※1万打アンケート・リク「実は病弱タクト+シリアス」
所謂パラレルなので設定穴だらけでもOK、血吐いててもOKな心の広い方向け。
続きます。





神はサイコロを振らない<前>

あの日、夕暮れに染まる崖の上でスガタの言葉に返すことが出来なかったのは、それが真実だったからじゃない。
自分には生き死にを試す価値も無い。本当にどうでもいいと、いっそこのまま死んでしまえたら楽になれるのにと思っていたからだ。
冷たく暗い水に沈んでも、胸に去来するのは苦しみでも絶望でもなく――安堵だったのだと打ち明けたら、彼は何と言うのだろうか。


カランという乾いた音を立てて足元に転がる竹刀をタクトは呆然と眺めた。相対していたスガタも同じようにその光景を追って、構えていた竹刀を下ろした。
動きを止め静まり返る道場には、二人以外の影は無い。
「タクト大丈夫か? あまり顔色が良くないようだが……」
のろのろとしゃがみ込んで竹刀に手を伸ばすタクトの様子にスガタも黙っていられず口を開く。稽古をつけてやる、その言葉通りに毎週末手合わせが行われることになったが、今日のタクトはどこか心ここに在らずといった風で踏み込む足にも竹刀を振るう腕にも力を感じなかった。けれどそれは、ふざけているだとか他のことに気を取られている感じではなく、むしろ集中しようと躍起になっている節すらありスガタを戸惑わせた。いつもなら軽く流すであろう一太刀も受けた衝撃のまま竹刀を取り落とす始末で、落ち着いて見ればその顔は青褪めていた。
「あはは……ごめん、ちょっと昨日夜更かししすぎたかも」
――それが嘘であることはすぐにわかる。
上辺だけの笑顔。聡いスガタでなくとも、ここには居ないワコでも気付くだろう下手な作り笑い。頬を伝う汗も運動量から考えると多く、息が上がるのも常より早い。
体調を崩しているのは明らかなのに、タクトは二本の竹刀を掴むと誤魔化すように笑みゆっくりと立ち上がった。
「悪いんだけど少し休憩取らせてもらってもいいかな?」
そう言って、スガタが返事をするのも待たずに踵を返し道場を後にした。その足取りはどこか覚束なく、奇妙な違和感を抱きながらスガタは目を眇めた。

蛇口から勢いよく流れ出る水が排水溝へと吸い込まれていくのをぼんやりと見つめてタクトは息を吐いた。息苦しい、と湧き上がる異物感に咳き込んで口元を拭った袖口には赤い染みが広がり眉を顰める。口内を満たす鉄錆の味。気を抜けば立っていることもままならない程の倦怠感が全身を襲う。
いつもの――それはタクトにとっては嫌と云うほど慣れてしまった感覚だった。
「……くすり、忘れてたなぁ」
ぼそりと呟いて水道を止め顔を上げる。洗面台に設置された鏡に映る血の気を失った自分の顔のあまりの酷さに薄っすらと笑った。
――タクトにはまだ、島の誰にも告げていない秘密があった。
それはこの先も島の誰にも話すことはないだろうことで、誰にも気付かせないよう日々を過ごしていた。打ち明ける必要もない、ただ困らせるだけだと知っているからこそ口には出せない――自身を苛む病魔のことなど。
そもそも、祖父が南の島へ行くのを勧めたのはタクトの療養の為だった。一進一退を繰り返す病とそれによって歪んでいく人間関係に憔悴しつつあった彼を慮っての言葉にタクトは頷いた。
それから話はすぐに纏まった。一人での島行きはタクトの独断だった。
もちろん寮暮らしをすることには誰もが反対したし、当初は家族も共に移住しようという話であった。けれどタクトはそれを拒み、半ば押し切る形で家を出た。
これ以上誰かの負担になるのは嫌だと、少しでも自立出来るようにと、そう思って。
薬は必要な分を必要なだけ処方してもらえる。それを毎月の仕送りと共に送ってもらうことにした。本来ならば検査もせずに薬の処方などできないが、タクトの主治医を長年務めた老医師は彼の想いを知り、それから何度目かの検診の折に許可を与えてくれた。何かあったらすぐに戻ってきなさい。そう付け加えて。
そうして始まった知り合いの居ない島での生活は思いのほか順調だった。
偶然とも運命ともいえる出会いを果たした親友たち、タクトの望んだ青春の謳歌を秘密の共有とともに紡ぐ演劇部の仲間たち。賑やかなクラスメイトに囲まれた学園生活や、スガタやワコと過ごす週末は楽しくて、まるで人並みの健康を手に入れたような錯覚に陥り薬の服用を忘れることも稀にあった。そしてその度に現実を思い知らせるような苦しみがタクトを襲った。もちろん薬ですべてを抑え込めるわけではなく、楽しい日々の合間にも度々苦痛は訪れる。大抵は人目を忍んで痛みをやり過ごし上手くやってきたけれど、先程のスガタの様子では感付かれたかもしれないとタクトは唇を噛んだ。
――いや、まだバレたわけじゃない。
少し休憩をと言ったものの、このまま戻ってもまたスガタに余計な心配をかけるだけだろうし彼を誤魔化せる自信もない。稽古に付き合わせているのはこちらの方なのにと申し訳ない気持ちは有るが、急用があるとでも言い訳して帰ってしまおうか。
そう考えて、とりあえず乱れた胴着を正そうと再び鏡へと視線をやって、映りこんだ影に目を見開いた。
「それ、どうしたんだ?」
振り返ることも出来ずに鏡越しに近付いてくる人物を驚きにただ見つめる。涼やかな青い髪は稽古の後でも乱れることはなく、感情を完全にコントロールしたように微笑を湛える表情は落ちて、聡明な淡い琥珀の瞳がタクトを捉えていた。
スガタ、と形を成さない声を零してタクトは彼の視線から逃れるように血に汚れた袖を後ろ手に隠した。
「タクト」
「な、んでもない」
ちょっと汚してしまっただけだから。
子供のような言い訳にスガタが納得するはずがないと頭では分かっている。けれど己の現状を素直に吐くことは出来ずに口が勝手に動いていた。
どうにかしてスガタの追求を逃れなければ、どうにかしてここから逃げ出さなければ。
そればかりがタクトのまとまらない思考を占めて、動揺に荒くなる呼吸を抑えるよう片側の手のひらで口元を覆った。そして、タクトの想いとは裏腹に息苦しさは増して堪らず咳き込めば、再び鉄錆の嫌な味が口内に広がり押さえていた手のひらを赤い筋が伝った。
「――――!」
手首から腕を辿り真っ白な胴着の袖口を濃い赤が染めていく。隠す間も与えずに、ただ現実を見せ付けるように広がる光景にタクトは震えた。

「タクト!」
ずるずると力無く床に座り込むタクトを前に、先程までの光景に呆然としていたスガタも気を取り戻し駆けつけると震えるその肩に触れた。そしてその頼りない感触に驚く。痩せている、なんてものじゃない。もっと病的だ。
「タクト……お前」
口を押さえたまま俯いてしまったタクトを見下ろして、スガタは言い知れぬ不安を感じていた。というよりも、不安が的中したことによる絶望のような気持ちだったのかもしれない。
タクトの様子がおかしいことは薄々感付いてはいた。
明るい笑顔で周囲を楽しませる一方で、時折何かに耐えるような顔をして席を外していく姿を何度も見た。それでも大抵はすぐになんでもない風に戻って来ていたし、引っ掛かりを覚えてはいたものの敢えて後を追うことはスガタもしなかった。それは、タクトの背中がそれに対する追求を拒んでいるように感じたのもある。
けれど、いつかの週末にタクトがシンドウ家を訪れた際、やはり先程のと同じように流しの前で苦しげに咳き込んでいるのを偶然見てしまったのだ。その時もタクトはスガタの気配を敏感に察して、多分証拠隠滅にと思ったのだろう、不自然に慌てた様子で蛇口を捻ると勢いよく水を流していた。それからスガタを振り返り、貼り付けたような笑顔を見せて一言二言言葉を交わしタクトがその場を離れた後、彼が使った流しに近付いて流しきれず残った血痕を見つけた時は心臓が竦んだ。
あの屈託のない笑顔の裏に隠し続けている闇の深さを垣間見たようで、知ってはいけない秘密を暴いてしまったようで。そして、どうして何も話してくれないのかという自分勝手な感情にスガタの胸中は荒れていた。
静かに星が瞬くあの夜に、出会ってしまった瞬間から、スガタはタクトのことを知りたいとずっと思っていた。初めは自分と同じ性質を持っているという親近感と、生まれの違いからのものだろう異質さへの興味だった。本当のスガタを――王の力を前にしても怯まず立ち向かってきたところも気に入っていた。
それから彼を目で追ううちに、その燃えるような色をした紅い瞳の奥に眠る冷やかな光があることに気付いた。ふとした折に垣間見せる憂えるように表情を失くすタクトを見て、スガタの彼への興味は別のものに変質していった。
強いだけじゃない彼の中の脆い部分。守りたいと、ワコに対して抱くものとは違う甘さを含んだ強い衝動がスガタの中に溢れて。
それが恋だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
「タクト、タクト――」
俯くタクトを横抱きに抱きしめる。流れた血がスガタの胴着にも染み込んでいくのにも構わずに、ただ彼の存在を確かめるように回した腕に力を込めた。
どうしてこんなことになったのか、彼を苦しめるものが何なのか、誰を憎めば何を恨めばいいのかも解らない。彼を蝕んでいるものの深刻さを目の当たりにして、スガタはタクトの名を呼びその細い首筋に顔を埋めた。
好きに、ならなければ――こんな想いを抱かずに済んだのにと。きっと誰もが思うだろう。けれど不思議とそんな後悔は生まれることはなくて。
それよりもスガタが恐怖したのは、これをきっかけにして、彼が自分の傍を離れてしまうことだった。


後編


@11-0111

モドル
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