刹那主義 | ナノ


かつんかつんと黒板には白い文字が上から下、右から左へと伸びる。7組の今日の昼休み前の授業は現代文だった。腹減ったし縦書きの授業ってテンション下がるなぁ、書きづらいし小指が汚れる。そんなことを思いつつ花井は板書をとり終える。と、手持ち無沙汰になってしまって、花井はこっそりと教室の中を見回した。

無意識に目が行ってしまうのはやはり野球部の面々だ。かくりかくりと明らかに船を漕いでいるのは水谷。まぁ、期待を裏切らないというか。叱ってくださいとばかり言っているようなものだ。隣の席の阿部は真面目に授業を聞いている――ように見える体勢で、実は居眠りしている。目を閉じてぴくりとも動かない。阿部は授業前にだりいだのねみいだの散々っぱら文句を言っていた。故に熟睡か。まぁ、今やっている範囲は確かに寝てもどうにかなるだろうしノートは後で花井に借りるつもりなのだろう。唯一篠岡はわりと真面目に授業を聞いているようだった。流石頼れるマネジである。

野球部含め、結局かなりの人数が居眠りしていることがわかり、花井は少し笑ってしまった。屋外はマフラーが欲しくなるくらい寒いけれども、陽射しが細い矢のようになって注ぐ教室の中は級友の温もりもあって心地よい温度になっている。眠気を誘う暖かさなのだ。現代文の担当教師があまり講義がうまくないこともあり授業視聴率の低下は深刻である。態度には出していないが教師も内心苦笑い、というとこだろう。

油断しているとまたカツカツと音を立てて白い文字が増えた。花井は慌てて文字を追う。文字を言葉として認識して、ある言葉が引っ掛かった。花井の脳内に疑問符が浮かぶ。

――『刹那主義』…?

はて、どういう意味だったか。刹那、の意味はそれとなくわかっている。でも主義が付くと意味がぼやけてモヤモヤとする。知ってるけど、わからない。教師の話からすると、享楽主義みたいなものだろうか?

後先を考えない。今が楽しければそれでいい。現在を最優先。

多分、花井にとっては少々苦手なタイプの人種を指す言葉である。安定した堅実な生き方を好む花井は後々困るとわかっているのに今が楽しけりゃそれで良い、宵越しの金は持たねぇなんて風な、危なっかしい生き方をする人間が理解できないのだ。

花井の頭の中に、そんな刹那主義にぴたっと当てはまる奴が浮かんだ。今頃9組できっと眠気や空腹と大戦争でもしている、田島悠一郎だった。

だが、苦手だと思う一方で花井は田島の生きざまをきっぱりと否定する気にはなれなかった。

田島は兎に角楽しいことにかける労力を省みない。どんな時でも一瞬を全力で生き、息切れさえもいとわない。目を瞑ってしまいたくなるほど眩しい生き方をしている。

悪い意味で使う刹那主義を良い意味で使うのはおかしいんだろう。でも、そんな田島の刹那主義は悔しいくらい気持ちがよいのだ。自分に無いものを求めてしまうのとおんなし理由で花井は田島に羨望すら抱いている節があるようだった。堅実な生き方というのは抑圧と切り離せない関係にある。あんな風に感情のまま生きたらどれだけ気持ち良いだろう?

だけど。

――! やべ、

考え込んでしまってトリップしていたのか、いつの間にか真っ白になった黒板は今まさに消されようとしていた。花井が慌ててノートに書き込もうとした瞬間、バッサリと黒板消しが走り白色が粉々に薄く散らばってしまった。

クソ、やっちまった。花井はうぐぐ、と歯軋りして、すぐに諦めた。所詮現代文。なんとかなる、と信じている。

そしてもう一度、新たに黒板が埋まった時、丁度昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた。



「花井、さっきの現文のノート貸せ」

がつがつと貪るようにそれぞれの昼飯を食べ終えたところで、阿部がずいっと右手を出してきた。全く悪びれた様子がないところがいっそ清々しい。同様に水谷も便乗してきた。ノートを貸すことに抵抗はないが、花井は少し眉を下げて、

「いーけど、板書ちょっと抜けちゃったとこがあんだよ。わり」

と謝った。それに対する二人の反応が、コチラ。

「んだよ梓は使えねぇな、ちゃんととっとけよ」

と、阿部。

「そんなの全然いいよぉ、貸して貰うの俺だし」

と、水谷。

花井は二人の返答を聞くと迷わず水谷に抱きついた。

「水谷ぃ、お前って良いヤツだなぁ!大好きだ!」
「わ、あははっ俺も花井大好きだよー。でも比較対象が凶悪過ぎない?」
「そりゃ褒め言葉だなクソレ」

捕手は性格悪くてナンボ。水谷の言葉に全くダメージを受けずに阿部はふんっ、と鼻を鳴らした。その姿・行為はあまりにも阿部に似合いすぎていてむしろ褒めるべきなんじゃないかと勘違いしてしまうほどである。花井は好感度の高かった水谷から先にノートを貸し出しつつ、悪びれない阿部に言った。

「阿部もよぉ、水谷のこういうとこだけは見習えよ…」

水谷は花井の発言に、ん?と眉を寄せた。

「こーゆーとこ『だけ』?」
「ふざけんなよ梓。こんなクソレで米で頭ん中空洞なヤツに見習うべきことなど一つもねぇ。梓まで頭おかしくなったか」
「ねぇねぇ阿部もやっぱりひどいけど花井も『だけ』ってひどくない?無意識に言ったよねそーだよね?」
「返答に容赦無さすぎだろ…。あと嫌がらせのように下の名前で呼ぶな!!」
「お前なんて梓ちゃんで充分だ」
「ねぇねぇー」

水谷?いたっけそんなヤツ。良いヤツな水谷は都合良く存在が消されつつあった。

「おっ、はないー!」

下らない掛け合いをしていると、廊下から田島の元気な声がした。入り口に目をやると、ぴょこぴょこ跳び跳ねる田島が一匹確認できた。教室移動なのだろう。花井は田島に向かって軽く手をあげた。

「よぉー。どうした?」
「購買行く!メシたんねー!!」

花井が続けて何か(また早弁で食べきったのかよ、とか、何買うんだ、とか)言おうとしたとき、田島ぁ!と急かすような声が遠くからした。泉だ。ってか泉、お前もか。

「おー行く行く!、じゃーな花井!」

言って田島は駆けて行った。いつも、廊下は走るなと、あれほど。それよりも、花井には引っ掛かることがあった。

「慌ただしいねぇ」
「いつも通り、うっせーよな」
「…そうだな」

――刹那主義。

俺は、田島の大切にしているいくつかの刹那のどこかに、存在できているのだろうか。

忙しく日々を過ごす田島の中で、自分はとるに足りない存在なのかもしれない。なかなか追い付いてこないチームメイトで、だからきっと彼が大好きな野球の一部分にちょっとお邪魔させて貰っているくらいで。花井の中の田島に対する感情の占める割合は増加傾向にあるから、自分だけが意識しているなんて、なんだか悔しかった。

ふと目を向けた先には、広いグラウンドが見える。花井たち野球部が使うグラウンドはよく見えないけれど、今朝も練習した場所の土の盛られたマウンドとか、錆びたベンチとか、バットのグリップの感触なんかは鮮明だ。花井は何時間か後、そのグラウンドで泥に、野球に、まみれるのだ。

まみれても、田島の目にうつりたい。

「――せつないなぁ」

花井は子供っぽい感傷と一緒に、ひどく下らない言葉を呟いた。


刹那主義



20120928

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