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スプリングナイト


春は出会い、別れの季節だというけど俺たちの別れはそんな季節にとらわれたものじゃなくて自分達で決めたことだから。こんな別れもあるんだって俺は一生覚えてるんだろう。


テーブルの上に缶ビールとコンドーム、隣で眠ってるのは俺の恋人。さよならと告げて俺は部屋を出た。

「乾杯。」

って言って君がはにかんだ昨日。見慣れた顔、声、落ち着く匂い。もう慣れ親しんだ君のぜんぶ。


昨日は俺たちが付き合って丸7年でお祝いをしようって夜景の綺麗なところでご飯をした。なんか似合わないねって言ってたけど数時間もしたらその見慣れた街並を見下ろすのもなんだかいい余韻に浸れた。調子に乗って飲みすぎたって少し赤いって恥ずかしがっておでこを押さえた、昨日の笑顔。それをまだよく覚えてる。


ふらふらと危ない足取りでたまらず腕を貸す。すると嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑う、俺はこの表情がすきだ。


「元気でいようね、」

って君がつぶやいた 。それは別れの挨拶。
俺は何も言えなくてただ笑った。さよならしようって決めたこの日、特別な日に柔らかい夜と君を抱いた。



「…なに考えてる?」
「ん…なんにも考えられない」
「そりゃそっか、そんなに気持ちいい?」
「…うん。」

彼女の身体が熱かった、俺も今までで一番熱かった。酒の力のせいもあったけど流れる涙が頬に伝うそれも熱かった。すきでも別れるってそんなこともあるんだと思いながら。


目を覚ましたら、離れ離れだから。この時間が止まればいいと思った。それからこのまま死ねたらいいと思った、一番幸せな時に死ねたらどんなに幸せか、俺だけの君でいる、彼女だけの俺で居られるこの日のまま時間が止まればいいって思った。


なんにも言わないで、支えてくれた。辛いときもそばで笑ってくれた。それだけで良かった。


「…忘れない?」
「忘れないよ、」
「…忘れられる訳ない」
「訳…ないね、」

何も言えなかった、何も言わなかった。
さよならは言わなかった、ただなんとなく今日で最後なんだとは二人ともわかってた。限界だった、おたがい好きでいても世間はそっとしておいてくれない、でもそんなことも慣れて通り越したけどそれでもやっぱり慧ちゃんの側にはいられない、そういった。俺もそう思った。今のままでいても二人して良くない。

不満があるわけじゃない、ただ俺は伊野尾慧でいなくちゃいけない。そして彼女はそれを受け入れなきゃいけない。ドラマでキスシーンとかあったって焼きもちを妬くけどそういう仕事だもんねと納得していた。してくれていた。でも、住む世界は違って帰って来ればいつもの当たり前の二人に戻れるのにそれも限界だった。


特に別れなきゃいけない理由もない、不満があるわけじゃない、辛いわけじゃない。でも二人がふたりでいるのにはもう無理だった。

だから彼女の寝顔を見つめてそっと呟いた、

「ありがとう…もう甘えないから」

すぐにこんな気持ちを忘れたい、でも忘れない、忘れたくなんかない。どうしても君に伝えたいこと、もう別れるんだから名前の未来は名前のものだけどどうか願わくば君の不幸を祈る。不幸っていうのはすこし違うかな、でも幸せは願えない。

どうか別れても俺じゃない人を好きにならないで、結婚とかしないで。俺のことをずっと覚えてて。我儘で傲慢だけどこれが最後の願い。

こんなにも俺を好きになってくれて、信じるって意味を教えてくれてありがとう。寝たふり続ける彼女、この手を離したらもう誰もが知る俺になるから。だから…

君に出会えて、本当によかった。

目をつぶって泣いてる、寝てなんかほんとはいないくせに最後まで強がり。


「…愛してるよ、」

寝たふりをしているから聞こえないふりをしていて、聞こえなければこんなこと言えるのも口実になるから。それを置き土産に俺の声を、俺のことを忘れないでほしい。だいすきだよ、さようなら。


スプリングナイト
( 春は別れ、)
( でも僕らは進んだ、君のいない未来へと )

fin .





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