷ますのに時間がかかってしまう。


「…ばか。」

ぼそりと呟いてそれでも顔が笑んでしまう。きょうは金曜日。

金曜日はお互いの家でご飯を食べるのが習慣になっている、それからたまに泊まりになることも。だから今日、期待してもいいですか?


恋するアプリコット
( あんずの花言葉はね、臆病な恋。)
( でもたまには期待してもいいですか? )

fin .





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