*目蓋の奥で募る想い*


つい先程最終電車が出てしまった。私はそれを、未だ口の中に広がる胃の内容物だったものの味と臭いをなくすために、唾液を絞り出しては吐き出しながら背中越しで見送る。いくら吐き出しても臭いはなかなかとれてくれず、顔をしかめながらお気に入りの服だというのにも気にせず袖で口を拭った。そんな時、背後からにゅっと何かが差し出され、私の首筋に触れる。

「冷たっ」

思わず驚いて振り向くと、先程まで一緒に飲んでいた一人である宮地が、水の入ったペットボトルを二本手に持ち立っていた。「これでも飲んでさっさと酔い冷ませ」そう言ってもう一度水を差し出すので、小さくお礼を言いながらそれを受けとる。
背中をさすっていた途中でいなくなったのは、これを買いに行っていたからなんだ。もう一つは自分用だろうか。
そんな事を考えながらペットボトルの蓋を開けていると、彼はもう一つのボトルを開けてはしゃがみ、徐に今さっき出したばかりの私の嘔吐物へとかけ始めた。そんな宮地の行動に見いっていると、全てを綺麗に流し終えた彼が立ち上がりこちらを振り向き私を見下ろす。

「さっさと飲めよ」
「あっ、ご、ごめん」

慌てて一口含めば、吐いたばかりで胃液がまだ口の中にあるせいか水がとても甘く感じた。

「んで?このあとどうすんの」

そう言えば終電終わっちゃったんだよね。家までまだ二駅もあるし歩いて帰るのは無理だから電話してタクシーでも呼ぼうかな。
もう一口水を飲みながら考えていると、私の返事を待たず再び宮地が口を開く。

「オレの家直ぐそこだけど来るか?」
「うぇ?」

図上から降ってきた思いがけないお誘いに間抜けな声がこぼれる。 思わず持っていた水を落としそうになった。
家に帰っても一人だし、少しだけ宮地の家にお邪魔しようかな。帰りたくなったらいつでもタクシー呼べばいいし、始発の時間まで二人で飲みなおすのも悪くない。一人で勝手に計画をたて、彼の誘いを受けた。

「せっかくだから飲み直そうよ」
「吐くまで飲んどいてまだ飲む気かよ」
「ダメ?」
「ダメに決まってんだろ」

なんだよケチー。拗ねたようにわざとらしく頬を膨らませれば、直ぐに宮地の大きな手が私の頬を掴む。何が面白いのか、ぶっさいく。と、彼は私の顔を見ながら一人小さく笑っていた。失礼なやつだ。
冷たい夜風にあたりながら冷えた手を暖めるためコートのポケットに手を突っ込み、急いで宮地の家へと向かう。途中寄り道したコンビニで酒やらおつまみやらを購入していたので、なんだかんだ言って宮地も最初から飲む気だったんじゃないか。
宮地の後ろを金魚の糞のように着いて行っては、彼の家だと思われる二階建ての小さなアパートに到着し階段を上ろうとしたとき、そう言えば と、ある事を思い出した。
以前彼から独り暮らしをしていると聞いた事がある。もしかしなくてもここは宮地が一人で住んでいる場所だろう。そんな男の独り暮らしの部屋に、女の子が一人で入ってしまっても大丈夫なのか。…まあ、普段本人から全く女の子扱いされていないんだけれども。おまけにさっきあんな醜態を晒してしまったし、宮地自身私なんかに何かするとは考えられない。アパートの階段の一段目に右足を乗せたままつい先程出た問題を自己解決していると、既に二階に着いていた宮地に何してんだ早くしろと急かされたため急いでかけ上がった。

「お邪魔しまーす」

階段を上って直ぐ目の前の扉が開かれ、家主が入るのを待ってから私も後から着いていく。扉が閉まるのを確認してからきちんと施錠をすると、それを拒むかのように宮地が再び鍵を開けた。閉めなくていいの?言葉にはせずに目だけで彼に訴えかければ、彼は少しだけ私の目を見てから何も言わずに部屋の奥へと入っていく。
ああ、そう言うことか。一応私の身を案じてくれているのだな。
普段私に向けられる彼の態度からは想像出来ないようは紳士な振る舞いに、少しばかり驚いてしまった。
部屋の奥へと進んで行くと、想像していた男の独り暮らしとは思えないほど部屋は綺麗に片付けられていて、顔に似合わずアイドルが好きだと聞いていたのでポスターとか壁に貼ってあるのかなとも思ったがそれすらもない。全く、なんの面白味のない部屋だ。
宮地のものとは別に、来客用なのかあまり使われていない座布団を机の側に置いたので、ここに座ればいいのか、と 一言お礼を添えて腰を下ろす。宮地はさっきコンビニで買ったばかりのお酒を二本とおつまみを机の上に置き、残りのお酒を冷蔵庫へとなおしに行った。
仲のいい間柄と言ってもやはり初めて入る他人の部屋、緊張して思わず正座になってしまう。宮地が台所から戻ってきて、私の目の前に机の上に置かれた缶ビールを差し出したので、頂きます、と プルタブを開けた。

「結局飲むんだね」
「まあ最初から一人で飲むつもりだったし」
「そう言えば宮地今日あんま飲んでなかったもんね」
「誰かさんは吐くまで飲んでたけどな」
「だって店長が!」

つい一時間程前まで行われていたバイトの新年会での出来事を思い出した。店長の酒癖の悪さは従業員中に知れ渡っていて、飲み会の時はみんな店長の隣には座ろうとしない。もちろん私もその事は知っていたのだが、店に入って直ぐにトイレに行ってしまい遅れて座席に行くと店長の隣しか空いていなかったのだ。渋々その席に座ったのだが、開始早々飲まされまくった。そんな私の様子を、向かいに座っていた宮地はただただ黙って見ていただけだった。見てないで止めてほしかった。

それからも二人でバイトや大学、趣味の話で盛り上がってしまい、酒もどんどんと進んでいく。何本目かわからない缶ビールが空になった時、眠気が訪れそのまま床に寝転がった。フローリングが冷たくて凄く気持ちいい。

「寝るならベッドで寝ろ」
「もう動けない」
「そこで寝られると邪魔なんだよ」
「抱っこ」
「はあ!?」
「抱っこで連れてって」

酔っているのか、自分でも変な事を言ってしまったと思う。何言ってんだバカか、って怒られちゃうかな。なんて思っていると、急に体が宙を浮く。一瞬、何が起こったのかわからなかったが、しばらくして宮地が私を持ち上げたのだとわかった。驚いて数回目を瞬かせていると、宮地はそのまま私を隣の寝室に連れていきベッドへと放り投げた。

「もうちょっと優しくしてよ!」
「うるせー、酔っぱらい!」

始発で帰れよ。そう言い残し、彼は私に毛布を投げつけまた部屋へと戻っていく。例え口が悪くたって、態度が悪くたって、宮地が優しいのは知っている。そんな彼の数少ない一面を思い出し口元を緩めていると、さっきの衝撃でか、少し気持ちが悪くなった。

「宮地ぃ、みずー!」
「甘えんな!」

寝室から隣にいる宮地に聞こえるように声を出せば、直ぐに返事が返ってくる。少しして足音と冷蔵庫を開けた音が聞こえ、間もなくして寝室の扉が開けられた。彼の手には水の入ったコップがあり、なんだかんだ言って私に甘いところがあるよな。今日だけ、もう少し甘えてみようかな。
体を起こして水を受け取り、ゆっくりと口にふくみながら、そんな事を企んだ。

「…ねえ宮地、」
「あ?」
「寝るまで、頭撫でてもらっていい?」
「はあ?」
「お願い」
「……ったく。ほら、さっさと寝ろ」

私からコップを受け取った宮地は、それをベッド脇の小さなサイドテーブルに置いた後、私が横になるのを確認し、小さな子供にするようにゆっくりと、優しく髪を撫でてくれた。大きな暖かい手が心地よくて、直ぐに目を閉じる。
しばらくして宮地の手が止まり、だんだんと意識が遠退いていく。もう少しで眠れそうだな、なんて思っていたら、急に胃が熱くなり夢の世界の入り口から引き戻された。慌てて飛び起きようと目を開けたら、何故か直ぐ目の前に宮地の顔があったが、そんなことは気にせず急いでトイレへと駆け込んだ。遠くから宮地の叫び声が聞こえて来たが、今はそれどころではない。
出るもの全てを出しきり、ユニットバスの小さな洗面で口をゆすいで部屋へと戻れば、宮地が鬼のような形相で私を待ち構えていた。

「空気読めよこのバカ!!」


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