※子連れスガタと保育士タクト


世の中には一目惚れという現象があるのだと、半ば都市伝説のように知ってはいた。
無駄なく合理的に、確実にソースのあるものだけを信じ少しでも疑う余地のあるものは切り捨てる。人間関係も同じ、自分にとって如何にプラスに働くか見定めて使えないと判断すればお役御免と近付きもしない。損得勘定だけが己の全てと、たとえ冷徹と揶揄されようともこれまで生きてきた。
それが、一体どうしてこうなった。

「あ、おはようございます!」
今日は随分早いですね、と優秀な営業マンのようなぴかぴかの笑顔で声を掛けてくる青年にスガタは無言でぎこちなく会釈した。口八丁はお手の物な筈だというのに上手い言葉も閃かず、暑いわけでもないのに汗が出そうになり、自分がどうしようもなく緊張しているのが分かった。それでも表情にだけは出さなかったのは我ながら褒めたいところだと思う。
そんな軽く頭を下げただけでほとんど無反応なスガタを訝しむでもなく、青年は短く声を上げると膝に手を当て腰を落とした。そうして、そこにいる小さな人影ににっこりと微笑む。
「ワコちゃんもおはよう。今日のヘアピンはお花なんだね、すごく似合ってるよ」
「おはようございます、たくとせんせい! えへへ、これねきのうおとうさんがかってくれたの!」
スガタの手を握っていた小さな人影――愛娘であるワコがはにかみ答えた。少しお転婆なワコも幼いながらにお洒落には興味津々で、褒められればすぐに上機嫌になる。真新しいヘアピンを嬉しそうに撫でながら笑うワコに、たくとせんせいと呼ばれた青年がつられたように笑みを深くした。
青年は、今年の春にワコの通う保育園に勤める事になったまだ新人の保育士で、名をツナシ・タクトといった。彼に初めて会ったその日に、広告類と同様に捨ててしまおうと投げ出していた園発行の定期情報パンフレットを掘り起こして確認したのだから確かだ。鮮やかな緋色の髪と同じ色をした大きな目が印象的な青年……と言うより少年にも見える幼い顔立ちをしていて、笑うとよりそれが際立って見える。纏う空気の柔らかさも人間不信のきらいがあるスガタが一瞬にして警戒を解いてしまう程で、スガタは正直困惑していた。
こんな浮付いた感覚は、知らない。
「ワコー!」
「あっ、ルリだ! おとうさん、またあとでね!」
友人の姿に歓声を上げるとワコはくるりと身を翻して園内へ駆け出す。慌てすぎて転びやしないかと内心はらはらしながらそれを見送れば、隣から楽しげな笑い声が漏れ聞こえてきた。視線を向けると口元を押さえて肩を揺らしているタクトがいて、スガタはきょとんとそれを見つめた。
「ふふ……ああすみません。ワコちゃんとシンドウさんって真逆だなぁって思ったら、つい」
「……真逆、ですか?」
「ワコちゃんは天真爛漫なのにシンドウさんはすごく落ち着いていらっしゃるから――あ! すみません失礼なこと言ってますよね僕」
慌てた様子で姿勢を正し頭を下げるタクトに思わずとスガタも笑みを零せば、驚いたような顔をしたタクトとかち合った。深い緋色の瞳がぱちり瞬く。どうかしたのかと少しだけ歩み寄り覗き込もうとするが、スガタの動きにぱっと気付いたらしいタクトは詰められた分の距離を後ろに離れていった。
「…………」
避けられた。そうとしか思えないくらいあからさまな彼の行動に、スガタはどうしようもなくショックを受けていた。表情を変えたタクトを心配して近付いただけで、それは少しはもっと間近で彼を見てみたいというちょっと口には出せないことも考えていたりはしたが、まさかそこまで避けられるとは思わなかった。
「っあ……と、ごめんなさい!」
不穏な空気を感じ取ったのかタクトが顔の前で両手を振り、言葉を紡ぐ。
その顔はどこか赤い――赤い?
「あはは……何かいろいろびっくりしてしまって」
落ち着かなく自身が身に着けるピンクのエプロンを指先で弄び苦笑するタクトに首を傾げる。何か彼を驚かすようなことをしただろうか? まったく身に覚えがない。
そうして、黙り込み不思議そうにするスガタに気付いてか、タクトはまた今度は困ったように小さく笑みを零した。今日はよく笑う。いやいつも笑顔なのだけれど、スガタ個人に対してこんなにたくさん笑いかけてもらえたのも会話を交わしたのも実は初めてだった。普段は時間ぎりぎりで園に駆け込みワコを預けて行くか、そうでなくともタクトが他の保護者の相手をしている場合が多く、一対一になれる機会はそうそう無いのだ。
それになにより愛想のないスガタを前にしてにこにこと出来ることに驚く。タクト以外の先生と相対した時の、彼らのあのあからさまな空気の沈み具合といったら。
機嫌が悪いわけではなくとも無表情に佇むスガタを前にすればそれが大抵決まった反応だった。顔の造作は良くても感情を表に出さなければ魅力は半減するのよ、といつか社内で陰口よろしく囁かれていたものだ。だが、ポーカーフェイスであることは仕事上利益となり得ることも多い。誰かとへらへら馴れ合う気もさらさら無く、今更どうこうしようとはスガタも思っていなかった。
そんな、無表情がデフォルトになりつつあるスガタとごく自然に接してくるタクトに、つい惹かれてしまうのも仕方ないのだと誰ともなく言い訳した。
「今日は珍しいですね」
「――え?」
思っていたことを察したかのように呟かれた言葉にスガタがタクトを見ると、はにかみながらこちらを窺う緋色があった。
「シンドウさんが笑うの、初めて見ちゃいました」
ふふ、と微笑してふわりとエプロンを翻すのをぼんやりと見つめれば、穏やかな声音がスガタの上に注がれる。
「笑った顔も困っている顔も素敵ですよ。……もっと笑ってくれればいいのに」
もったいないなぁ、と続く台詞はどこかおどけた調子で。
返す言葉も見つからずに立ち尽くすスガタに軽く一礼して、後からやって来た子供連れの母親たちの元へ向かうタクトの後姿をじっと追った。離れる間際に見えた跳ねる赤髪から覗く耳朶はほんのり赤くて、先程の彼の頬に差した赤さを思い出す。
そうして騒ぎ出す心臓に手を当てて、スガタは空を仰ぎ見ると無心になるべく大きく深呼吸した。

一目惚れなんてあるはずがないと疑っていた。
初めて彼に会ったあの時も、その脳に焼け付くような緋色が気になっただけで、ただそれだけのことだと思い込んでいた。利益か不利益か、他人に対して抱けるのはそんな冷たい感情だけだったというのに。
もう、認めざるを得ない。
臆することなく向けられる屈託ない笑顔も、照れて赤くなる幼い顔も、何もかも。
――きみが好きでたまらない。


好きになるってそういうこと



保育士さんなタクトが書きたかっただけです。…なんかもうオリジナルの領域のような。
@11-0416

モドル
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