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貴方のその優しい嘘をなぞるのは悪い癖ね


人生には何故、と思うことがたくさん転がっている。それは運命なのかもしれないし必然なのかもしれない。

隣りで鼻唄を歌う彼を見て未だに困惑している、それが日常化になって溶け込んでいるのがより謎で頭が痛い。


また逢うとは思っていなかった、けれど今回は偶然ではなく意図的にだった。二ヶ月程前、あの日出逢った彼が気まずそうにでも何を考えてるかわからない柔らかい雰囲気を纏って飄々とこのお店に来たのだ。それはお客さんとしてはなく、店の前に貼っていた紙を指差し邪気ない顔をして。


「これ見て来たんですけど…」
「…ああ、はい」

核心をつきたかったが、それは何故数ある中で此処なのかと、あれからどうなったのかと聴きたいことは沢山あったけれどどれも聴けなかった。


「…経験とかなかったら駄目ですか?」
「あ、いえ人手が足りてないのでやって貰うのはすごく簡単なことばかりなので大丈夫なんですが…」

何度かあってるのにお互いが核心に触れられない所為で他人行儀な感じが違和感を感じる。なんというか余所余所しい。

しかしそれから殆ど毎日のように通うようになって話してみると初めて遭ったときとまるで印象が違い驚いた。飄々と嗤い、すこしお調子者のような子供みたいな人だった。


「伊野尾くん、そこの棚の上にある包装紙降ろしといてもらえるかな?」

彼の名前は伊野尾くん。三度目の邂逅でようやく名前が知れた。彼とはじめて逢ったのは梅雨の時期だった、今はもう夏も終わりを迎えようとしているお盆の時期。この時期はお墓まいりをする人もいて割と忙しい。


「どれ、これ?」

振り返ると彼の後頭部が見える、男性とは思えない高い腑抜けた声で応じる。だけど身長は意外と高くて後ろから見ると華奢だけどやっぱり男性なんだなと再認識する。


「うん、それ奥にもあるから二つ降ろしといてくれると助かります」

こういうとき脚立を使用せずとも取れる彼に助けられる、前までは自分でしてたからなあ。おばあちゃんと一緒の時は勿論私が脚立を使って取っていた、一度私が居ない時に無理して取ろうとしておばあちゃんが椅子の上から落ちて怪我したことがあった、それからは必ず私に声をかけてと言うようにした。だけど伊野尾くんが来てくれてからちょっとした雑用とか重労働的な役割は彼がしてくれてるので助かる。だけど大抵がその後疲れたと言ってよく椅子の上でへばっているけど。

私は以前からしてたから私も手伝おうとするけれど、殆ど彼がしてくれる。別に大丈夫なんだけどなあと思いながら彼に甘えてしまっている私がいる。


「うわっとっと、」

だけど華奢で非力な彼は見てるこっちが心配になるし、寧ろ手伝おうかと声をかけたくなる。


「非力っ…」
「笑わないでよ、あと非力じゃないから」

こんな細い腕してる名前ちゃんに言われたくないよと手首を掴まれる、その手は細くて綺麗なのにすこし浮き出る血管が女の私とは違ってすこし意識してしまう。


「そ、うかな」

意識してしまっている自分が恥ずかしくて目を逸らして曖昧な態度をとってしまう。これはきっと恋とかじゃない、今まであんまり男性とは縁がなかったから変に意識してしまっているだけだと自分に言い聞かせる。そう考えると出逢ったあの日にどうしてあんなに度胸があったのか自分に問いただしたいくらいだ。


「ほら細さは変わんないかもだけど、握力とかさ」
「わ、わかったから離して」
「なんで、無駄毛処理してないとか?」
「な、違うから」

心配りのない奴だと思いながら彼の適当で失礼な発言に怒りを覚える。


「ごめんって、はいこれ。」

その謝りにはすこし足りとも詫びの気持ちが入っていない。そう言って取ってくれた包装紙を渡してくれる。

「…ありがとう。」

気まずそうにそう言うと彼は私の手に目線を落としたまま。

ああ、まただ。いつも飄々としているのにたまに彼はこういう瞳をする。憂いを帯びたどこか遠くにいってしまいそうな瞳を。考え過ぎだって馬鹿だって思うかも知れない、だけど今にも彼が消えてしまいそうなそんな気がするのだ。だから私は声を出す、この世界をちゃんと視てほしいから。


「さ、補充終わったら今日は終わりです」

明日の準備してはやく帰ろうと言う、遠回しに明日もちゃんと寝坊しないで来るんだよってちゃんと来てって、此処にいてって伝わるように。


帰り支度の準備をしている時、彼が声をかけてくる。すこし聞きづらそうに、そういう所にはどうやら気を配れるらしい。


「今日は行くの?」

おばあちゃんの所、と聞いてくる。バイト募集を雇った理由を説明したときに伊野尾くんには今祖母が入院していることを話した。すると替えの着替えを兼ねてお見舞いに行くときに彼は付いてきてくれるのだ、関係ないのに。

そういう所は優しくて人想いで、すきだ。


「伊野尾くんは、つまんなくないの?」
「何が?」
「だって伊野尾くんには関係ないのに付き合ってくれて…」

病室でも三人で話をしてくれる、知りもしない他人の私の祖母だと言うのに。人あたりが良く愉しそうに話をしてくれるのだ。柔らかくくしゃっとした笑みで。


「名前ちゃんは俺のバイトの今は店主で、その店主のおばあちゃん。」

それって俺関係ないって言うのかなあとあえて軽々しい口調で応える。

「…でも、」
「それってもう関係なくないよね、」

出逢いなんて突然だし、すこしの繋がりでも関係なんて出来るんだと彼は言う。


「…だから俺が今こうして名前ちゃんと居るのもあの日一緒に居たからだよ、」

そういってすこしだけ核心に触れた。あの日の話はお互い思うだけで未だに何も聞けていない、だけど感慨深そうに彼は視線を下げて呟いた。

外に出ると雨が降っていて私は傘を広げる。


「え?」
「…え?」
「なんで持ってるの?」
「なんで持ってないんですか?」

「いま今日雨降るなんて言ってたけど朝だけって聞いてたし、もう降らないだろうって思って」

そんな言い訳を散々聞いたところで私は呆れて溜息をつく。仕方ないから一つの傘で彼も入れてあげることにした。


「…なんでもっと大きめの傘持って来なかったの?」
「なんで傘を持ってきてない人に言われなくちゃいけないんですか?」

散々の災難だ。そう思いながらこんなに伊野尾くんと近いのはあの日以来でそういえばあの日も無意識に一緒の傘で…なんて本当にあの日の私は度胸があったなって思う。知りもしない人の手を握りあまつさえ傘を差し出したのだから。だけどあの日は其れどころじゃなかったから。


「…名前ちゃんこっち、」
「…え、」
「濡れるよ、」

そう言ってすこしだけ手首を掴んだ、それはすぐに離れたけどその熱が愛しかった。だけど彼の手が冷たく感じた。熱い、熱いのだ、わたしの手が。

もうやだ、恥ずかしい。私ばかり意識して。


「…今のさぁ、」
「…?」
「なんかエロくなかった?」

濡れるよってなんかさ、なんて肩を震わして笑う彼に今度こそ本気で呆れて今の恥ずかしい気持ちは彼が人として恥ずかしいという思いに変わった。


「わたしは幻滅しました、」
「え、ひどくない?」

そう言って冗談交じりに帰る帰路はあの日には想像してなかったことだ。だけど触れそうになる彼の肩に、隣で歩く彼の足音に、伊野尾くんという存在に心が惹かれる。

関係なくないと言ってくれた彼の言葉が嬉しくて私と彼が繋がりをちゃんと持ててることに安堵した。


fin .





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