なにやってるんですか。 「わん」 「うぉっ!!」 ぼくが声を掛けると、カガミクンの肩が跳ねあがりました。こっちを見て、脅かすんじゃねぇよ、と眉を寄せて悪態をついています。そのくせ少しつりあがった目の奥は怖がって揺れています。ぼくは別におどかそうとした訳じゃないのに、失礼ですねぇ。 ――嘘です。本当は、本当は少しだけこうなると思ってやりました。理由はぼくの拾い主の黒子テツヤです。今、彼は厳しい練習にへばって、体育館の隅のあまり綺麗じゃあない床にひっくり返って眠っています。よく見かける光景です。 カガミクンは僕を見下ろし言います。 「騒ぐなよ?黒子、寝てんだから」 「わふ…」 さっき、ぼくに勝手に驚いて騒いだのは誰ですか…。 カガミクンは体力のない黒子テツヤを、休憩時間にたっぷり休ませてあげようとしているのでしょう。彼は見た目に反して随分面倒見が良いですから。本当にそれだけだったらぼくはわざわざカガミクンに話しかけることもなく、黒子テツヤの側に座るだけで満足できたんです。 それだけじゃないから、ぼくはカガミクンにいじわるしました。 カガミクンはぼくが知っている限り、黒子テツヤが起きている間は黒子テツヤにそっけないし、話しても喧嘩ばっかりしています。二人がかちりと噛み合っているのは表面がぽつぽつした、ぼくには大きいボールを追いかけている時だけで、ぼくは最初、カガミクンと黒子テツヤは仲が悪いのだろうかと思っていました。 その認識が変わったのは、今みたく黒子テツヤが力尽きて眠ってしまった時でした。 カガミクンは寝ている黒子テツヤを見つけると、近くに座って、おそるおそる髪に触れたりします。柔らかい髪の毛がこっそり撫でられているのを、ぼくは何回も見ました。その姿には彼が普段発しているとげとげしたものはなく、温かな感情と僅かな後ろめたさが漏れていました。ぼくはそんなカガミクンを見るにつれ、ああそうか、カガミクンは黒子テツヤを大切にしているのか、とわかるようになりました。 ただ最近、彼が黒子テツヤをこっそりと大切にしているのには、もっと理由があるのだと、ぼくは思っているのです。 「わんっ」 「あっ、こら!」 ねぇ、カガミクンは黒子テツヤが好きすぎて、困っているんじゃないですか? 「わんっ、わんっ」 だってカガミクンは寝ている黒子テツヤに手を伸ばすとき、いつも、絶対、指先が震えているじゃないですか。 怯えと戦いながら大切にしようとするその感情を説明するならば、この答えが一番しっくりくるのです。 「2号、しーっ!」 カガミクンは焦り口元に人差し指をやりましたが、遅かったみたいです。黒子テツヤはゆっくり目を開けました。ちなみに休憩はもうすぐ終わりです。ぼくはむやみやたらにカガミクンに話しかけた訳ではありません。 「………にごう?」 「わんっ!」 おはようございます、黒子テツヤ!ぼくは目が覚めた黒子テツヤに一番に声をかけました。 「おはようございます、2号」 黒子テツヤは起き上がり微笑んで、ぼくの頭を丁寧に撫でてくれました。ぼくはそれだけでこの上なく幸せです。えへへ、羨ましいでしょう、カガミクン!きみは黒子テツヤを撫でることができるけれど、ぼくは黒子テツヤから撫でて貰えるんですよ!ちらっとカガミクンを見ると、むっと口を尖らせていました。 「あ、火神くんもおはようございます」 「…………おう」 「ちょっと、なんで既に不機嫌なんですか」 「別に」 「……そういえば、僕が起きる時、大抵キミがいますね。もしかして、何か用でしたか?パスの話とか…」 「ッ別に!!」 強く否定して、カガミクンはさっさとコート、に行ってしまいました。黒子テツヤもきょとんとしています。 練習はすぐに始まりました。カガミクンと黒子テツヤはまた飽きもせずボールをついたり投げたりします。体育館の振動はいつも通りに彼らを奮い立てています。ぼくも見ていて楽しいです。尻尾が勝手に揺れてしまいます。 彼らの動きを夢中になって眺めていると、大きな影がふっとぼくにかかりました。足音と匂いで誰なのかはわかっています。ぼくは影の主を見上げました。 「まったく。あんまり、邪魔してやるなよ2号」 交代待ちのキヨシセンパイがぼくの隣にしゃがんで頭をぐりぐりと撫でてきました。大きなおててはぼくの頭をすっぽり包むので気持ちいいけれど変な感じがします。 口ぶりから察するに、キヨシセンパイは、カガミクンの想いに気付いていたんですね。その上ぼくのいじわるも、ちゃあんとわかっています。この人は何でも知ってる風で、食えない人です。 「2号は起きている黒子に簡単に触れるけれど、火神にはそれがむつかしいんだぞ?」 苦笑したキヨシセンパイにたしなめられてしまってぼくは少ししょんぼりしました。 「…くぅん」 情けない声が出てしまいました。 ……ええ、わかってます。ぼくに、カガミクンにいじわるしてもいい理由なんてないんです。ただ、でも、ぼくはぼくを見つけて、拾って、居場所をくれた黒子テツヤが、本当に大切なんです。とられちゃうのは、やなんです。 「寝ている時くらいは黒子を貸してやってくれよ。な?」 「………くぅ、ん…」 「はは、強情だなっ」 キヨシセンパイは不思議です。僕の言いたいことが全部伝わってるんじゃないかと勘違いしそうになります。 「火神に頑張ってるご褒美、あげてやれよ」 ほら、とキヨシセンパイは指差しました。 その時カガミクンが強く床を蹴り跳躍し、直接ボールをリングへと叩き込みました。リングがぎぎと軋んでいます。これはよく知ってます。名前も知ってます。こないだ、ヒューガセンパイがぼくのお腹を撫でながら、ダンクって言ってました。 「わんっ!!」 確かにカガミクン、今のダンクは良かったんじゃないですか? そうぼくが褒めると、カガミクンは振り返り、なんの忌憚もなく嬉しそうに笑いました。大好きなバスケをしているときのカガミクンは、くやしいですがぼくも好きです。だから、その笑顔を見たら少しだけ、黒子テツヤを貸してあげても良いかなぁと思いました。 ……まぁ、でも、本当にちょっとだけですけどね。 臆病バカとの水面下の攻防 20121019 back |