おどろおどろしい看板が主張するこれまた不気味な色合いの建物の前で、いつもの三人は立ち尽くしていた。 「二人ずつだって……どうしよう」 注意事項が書かれたボードを見てワコが唸り、隣に並ぶ少年達に目配せする。 「ワコが入りたいって言ったんだからワコは決定でしょ。あとは……どうしようか」 「僕は留守番しているから、タクト行って来いよ」 腕組みをして首を捻るタクトの背中をスガタが叩き、後押しするように笑みを見せる。「ここは許婚の出番じゃないの」という言葉は飲み込んで、タクトはワコに向き直ると「僕でいい?」と一応の確認をとった。話を振られたワコは僅かに頬を赤らめて小さく笑い、嬉しそうに頷く。 そして二人は、暗闇覆うおばけ屋敷へと姿を消した。 「こ、こわかったぁ……!」 「あはは、ワコずっと叫んでたもんね」 「その光景が手に取るように分かるな」 胸に手を当てて深呼吸を繰り返す少女をタクトとスガタがからかい混じりに見守る。 最恐と謳われるおばけ屋敷があるとクラスメイトから聞きつけたワコに連れられて今回訪れるに至ったのだが、彼女の様子を見るに噂に違わぬ体験を得られたようだ。一緒に入ったタクトは逆にけろりとしていて、そんな彼の赤いシャツの裾をワコは未だ震えの残る指先で握り締めていたが、我に返るとぱっとその手を離した。 「ごっごめんね! あぁ……皴になっちゃった」 まるでワコの恐怖を体現したように跡を残すシャツに少女は項垂れた。それにタクトは気にしていないと萎れる少女の頭を撫でてやり、スガタはそんな二人を微笑ましく見つめる。兄妹みたいだとぼんやり考えて、けれど彼女の抱く想いを鑑みると失礼な気がしてスガタは口を噤んだ。 「次どうしようか?」 落ち着いてきたワコに目をやりタクトが言うと、少女は「あたしはもういいや」と笑って、次いでスガタに視線を向けた。 「スガタくんはまだ入ってないし、タクトくんと行ってきなよ。ほんっとーに怖いから! 一度は体験するべきだよ」 最後は握り拳までして語るワコにスガタは苦笑した。タクトがあまりにも平然としていたからか、せめてスガタにはこの恐怖感を味あわせてやりたいと妙な意気込みが見え隠れしている。とはいえワコの期待に添えるリアクションが出来る気はまったくしなかった。残念ながらスガタにとって幽霊も妖怪も、なんてことはないフィクションに過ぎないのだから。 「そう? じゃあ行ってみようかな――タクト」 「……ん、ああ」 特に気は進まないがワコを残念がらせるわけにもいかず、決行を決めてタクトに声を掛けると何やら気の無い返事が返ってきた。顔を見れば妙に強張った表情。そこに先程までの明るい笑顔は見えなかった。 「どうした、気分でも悪いのか」 さすがに気になってスガタは問いかけるが、タクトはかぶりを振って「大丈夫大丈夫」とぎこちなく笑うだけだった。 踏み込んだ闇に沈む通路は狭く、二人が並んで歩くので精一杯なくらいで、そういえばここはデートスポットとしても名を馳せているとワコが言っていたなとスガタは思い返していた。安易だが、男女ペアで入ることで女性が怖がって相手にでも抱きつけば美味しいというところか。先程のタクトと彼に引っ付いていたワコの様子を考えれば納得出来る。 冷静にそんなことを思考しながら歩みを進めていると、壁を叩くのに似たけたたましい音と衣を裂くような女の悲鳴が空間に響き、瞬間手首を力一杯掴まれてよろめいた。勢いで躓きそうになるのを両足でどうにか支えて体制を立て直す。仕掛けだけではない有人のおばけ屋敷だとしても、驚かす為に客に直接手を出すなどという反則行為をするだろうかと、スガタは咄嗟に構えて振り返った。 「……タクト?」 振り向いた先では、暗闇にも溶けない赤髪の少年が傍目にも青褪めた顔でスガタの手首を掴んでいた。普段の元気な彼からは一転した様子に流石に驚いて近付けば、僅かに涙目になっていることに気付いた。 「具合でも悪いのか?」 いや、よく考えればここに入る前からどこか不自然なところはあったと直前のやりとりを思い出す。理由として特に思い当たる節は無いけれど、人間何がきっかけで不調を来すかなんて分からないのだ。 そうして、気分が悪いなら早々にこの場を後にしなければなるまいとスガタは思い立つもすぐに阻まれてしまう。捕られたままの自分の手首。項垂れるタクトのスガタを掴む力は強く、少々痛いくらいで、これは跡になるなと遠く思った。 「タクト?」 「…………いで」 小さく零される声は掠れて霧散する。 聞き取ろうと更に距離を詰めれば、濡れて歪んだ紅い瞳とかちあった。 「いかないで……っ」 「――!?」 ぎゅ、と手首を掴んでいるのとは別の手がスガタのジャケットに伸ばされ、まるで抱きつかれているような体勢になる。これはそうだ、さっき想像したありきたりな恋人同士の行動だ。だが、果たしてそれがスガタとタクトとの間で起こりえるものだとは露ほども思っていなかった。タクトに対し好意を抱いているスガタとしては正直悪い状況ではない。むしろ喜ぶべきところだ。 けれど。タクトとワコ、二人でおばけ屋敷へ挑んだ時とのあまりにも開きがある差に、スガタは暫し呆然とした。 どうにかこうにか嫌がるタクトを宥め屋敷の出口を潜ると、眩しすぎる陽光に目を薄っすら開いた。暗闇に慣れすぎた視界には些か強い日差しに、一歩後ろについてきていたタクトも目を擦っている。 出た先にワコがいるかと思ったが人影は無く、ポケットに忍ばせていた携帯を覗けば「飲み物を買ってくるね」と短く告げるメールが届いていた。着信からは一分も経っていないようで、彼女がどこまで買いに行ったのかは定かではないが、多分もう暫くは待つことになるだろう。 「タクト、大丈夫か?」 擦ったからか、それとも涙のせいか、少し赤くなった目元に触れ落ち着かなくしているタクトに声を掛けると、彼はびくりと肩を揺らして酷く気まずそうに眉を下げた。スガタと目を合わせないようにか、しきりに視線を彷徨わせている。 「あー…うん、大丈夫。あの、ほんとごめん」 本当に申し訳ないと言うように縮こまる姿に、肩を竦め小さく息を吐くと、スガタは気にしていないと柔く笑った。 「でも、理由は聞きたいな。ワコの時と僕の時で随分態度が違ったじゃないか」 嫌がる素振りなど一切見せず、むしろ怖がるワコを先導していたというのに、どうだ。スガタとの時には全くの逆で、いつぞやのように人格が入れ替わったのかと疑いたくなるくらいだった。タクトを見遣ると、なんとも言い辛そうに口をもごもごとさせていてスガタはまた笑う。 「そんなに言えないことなのか?」 それなら無理に吐かせようとはスガタとて思わない。 人間なら少なからず秘密を持っているものだ。勿論、少しでも彼を知れるに越したことはないけれど、時間とともに知っていくのも悪いことではないのだから。 仕方ないなとタクトの乱れた赤い髪を撫でて離れようとすると、逸らされた視線はそのままにタクトの唇が小さく動いた。 「……実は僕、幽霊とか妖怪とか……そういうのほんと苦手で」 ぽつりと告げられる内容に口には出さないが、まあそうなんだろうなと屋敷内での涙目な彼を脳裏に浮かべ頷いた。高校生にもなってそんな空想めいたものを気にするなんてと常なら思うところだが、純粋な赤髪の少年が相手なら話は別だ。なんとも可愛いものであるとすら思ってしまうのは、惚れた欲目というやつだろうか。 「それでも、守るべき対象がいれば平気なんだけど、そうじゃないと気が抜けちゃって……こんな歳にもなって馬鹿みたいだよね」 はあ、と盛大に溜息を吐くタクトの言葉をゆっくりと噛み砕いて、スガタははたと静止する。まだ元気の無い萎びた赤色に向き直り、俯くことで落ちる前髪を掻きあげてやれば、突然の行動に驚くタクトの瞳が見開かれた。遮るものを失い眼前に晒される彼の顔を覗き込み、スガタは意地悪く口角を上げると楽しげに口を開いた。 「それって、僕は頼られてるってことでいいのかな?」 それなら嬉しいんだけど。 いつまでもか弱きものとして彼に守られているなんてスガタの矜持が許さない。スガタだって彼を守りたい、そうでなくとも対等でありたい。 弱みを見せない彼が唯一曝け出した弱点だ。幽霊だなんだと非科学的なものが相手だろうが、タクトが頼ってくれるならいくらでも盾になろうと思っている。 ――だから、たとえ些細なことでも君の役に立てるなら。 言われたことを理解して、赤かった目元を更に赤く染めていくタクトを見つめ、スガタは満足げに笑った。 それはとても幸せなことじゃない? きっと最終回後でほのぼの。都内某所にあるおばけ屋敷に付き合ってよと言われ降ってわいたお話。怖さのレベルが選べるらしいです。 @11-0416 モドル |