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枯れてしまった色すら愛しくおもう


彼女のことはきっと不謹慎にもはじめて邂逅した時から惹かれてたんだと思う、思うというのは自分に自信がないから。はじめて彼女と出逢ったときは酷く動揺していたから。でもそれが少しずつ自分の中で確かになっていくのが分かった。


あの日、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。雨に濡れることすら厭わず救えなかった母親の崩折れた体躯を眺めるだけで。触れるのが怖かった、もう息はしていないとわかるのにそれを自分が理解してしまうのが嫌で。

そんな時、小さな音がした。まだ夕暮れだというのに真夜中のように閑静だった中に傘に雨音が触れる音がただただ響いていた。だから無意識に目を向けた。そこには息をするのも忘れたような彼女がいた、一気に顔が青褪めていくのが伝わった。

その時にふと思った。
彼女は証言者になるのだろうかと、そしたら僕はなんて思われてるんだろうと。だけどそんなのはどうでも良かった。

僕が犯罪者だろうと加害者だろうと被害者だろうと、何でも良かった。この悲しみを超える痛みが欲しかった。僕をこれ以上に傷つけて目を逸らしてしまいたかった。それなのに名前も知らない彼女は知りもしない僕の手に触れた、気がつけば雨ももう僕には触れていなかった。傘を傾けて俺の身を護ってくれていた、だけどその優しさが余計に痛みに染みて目を瞑りたくなった。今起きていること全てが何分か前に戻ってやり直せたならいいのにと。


驚いたのは其れだけじゃなかった。
葬式用の花を買いに駅前にある花屋に行くと一昨日会った彼女が偶然にも其処にいた。

あの後彼女は警察に何を聞かれてなんて応えたんだろうと聞きたかったがその言葉は飲み込んだ、なんとなく聴きたくなかったから。自分がどう思われようなんて、今更すこしでも誰かに弁解してほしいと少しでも自分はいい人間だと肯定されたがってる自分に気が付いて嫌気がさしたからだ。

彼女は努めて何もなかったかのように微笑んでくれた、どうして会ったばかりの名前も知らない俺に優しくしてくれるんだろうと思った。

もっと軽蔑した目で見てくれれば俺は自分を傷つけられたのにそれが出来ない。少しでも誰かに許されたいと身を寄せたいと思ってしまう。

一瞬、彼女の肩越しで笑い合う自分を想像してそんな気が触れた狂った考えを捨てた。

だから花束を受け取ってその場を去った。だけど彼女が包装している間に目に触れた人員募集の紙に心を揺らす僕がいた。


葬式は案外簡単に終わった、人を弔うのはこんなにも呆気なく終わってしまうのだと寂しくなりながら。火葬するまでの間に食べた弔う人の想い出話に花を咲かせて食べる食事が気味が悪かった、誰も彼も惜しむべき人間だと口々に言う。母が死んでから。

それなら何故もっと必死に俺達を助けてくれなかったのか俺は腹の底から憤怒を感じた。そして同時にどうしてそんなに早く想い出にできるのか謎だった、俺に取ってはまだ昨日のことで母親はまだ想い出の人じゃ無いのに。その周りの人の中の想い出の人という消化の早さに俺は反吐が出そうだった。


一人で帰ったあとの家は静かさが増していて寂しくてさみしくて涙が溢れる。ああ、これは一人で留守番さえ出来ない子供と何ら変わらない。そうだ、俺は一人でなんか生きられない。

そんな時、ふと思い出したのは彼女だった。

名前すら知らないあの日逢った彼女、今日咲ってわら   くれたあの子。

きっとこの想いは勘違いだとわかってる。すこし弱ってる時に優しくされたから、こんな状況だから寄り添ってくれた彼女に縋ってしまいたくなってるだけだと自分でもわかっているのに。

無意識にいや本当は意識的に駅前のあの場所に向かって走っていた、息が乱れて切れて苦しい。普段運動なんかしてなくて華奢だとよく言われる自分の身のこと等わかっていたが余裕なく急き立てられるように脚を動かしていた。

そして当然の如く閉まっているお店に貼り付けられた貼り紙に縋るように文字を指で謎る。あと数時間もすればお店が開く、其れなのにそんな数時間さえもう待ち切れず其処に温もりなんてないのに彼女の面影を思い出してその文字を愛おしく思う。ああ俺は本当に狂ってしまったのかも知れない。

誰かに愛されたくて堪らない、一人が寂しい。


目を瞑り、息をする。呼吸音と心拍音が重なり自分を保てなくなりそうになる。

ちゃんとしなくては、生きる為にはお金がいる。働く為には必要な物がいる。ちゃんとこの脚で立って生きていかなくてはならないのだ、自分で。

その時、いつも口癖のように言っていた母親の声が頭に響いた。いつもはもう飽きるほど聴いて嫌になっていたのに今はその声が酷く懐かしい。


「慧、慧ならなんでも出来るよ…」

ねぇ、でも母さん。
俺はそんなに器用じゃないし何も一人じゃ出来ないんだ。母さんがいないと何も出来ないよ。

一人でなんか大丈夫じゃないから今、側にいて欲しいんだ。

色褪せた枯れてしまって茶色に変色した紫陽花が雨に濡れて音をたてる、それがまるで僕を皮肉に嗤ってるような気がした。僕の犯した罪を嘲笑うかのように。

fin .





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