時給 火黒 | ナノ





率直に言おう、金が欲しかったんだ。





成人をむかえ幾らか経ったある日、火神は大きな危機に瀕していた。説明すれば長いような短いような、いや、とにかく――金がなくなった。金銭的な余裕がゼロになってしまったのだ。

火神は悩んだ。彼は現在調理の専門学校に通っているのだが、出来る限りこのまま通い続けたい。学費と生活費が欲しい。何でも良い、バイトをしなければ。

求人情報を探しまくりいくつも面接を受け、なんとか掴みとったバイトは喫茶店のウェイター兼厨房だった。バーとしても機能している店であるため、かなり長い時間仕事に入れそうだった。その上時給が信じられないほど、物凄く良かったのだ。もう運が良かったとしか言いようがない。敬語がうまく使えないという欠点は面接の際に露呈しているので、厨房に入ることになるだろうと火神は予測していた。

火神はどうして自分が採用されたのかについてはあまり深く考えなかった。

そして火神が初めて出勤した日。店長・赤司はにぃっこりと、赤と黄のオッドアイを細めた。

「こんにちは。今日からよろしく頼むよ。火神くんにはウェイターとして積極的に入って貰うと思うから」
「え」
「今から説明を始めるから覚えてくれるかな」

議論する間も与えられず、火神は一先ず赤司に従うしかなかった。そして一通りの説明を赤司から受けたが、『ある理由』から、火神は話を聞けば聞くほど意味がわからなくなっていった。

「――と、まぁこんな感じかな。わかったね?」
「いやすんません全くわかんねぇです」

やっと発言権を与えられ、火神はついに反論・質問しようと口を開いた。しかし赤司は取り合おうとしなかった。

「火神くん、僕はわかったねと確認したんだけど」
「いやだから」
「僕が説明をしてわかったねと聞いたんだから答えは『はい』だろう」

僕に逆らうな。火神にはそんな空耳が聞こえた。赤司の笑顔は威圧的であり、火神に有無を言わせようとしなかった。





ああ、今日もラストまでバイトが入っている。お金は貰えるけど嬉しくない。

火神はほんのり憂鬱な気分に浸ってフライパンをかしかしと洗っていた。彼が着ている真っ白なコック服はウェイターになることを強硬に拒んだ成果だ。あの赤司相手に命知らずだと何度も言われた。馬鹿野郎。命よりも大事なものをかけて戦ったんだ。

綺麗になったフライパンに満足しているとウェイターの一人である黄瀬がオーダーを告げに来た。ギャルソンの格好がよく似合っている。以前何故ギャルソンの格好なのか赤司に訊ねたところ、「気分だ」と言われた。

「火神っち、次オムライス作って持ってきて!五番ね!」
「おう、了解。って俺が持って行くのか?」
「そうッスよー」
「あー…」

火神の憂鬱がほんのりからずっしりへと変わる。火神は厨房から出るのを殊更嫌がっていた。黄瀬はそんな火神の心境を知ってか知らずか、楽しげに鼻歌を歌いながらホールへと戻っていった。ヤツの神経が知れない。どんよりとした心境のまま、火神は手際よくバターライスを作り始めた。

喫茶"キセキ"の中はこじんまりとしていて、でもとても洒落た造りをしている。客席は木目調のテーブルが五つ、あとはピカピカのバーカウンターに席が五つある。壁には大きな本棚が二つ、客が好きに読んでも良いようになっている。カーペットはえんじ色で火神の靴がほんの少し、柔らかに沈む。アンティーク調と言えるだろうか。十分立派なお店であるので、火神は自分が作った料理を持って、いつもちょっぴり緊張しながら店内を歩いている。

「オムライスだ、です」

ふっくらと黄色く、綺麗に焼き目がついたオムライスを前にすると、女性客たちは美味しそう、と顔を綻ばせた。火神はお客さんのそんな柔らかな笑顔が好きだ。料理の作り甲斐があるというものだ。ついつい火神の口元も緩んでしまいそうになったが、それは抑えて火神は軽く一礼した。

「火神、俺の分は?」

そこに入り込んできたのは、女性客の近くに椅子を持ってきてどっかり座り込んでいた青峰だった。客と雑談している途中だったらしい。足を組んで、なんだか偉そうにしている。火神はそれはそれは冷たい視線を青峰に向けた。

「んなのねぇよ、です」
「は?ふざけんな、作れっつったじゃねーか。なんで俺のがないんだよ」
「アンタ客じゃねーだろが!」

そう、青峰は先輩ウェイターの一人なのだ。服だって黄瀬と同じギャルソンの格好だ。横暴すぎる非常識な物言いに火神はたまらずつっこんだ。しかし青峰は全く自分がおかしいとは思っていないようで、少しばかり不機嫌そうに唇を尖らせた。

「かったいなー、」

するり、と青峰の手が伸ばされ火神の腕を掴んだ。青峰はぐい、とそのまま力強く火神を引き寄せる。火神は不意にかけられた力にこらえきれずよろけ、たたらを踏んだ。青峰は近付いた火神の耳元に唇を近付けた。

「たぁいが、俺、超腹減った。……食べさせろよ」

ただ空腹を告げているだけの言葉は異常な程に性的であり、耳に軽くかかった息も手伝って火神ですら背中をぞくぞくと何かが駆け上がるのを感じた。火神はたまらず真っ赤になって顔を背けて、「………あとで作ってやるからっ」とやけくそになりながら言った。青峰はそんな火神を見て、にやにやと笑っていた。

――そんな火神と青峰の一連のやり取りをオムライスを注文した女性たちはこれでもかというほど目を見開き凝視、体はぶるぶると萌えに悶えていた。

じゃあ厨房行く、です、とその場をそそくさと離れた火神の背後からは、やれ青火だの火は受けにきまってるだのときゃぴきゃぴと騒ぐ声が襲って来ていた。

火神は安息の地である厨房で頭を抱えた。

「ホントなんなんだここぉ…」
「だぁからBL喫茶ッスよ、火神っち。次二番テーブルにサンドイッチひとつねっ。三角のやつで、俺と、火神っちと、青峰っち!」

火神は泣きそうになった。でも注文は注文だ。三角形のサンドウィッチは作るのは物凄く簡単で原価も安価であるのだが、お客様にはちょっと高い値段で提供される。要は、茶番劇をする代金なのだ。サンドウィッチを作り終わったら、火神は男を相手に三角関係を演じなくてはならない。

火神が勤めているのは喫茶店だった筈だ。でも何故かその喫茶店は寂れた雑居ビルの三階に位置し、腐敗臭をシャンプーや香水の香りでうまく隠した女性達しかやってこない。火神はこの店で、体力や調理技術の他に心も売り飛ばしている気がした。



心身ともにへとへとになりながら働き夜九時を回った頃。からんころん、とドアベルが来客を告げた。本当ならコックの服を来た火神は対応にあたることはないのだが、丁度他のウェイター達は手が離せないらしかった。ドアの側にいたこともあり、火神は客の方へと向かった。しかし、入口付近に人がいない。確かにドアベルは鳴った筈なのだが。自分は何か勘違いをしたのか、と不思議に感じつつ戻ろうとすると、あの、と背後から声を掛けられた。なんだ、やっぱりお客が来ていたじゃないか。

いらっしゃいませ、と言いながら振り返って、火神は固まった。

火神からすれば背も低く、顔も整っていてで中性的な雰囲気もするのだが、やって来た客は男性だったのだ。

「あ、えと、」

火神は言葉に詰まった。この男性にどうやってこの喫茶店の異様さ(というか男子禁制の園であること)を伝えようか。冷や汗をだくだく流しながら悩んでいると、その客はくすりと笑みをこぼした。

「キミ、新人さんですね」
「え…あ、おう、はい」
「大丈夫、僕はここがどういう場所なのかわかっていますよ」

落ち着いた物腰や話し方から察するに、彼は自分と同年代かそれより上のようだ。そうだ、もしかしたら、自分が入る前にやめたバイトの先輩かもしれない。というよりも、火神にはそれが正解としか思えなかった。

「おー!テツ!!すげぇ久しぶりじゃねぇか!」
「青峰くん。こんばんは、お久し振りです」
「えっえっ、黒子っち来たの!?うわぁぁぁ黒子っちぃぃぃぃぃ」
「黄瀬くんは自分のやることを済ませてから来てくださいね」
「はいッス!!」

テツ、黒子と呼ばれているこの人はこの奇天烈な店にすっと馴染んで、なんだか良い意味で空気のようだった。青峰までがじゃれついている。ただそんな様子を見ていて――働いてた時は『受け』をやらされてたのではないだろうか。そう一瞬考えてしまい火神は頭が痛くなった。ヤバイ、毒されている。火神はそんなことを考えてしまった自分に絶望すら覚えた。そして弱々しい声で黒子に、席まで案内する、です、と声をかけた。

黒子がどうやら火神の先輩ではないことは、黒子のオーダーを聞いた瞬間に知れた。

「火神っち、『大人のポッキー』、青峰っちと!二番ッスよ、黒子っちのところ!」

厨房から出たくなかった。

のろのろと二番テーブル、黒子のテーブルに向かうとその側に立っていた青峰がおせぇよ!と軽く怒った。火神は冷やされたグラスに数本入れられたポッキーを、暗澹たる思いでテーブルにおいた。

「わりぃ、です……これ、ポッキー…」
「おー、よし。ん!」

青峰は一本ポッキーをくわえて、火神の方に突き出した。

大人のポッキー。まぁそういうことである。

「青峰くんは情緒がありませんねぇ」

黒子は表情をさほど変えることなく、しかし少し楽しげに言った。火神は、変態、変態、変態と黒子を心の中で罵った。男の癖に、どうしてこんなものを見たがるんだ。青峰は早くしろよと火神に視線をやった。ずいっと火神に歩み寄り、ごく自然にその腰に手を沿わす。適当に客を扱う癖に青峰はなんだかんだそういった仕草に慣れている。青い目が色っぽく、火神の目を覗き込んで来て、火神は思わずひぃぃと悲鳴をあげそうになった。仕事なのだ。仕方ないのだ。うおおおおぐあああああと心の中で咆哮しつつ火神は青峰とは反対側のポッキーを……ちまっ…とくわえた。火神の精一杯である。顔だって真っ赤だ。

そんな火神とは逆に青峰はさくさくとポッキーを食べ進める。火神はポッキーをへし折りたがったが堪えた。その上、彼は律儀にも僅かだがポッキーをかじった。一応、ゲームとして成立させようと努めたのだ。

通常なら最悪唇が少し触れたところでこのしょうもないゲームは終了なのだが、青峰はがしっと火神の後頭部に手をやった。

「!」

コイツまさか、と火神は思った。そのまさかだった。青峰の少しかさついた唇は火神の唇に思いきり押し付けられたのだ。そして。

「ん、!…………んっ、んぅ…ぅ…!!」

このアホ峰ぇぇぇ死ねっ!!思いっきり舌入れやがったあああああ!!

ちゅ、くちゅ、と火神からしたら聞くに耐えない音が響く。舌と舌の間でポッキーの破片がざりざりと擦れる。火神はディープキスから逃れようとのけ反るが青峰は逃がそうとせず逆に火神を抱き込み、そのせいで体が密着した。

「ふ、っ」

青峰は最後に火神の唇を舌でなぞり、やっと火神を解放した。

「テツだからサービスな」

青峰自身も唇を舐めて、黒子を振り返り得意そうな顔をした。火神は無言で俯きごしごしと口を拭う。情けないことにうっすら涙まで出てきた。気持ち悪い。早く口を漱いでしまいたい。

「ごめんなさいね、火神くん」

注文した客である黒子は丁寧な言葉遣いでそう言った。火神は謝られたことに逆にむっとして言葉を返そうと顔を上げた。が、口を開けたまま止まってしまった。

「珍しく僕も、普通に興奮しちゃいました」

黒子はうっとりと頬を染め、恍惚とした表情をしていた。少し潤んだ瞳や、薄く開かれた唇は、彼を変態だと罵るのが憚られるほど綺麗だった。

そんな黒子を見て、火神はこれ以上ないというほど、顔を赤く染めた。紅潮した頬の意味に気付く者はまだ一人もいなかった。



20130209


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