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いつかの溜息は夜に紛れていく


思い出すのは一昨日のこと、人の死亡現場を目撃してしまった私はあの後彼と警察に事情聴取を受けた。といっても私は見ただけで何も知らないから応えようがなかったのだけれど。気になるのはあの後彼がどうなったのか、大丈夫だったのだろうか。

そんなことを思い更けながら花の手入れをしていた。今日もあいにくの酷い雨だからお客さんはそんなに来ないだろうと高をくくっていた。駅前に構える小さなほんとうに小さな花屋が私のお店だ。といっても店主は私のおばあちゃんなんだけど最近身体を悪くして入院中で私が仮店主として勤しんでいる。だけど最近やはり手が足りなくてついにバイトを募集しはじめた。

しとしとと止まない雨を見つめてると傘の閉じる音がしてそちらに目を向ける。こんな天候にも関わらずお客様だ。


「いらっしゃいま…せ」

運命という言葉は可愛い少女漫画にしか存在していなかったかと思われたがどうやら現実でもあったらしい。そんなロマンチックな出逢いではないけれど。だって私たちはただの目撃者だから。どこのサスペンスドラマなんだか。


「あっ…」

そこにいたのはあの日雨に濡れていた私が心配していたその人そのものだった。お互いに固まってしまい何を話していいかわからなくなってしまった。だけどきっと二人とも聞きたかったのはあの後どうなったのか、だったけどその言葉は飲み込んだ。軽々しく聞いてよかったものなのかわからなかったから。


「供花ですか?」
「…あ、はい。」

「どちらにされますか?」
「よくわからなくて…見繕ってもらってもいいですか?」


「…亡くなられた方の好きな色とかはわかりますか?

雰囲気を暗くしないように努めて笑顔で問いてみた。すると憂いを帯びた顔ですこしだけ懐かしむように白と応えた。


「それならこちらの花で繕いますね、」

白い胡蝶蘭を手に取ると彼は残っている同じ花に優しく触れた。もともとなのか相も変わらず彼のその指先は色を失くしたかのように白かった。まるでその花に感化されたように。花を包んでいる間、無言になってしまったので努めて明るい声で喋ってみせた。


「すこしお値段がはるんですけど大丈夫ですか?」

あ、だからってわざと勧めたんじゃないですよと慌てて訂正すると彼がほんのすこし笑みをこぼした。はじめて見た彼の微笑む姿に愛想笑いだとしても私はすこし安心した。


「…そんなこと思ってませんよ、」

笑うときにその綺麗な指を鼻の下をなぞるように肩を震わせて笑うその姿がやっと彼の人間らしい部分が見れたとそう思えた。

包装し終えると袋に入れて手渡した。それを大事そうに慈しむように彼は抱えた、そう見えるのは私の目が大げさなのかもしれないが。



「すこし多めに大きめに包んでおきました、すべて白いお花で統一しています。なので出来れば棺全体に身体を囲うように敷き詰めてください。あとなるべく顔の周りに心持ち多めに飾ってあげると綺麗だと思います。」

葬儀用に花を買われる人の多くも顔の周りに敷き詰めることが多い、やっぱりどうしても安らかな顔で亡くなっている人は少ないからそれを隠すように花で隠すのだ。特にあの時見た死体はうつ伏せだったからきっとあまり綺麗な死に顔ではないだろう。それに彼自身も葬儀用の花はよくわからないと言っていた。この若さだし知らなくて当然だと思い伝えておいた。

包んだ花は白百合、胡蝶蘭、かすみ草。白を基調としたまるで不謹慎にも幸福の色だった。そして言えなかった言葉、白の胡蝶蘭の花言葉は幸福が飛んでくるって言うこと。


「そうなんですね、」
「あと最後に…亡くなられた方の胸元に一輪最後に添えてあげください。」

そうすることで別れても寂しくないよという愛しい人だけが行う所作があります、参考になればいいんですけどというと彼はもともと猫背なのか項垂れた姿勢で悲しみを帯びた顔で無理してすこし笑って見せた。


「…色々ありがとうございます。ほんとに」

そういってあの日とは違った黒いスーツに身を包んだ彼は振り返ることなく傘を広げて駅のほうに歩き出した。私はその背中をずっと見えなくなるまで見つめていた、猫背だからわかりくかったけど思ったより高い身長で、大きな広い背中なのにその後ろ姿は誰よりも弱々しく見えた。

私には関係があるのかないのかわからないけれど、彼が涙を流すなら今日が最後になればいいのにと思った。


fin .





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