「お腹空いたなあ〜」 ぐう、という気の抜ける音の後、ノートを広げたままのテーブルにだらしなく額を付けて、ワコは目の前に座る少年たちを見遣った。いち早くワコの声と視線に気付いたのはスガタで、ワンテンポ遅れてタクトもノートに向けていた顔を上げた。 「二人とも、お腹空かない?」 「んーまあまあ空いてるかな」 ワコの問いにタクトが苦笑しつつ答える。 学校帰りにそのままスガタの家で宿題を片付けることになり、途中どこにも寄らず来てしまったので、自他共に認める食いしん坊のワコはそろそろ限界らしい。 「でも、今日は生憎ジャガーもタイガーも出払っているよ」 「そっかー……」 食事に関することはメイドたちが居なければスガタとしてもお手上げなのはワコも承知しているので、ひとつ大きく溜息を吐くだけで口を噤んだ。 「何か作ってあげられればいいんだけどね。僕はこの通り家事はからっきしだし」 傍から見ても箱入り息子なスガタが料理とは、確かに想像がつかない。 「私も食べるのは大好きだけど、作るのはあんまり得意じゃないんだよね」 包丁を握ったのなんかそれこそ学校の調理実習くらいのもので、家ではワコのそそっかしさに家族に止められる始末だ。対して、親友のルリは料理上手なのでこういう時ばかりは羨ましい。 夕飯まで我慢するしかないか。そう自分に言い聞かせてテーブルから身を起こしたワコに掛けられたのは、意外な人物からの意外な言葉だった。 「よければ何か作ろうか?」 小首を傾げつつ控えめに提案を口にしたのはタクトだった。思いがけない彼の言葉にワコだけではなくスガタも驚いて視線を向ける。 「タクトくんが? タクトくん料理とかできるの?」 「簡単なものならね」 「へえ、こう言っては失礼だろうけど意外だな」 スガタの発言に「本当にな!」と口を尖らせるが本気で気分を害した様子はない。むしろ楽しそうに笑って、スガタにキッチンを使ってもいいかと訊ね許可を得ると勢いよく立ち上がった。 「なんか久しぶりだなぁ。本土に居た時以来だ」 キッチンの片隅に都合よく置かれていたエプロンを身に着けてタクトはわくわくする思いを隠せずにぽつり呟く。 料理に限らず何かを作り出すのは純粋に楽しい。 それで誰かの役に立てるならもっと嬉しいとタクトは常々思っている。 「えーと」 何がどこにあるか皆目わからないというスガタは当てにせず、適当に戸棚を漁って必要な用具を揃えていく。新品と見紛うほどに磨き抜かれた調理器具たちは綺麗に揃えられ収納されていて、目的のものはすぐに見つかった。少し大きめのボウルと泡立て器、それにフライパンとこれだけあれば充分だ。ストックされた小麦粉とベーキングパウダーに砂糖、一般家庭ではおよそお目にかかれないような立派な冷蔵庫から牛乳と卵を取り出して調理台へ並べる。 それらを見渡してタクトは満足げに笑うと軽く袖を捲り、転がる卵をひとつ手に取った。 ふわり漂う甘い匂いにワコは勉強の手を休めて、すでに課題を終えて読書に耽っているスガタに弾む声で話しかけた。 「ねっ、すごくいい匂いするね! 私もうお腹ぺこぺこ〜」 無邪気に笑うワコにスガタもつられて小さく微笑むと、タイミングよく扉を叩く音が室内に響いた。返事をして立ち上がろうとしたワコを制して代わりにスガタが扉を開けに向かい、ノブに手を掛ける。 その瞬間に強く香るバターとはちみつの優しい匂い。 「お待たせー」 エプロン姿のまま両手に皿を乗せて現れたタクトに、ワコが待ってましたとばかりにテキストで散らかるテーブルを片していく。そこに、白地に花柄が慎ましやかに添えられた皿とナイフとフォークがそれぞれ行儀良く並べられていった。 そうして白い皿の上、満月を模ったように綺麗な円を描いてふっくらときつね色に焦げたものを前に、ワコとスガタは感嘆の声をあげた。 「うわあ〜ホットケーキだ……! おいしそう〜」 「定番だけどね。一番手軽だからどうかなって。口に合うといいけど」 「すごいな、見た目だけならうちのメイドよりよく出来てる」 「見た目だけってなんだ見た目だけって! もうとにかく冷めないうちに食べてよね」 両手を合わせて満面の笑みを浮かべるワコとからかい混じりに頷いて見せるスガタにタクトは照れくさそうに笑って、二人にどうぞと勧めると自分の分も持って来るからと再び部屋を後にした。 「! 何これ、すっごく美味しい! 私こんなの初めて食べたよ!」 タクトが去るや早速ホットケーキを口にしたワコは、一瞬言葉を飲み込んで瞳を輝かせると向かい合うスガタに期待を込めて視線を投げかけた。ワコの注目を浴びたスガタも同じように小さく切り分けたホットケーキを味わって、切れ長の琥珀を瞬かせる。 「――確かに美味しい、な」 程よく空気を含んでふかふかに焼き上がったホットケーキは中はしっとりとしていて、上からたっぷりとかけられたはちみつと熱で溶けたバターが絡んで柔らかい甘さが口内を満たす。 幼少の頃でも数えるほどしか食した経験は無かったスガタにも、このホットケーキが格別に美味しいことは容易に理解できた。 それを作ったのがあの少年であるということに多少の驚きは隠せないが、逆に考えれば他人思いの彼だからこそ作れるものなのかもしれないと妙に納得した。優しく広がる甘さはどこかタクトを連想させて、そっと口元を綻ばせる。 「ただいまぁ……あ?」 黙々とホットケーキを口に運ぶ二人のもとへようやくタクトが帰還すると、ワコとスガタは同時に彼を振り仰いだ。二人に見つめられ頭にクエッションマークを散らしながら「あれ、不味かった?」とタクトが怖々首を傾げれば、二人は否定の意を示して。 そのまま真剣な表情で真っ直ぐにタクトを見据えると、まるで計ったように口を開いた。 「タクトくん、お嫁さんに来ない?」 「タクト、嫁に来ないか?」 (な、なにがあったの……?) おやつの時間 食べ物につられすぎる二人。料理下手でもかわいいと思いつつ19話の新婚エプロン前に書き逃げます。ところで3月メディアの版権見たら銀タクが気になってきました。 @11-0211 モドル |