きまぐれねこ2 | ナノ


翌日、土曜日は朝から練習だった。

ダムッダムッというボールが床をつく音は聞き慣れているせいか耳に心地よい。うきうき胸を弾ませながら練習に臨む。俺がシュート練を始めると、フォームを見てくれようとした日向が目ざとく俺の右手のミミズ腫を見つけた。

「それ、クロの仕業か?」
「クロ?………ああ、そうだ。頭を撫でようとしたら引っ掻かれちゃってな」

昨日ひゅーがに引っ掻かれた場所はいつもよりちょっぴり傷が深かったらしく、真っ直ぐ細長いかさぶたができていてほんの少し赤らんでいた。時間が経ったのに痒くて痛いなぁとは思っていた。

「気性が荒いんだな」
「もとが野良猫だったしなぁ」
「この傷は平気だけど、この先化膿とかしないように気を付けろよ」

日向の俺を気遣う言葉を聞くと、俺の頬はだらしなく緩んでしまう。心配というのは、必要とされているという明らかな証拠だと思うのだ。

そしてほこほこした気持ちになりながら、俺は、昨日のひゅーがの反応を思い出していた。馬鹿らしいのだけれど人間の日向は撫でたら引っ掻いてくるのだろうか、というちょっとした疑問が浮かんだのだ。そっくりな猫と人間の、反応の違いや如何に、なんて。うーん気になるな。こういうのが変人なんて言われる由縁ではある気はすれど、思い付いたからには試してみたいので俺は実践することにした。

ツンツンとした黒髪に手を伸ばす。

「心配してくれて、ありがとにゃー」

俺は日向の頭をぐしゃっと撫でた。なかなかの撫で心地だった。日向は状況がよくわからなくなったのかぽかん、と間抜けな顔をしている。俺は抵抗されないことをいいことに、もさもさと撫で続ける。心がもっとほこほこする。しかしついに日向は全力で俺の手を撥ね飛ばした。叩かれた手がじんと痺れた。

「キメェんだよダァホ!!、死ねッ!!」

吐き捨てるように言って日向はそのまま走って練習に戻ってしまった。ちらちらと他の部員の目がこちらに向くくらいには大きな声だった。引っ掻かれることこそなかったが、嫌悪丸出しの過激な言葉はやはりひゅーがにそっくりだ。俺は思わず吹き出してしまった。



雑談は終わっても練習は続く。まだまだ、怠った体は以前のように動いてくれないらしく、リコの作ったトレーニングメニューに俺の体は悲鳴をあげていた。全身が重い。日が沈む頃には練習にならないと判断し、自主錬は早めに切り上げることにした。

着替えを始めようとロッカーに手を伸ばした時、俺は汚い部室の隅に丁度俺でも座れて眠れそうなスペースを発見した。

……なんて誘惑なんだ……。

体は睡眠を要求している。自制は仕事をサボった。

ちょっとだけちょっとだけ。そう言い訳して俺は床に膝を立てて座り込み壁に凭れ………予想通り爆睡したのだった。

きっと意識は沈んだり浮上したりを繰り返していたのだろう。たまに聞こえる雑音で部員が部室に出たり入ったりしていることはわかっていた。皆入るときは騒がしくても俺のことを気遣ってかそっと部室を出ていった。その優しさが幸せで、安心したのか眠りは一層深くなっていった。

それからどのくらい経ったのか。俺は右膝にあてられた柔らかい感触と聞こえたのが不思議なほど小さなリップ音で目が覚めた。

――ひゅーが…?

ざらざらした感触ではなかったけれど、右膝といえば猫のひゅーがだった。しかしゆっくり開けた目の前には何もいなくて、きょろりと部室の中を見回すと日向が一人で着替えをしていた。どうやら彼は最後まで残って練習していたらしい。

「日向?」
「やっと起きたか」

日向はこちらに背を向けたまま着替えを続けている。練習を続けて作り上げられた綺麗な背中はすぐにシャツに包まれた。

「いや、あんまり眠くてなー。体力戻ってないわ」

いまだ残る眠気で多少ふらつきつつ俺も立ち上がると着替えを始めた。

ロッカーを開け、制服を取り出す。すぽりとTシャツを脱いで。俺は動きを止めた。やっぱり、どうしても俺は我慢しきれなかった。

あの感触は夢にするには正直生々し過ぎた。

「なぁ、日向。さっき、右膝に」
「したら俺帰るわ」
「えっ」

上半身裸の状態で俺は日向を振り返った。

「なんでだ?一緒に帰ろうぜ!」
「うっせぇ、待ってられっか」

日向はそう言い捨てて部室から出ていった。無情にも扉が閉まる。俺は抗議の声をあげた。ひどいぞ日向。いつもよりもっとつれない。あしらう言葉もかなり適当だ。

半裸で追いかける訳にもいかず、俺はのろのろ着替えを進めた。ズボンに履き替えながら、先ほどの感触を思い出す。あれの正体。日向は一貫してこちらに背を向けていた。だから表情を伺うことは出来なかったのだけれど――部室から出ていく日向の耳とうなじは真っ赤に染まっていた。

俺にはその赤さが真実であるように思えた。



家に帰ると、いつになくひゅーがが絡んできた。表面は取り繕っていても実は大混乱している俺なんてすっかりお見通しみたいだ。歩いていても足にすりすり、体を擦り付けるし、布団に寝っ転がれば、膝を舐めたりまたすりすりしたり。ばぁちゃんはモテモテねぇと笑っていた。

ひゅーがに膝を舐められると、あの柔らかな感触がうっすらと蘇った。風呂にも入ってない部活終わりの汚い俺の右膝に、日向はきっと、キスしたんだ。その行為にはどんな意味があったのだろう。

でも…キスって…。

考えると頭にワー!!と熱がのぼってしまう。だって俺は、ずっと深く考えるのは避けて来たけれど、拾ってきた黒猫に『ひゅーが』と名前をつけてしまう位にはアイツのことが好きなのだ。

「あーあ、どんな顔して会えばいーんだろなぁ…」

ボリボリ…後頭部を掻く。日向は、俺を好きなのだろうか。ずっと、嫌いと言われていたのに。出会った頃は大嫌いとさえ言われていたのに。

ふぅー、とため息を吐くと、俺の膝辺りで丸まっていたひゅーががトコトコと俺の頭までやって来た。金色は出会った頃のままで、綺麗に光っている。

「どうした?ひゅー」

が、と続けるつもりだった言葉はひゅーがのキスで止められてしまった。キスって言っても俺の唇の端を小さくざりりと舐めただけなのだけど。

奪われちゃった。

「…」

取り敢えず、

「次はこっちにしろよって、言ってみる、かな…?」

それで良いのかな、なぁ、ひゅーがさん。ひゅーがの喉元に手を伸ばしぐりぐりと擽ると、ひゅーがは俺に爪を立てることなく、気持ち良さそうにぐるるぐるると喉を鳴らしたのだった。

さて、『日向』はどうだろう?



きまぐれねこ、ひとりといっぴき



20121021


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