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生きる仕草が醜いと嗤って


珈琲の恋人は砂糖菓子。寄り添うようにまるで調和するように其れは自然と対になって在るもの。

なら砂糖菓子の恋人は、其れと同じように珈琲なのだろうか。真っ黒い底の見えないカップに注がれて渦をまいている中に白い砂糖菓子を落とすとあっという間に溶けてなくなる。なんて儚いんだろう。


扉を開くと鈴が鳴る、小さな呼び鈴。それはまるで迷子の子猫につける鈴の音のようでそしてそんな眼で私を見るのだ。私はその瞳の熱に勝手に侵されている。

いつも注文を聞きに行く度に声が震える。この想いが伝わってしまうんじゃ無いかと。ひた隠しているつもりでも溢れ出す熱情が彼に伝わりそうで怖い。こんな醜くて端ない感情で彼を想っていると知れたら嫌われてしまいそうだから。

だって彼のその瞳に恋してる、その唇に触れたいと思ってしまっている、その長い綺麗な指先で触れられたいと望んでいる。それだけで私の身体全体が熱を帯びている。嗚呼、なんて疚しいんだろう。


「…ご注文は?」

分かっているくせに聞くのは私が店員だからだ。知ってる、彼が頼むのはいつも珈琲に角砂糖を二つ。


「…珈琲で。」
「…お砂糖はお二つで宜しかったですか?」

分かっているのに、知っているのに聞いてしまう。それは私が店員だから?

違う、こんな些細な会話でも彼と少しでも話したいから。何度お決まりの言葉を聞いても飽きないから。彼の男性にしては少し高めでそれでもその中に低い落ち着くような声の質にさえ私は焦がれている。


「…っはい。」

私がそう言うとすこしだけ微笑った、微笑ってくれた。まるで覚えてしまったんですねとそう言いたそうな顔をして。暫くして出来上がった珈琲を机に運ぶ、その時いつも緊張して手が震える。カチャカチャと食器のぶつかる音がして五月蝿い。そして彼が言うのだ。一言、有難うと。

それが嬉しい。だって有難うございますじゃない。きっと私よりすこし歳上なんだろう。お互い歳なんて分からない、だけど何となく私は彼が自分より歳上だと分かるし、彼も私が歳下だと分かるんだろう。だから有難うと敬語じゃ無いのだ。そんな些細なことが嬉しい、きっと何度か遭う内に私が彼が珈琲に砂糖と二つ入れるのを覚えるくらいに彼も私を覚えてくれているのだ、その現実が私の頬を緩ませる。


彼が此処に来るようになったのは数ヶ月前から。ふらふらと其れこそ迷子のように気紛れにこの店に立ち寄っていつも珈琲を頼んで本を眺めたり、何かを見つめて休息している。私はそれを盗み見するのが幸せで堪らない。いつか其れが倖せに変わればいいのにと思う。

彼のことで唯一知っているのは名前だけ。伊野尾慧くん。店長がそう呼んでいるのを聞いた、店長は割と誰にでも話しかけるからよく常連のお客さんのことを知ってる、それが私には偶然の産物だった。

彼は今日もまた珈琲一杯をゆっくりと飲み干すと出て行った。彼が来るのは多くて週に一度、少なくて月に二、三度といった所。だから逢えた日は私はその日一日幸せなのだ。

そしてその日の帰り、名前も知らない男の人に声を掛けられて着いて行く。だけど其んなものはなんら変わらない日常。一人の夜は寂しくて寂しくて耐えられないから、誰かの温もりを探してしまう。

だからね、きっとあんな彼に私が愛される訳なんてないと諦めがついているのに心の何処かで期待している私もいる。最低な矛盾。

歪な愛を望んで、名前も知らない男と繋がって二つになることに安心と嫌気がさす。一人じゃないという安心感と私にすこしの興味もない男に抱く嫌悪感。

ホテルから出ると曇り空で今が何時か見当がつかない。ふと公園の傍を眺めると白猫が一匹。その周りには色んな毛並みをした猫が数匹。

私はどうかしているらしい、その囲まれている猫に話しかけた。


「…お前はいいね、」

下顎をごろごろと触ってあげると気持ち良さそうな声で鳴く。甘い声で誘惑してるつもりなのかな。

いいね、お前は一人じゃなくて。誰かに愛されて。そう言って優に嗤っている猫にまで妬むなんて下らない。なんて心が狭いんだろうと思う。


そしてそこからすこし離れたところにいる猫に目がいく。真っ黒い黒猫、目は金色。黒猫だから疎まれているのか、それとも人見知り、いや猫見知りなのかきっと双方だろう、その猫の傍には誰もいない。

その猫に手を伸ばすと手を引っ掻かれた。赤い血が滲む。

其れはまるで私みたいだった。一人で彷徨って優しく声を掛けると甘えて着いていくけど心までは開けない。


「…お前は可哀想だね、」

憐れんだ。そして落胆した。私もこの世界ではこんな風に見られているのかと。

私みたいな人間があんな人に恋してるなんて馬鹿げてる、それでもまた逢いたいと思ってしまっている。逢うだけなら、願うだけなら、望むだけなら自由だから。

あの人が私を愛してくれたらいいのにと思いながらあの人じゃない人の手で私は今日も愛される。


fin .





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