きみの右手が | ナノ


いつもの様に昼飯を終えると、ふと花井が席を立った。はて、今日は何か予定があっただろうか。俺は座ったまま花井に尋ねた。

「どこ行くんだよ」
「9組」

季節はもう十一月の終わり、謂わずもがな廊下はくそ寒い。それなのに何故わざわざ9組まで行くというのか。尋ねる前に花井が説明した。

「田島に英語のノート貸してんだよ。次英語だし取りに行く」

しかし花井の言葉に納得出来ず、俺は眉間にシワを寄せた。花井は面倒見の良い主将だ、だが、田島に関しては少し甘すぎるように感じる。

「借りたヤツが返しにこっち来るだろ普通」

俺の中で…いや一般的にも常識と思われることを言った。っていうか今までも田島は借りたもんは返しに来てた…よな?

俺の言葉に花井はどこか哀愁漂う微笑みを返した。

「忘れられてたら困るだろ」
「………」

なるほど保険か。てか何回か忘れられたんだな絶対。携帯で田島を呼び出せば良いのに、真面目なコイツは校内では滅多に携帯を使わない。まったく根っからの苦労性だ。それにしたって花井が自分から返却して貰いに行くなんて、俺はやはりどこか腑に落ちなかった。

そのまま俺の脇をすり抜けて行こうとする花井のカーディガンの裾を俺は咄嗟に掴んだ。

「俺も行く」

どうせ花井は田島をきつく叱るなんてできない。俺がひとことモノ申してやろう、そう思った。

鳥肌が立つほどひやりとした廊下に出ると、水谷が俺も行くー!と言ってとことこ追いかけてきた。あぁ居たんだお前。そのまま口に出すとまぁ、案の定な反応が返ってきた。



9組の教室を覗くと、浜田の周りに田島、泉が集まっていた。大抵昼休みは食って寝ると聞いていたが今日はぱっちり起きていて、三人で楽しそうにトランプをしていた。

やはり田島は花井から借りたノートのことはすっかり忘れ去っていたらしい。花井や俺やクソレを目を端に捉えた田島はキョトンとした顔でこちらを見ていた。

花井が少し険を含んだ声で田島に言った。

「たぁじま、テメー貸したノート返せ」
「あっやべっわりぃ花井!」

がたんっと立ち上がると田島は自分の机へとダッシュした。きっと花井はあと少し注意するだけで田島を許してしまうだろう。わかっていたので俺は口を開いた。

「…田島、借りたもんくらい自分で返しに来い。てか借りんな。花井使ってんじゃねー」

慌てて机の中を探る田島に、俺はきっちり注意した。あったあった、とノートを花井に差し出しながら、田島はこちらを見て口を尖らせた。

「阿部には関係ねぇじゃんか。ガミガミうるせーなー」
「関係なくねぇ。うるさくもねぇ。だらしねぇことしてうちの花井にメーワクかけんなっつの。花井が甘いから代わりに俺が言ってるんだよ」
「もぉっ!!花井は阿部んじゃねぇじゃんかっ!」
「論点はそこじゃないだろがっ!」

むぅぅぅ、とむくれる田島と睨みあっていると、困ったように花井が俺の肩を叩いた。

「もういーよ阿部…」
「よくねぇから」

俺はむっとした表情でぴしゃりと花井の言葉を拒否した。だって田島にはウメボシのひとつやふたつかましてやらないと気が済まない。花井は更にふにゃと眉を下げた。

「阿部ってさぁー花井にもわりと過保護だよねぇ」

いつの間にか田島の代わりにトランプに加わっていた水谷がのほほんと言った。

「…『も』ってなんだよ『も』って」
「三橋だよ。三橋に対しては特に病的に。自覚あんだろ」

黙ってられないとばかりに泉が口をはさんできた。泉は手元のトランプから目をあげ、こちらをチラと見ると心底嫌そうな顔をした。

「あーあ、「阿部ウッゼー!!」」

示し合わせたように泉と田島が異口同音に叫んだ。言われ慣れた言葉ではあるが、苛立ちを隠せず俺はぎりぎりと拳を握り締める。多分今の俺の表情を見たら、我が部のエースはめそめそベソをかくに違いないだろう。

って。

「……そういや三橋は?」

トイレにでも行ってるのかと思ったが戻ってくる気配がない。訊くと田島と泉は更に嫌そうな顔をした。苦笑しながら答えてくれたのは浜田だ。

「自分の席で爆睡してるぞ」
「あ、そうなんだ」

ぴょいっと指差された方を見ると、ふわふわした淡い茶の髪がいた。近付いて見ると、三橋は片腕を枕に、机に突っ伏して眠っていた。利き腕が投げ出されている。

花井もひょこりと俺の後ろから三橋を見て、ホントに爆睡だな、と笑った。

「花井、今日の練習ってそんなキツかったか?」
「いや、別に…三橋が家で自主練し過ぎたとか?」
「それは多分ないな。コイツにゃ球数制限破らせないように厳しく言ってるし」
「ホントお前って…」

花井が呆れたような声を出した。

俺は三橋の前の席に横向きに座り、投げ出されている利き手をとった。

三橋の手は、別段綺麗ではない。どころか汚いと評する人の方が多いかもしれない。俺は三橋の手の固いところを指先でなぞった。シュートのタコ、スライダーのタコ…初めて触ったときから変わらない、もしくはより逞しくなった努力の痕。そう、この努力に俺は惚れたのだ。

ぎゅうと握ってみたり、ちょっとくすぐったりすると三橋が少し身を捩ったが、起きる様子はなかった。俺は調子にのってまたむにむにと弄くりはじめる。

おもしれー。

「起きねぇなー」

花井もクスクス笑っていた。

起きないようになんてもう気にせず、尚も三橋の手を弄くっているとなにやら視線を感じた。

「あ?」

振り返るとトランプをしてた筈の奴らが、一列に並んでこちらを見ていた。

泉は冷やかな視線を、田島はトゲのある視線を、浜田と水谷は生温い視線を俺に送っていて――水谷が口を開いた。

「阿部、手つきがヤラシイ」

音の波が言葉として脳に伝達され意味を解析すること数秒。

「ッはぁぁぁぁ!?」
「ひゃうっ!?」

叫んだ俺の声のでかさについに三橋は目を覚ました。周囲の状況を確認するかのようにキョドキョドと周りを見回している。

「三橋おはよー」
「やっと起きたなぁー」
「ぁ、田島く、浜ちゃ ん、花井くん、も」

沢山の友人に囲まれ三橋は驚いているようだったが、最後は嬉しそうにへにゃりと頬を緩めた。あの三橋が今こうしてリラックスして人と関われていることは喜ばしいことだ。

「つーか、阿部はいい加減三橋から手ェ離せよ」
「そーだそーだ、三橋嫌がってるぞ」
「う、おっ」
「てめーら…」

泉と田島は声をそろえてキャンキャンと俺に噛みついてくる。三橋は今更のように俺に手をとられていることに気がついたようだった。

「あっのね!」

三橋が珍しくばっと顔をあげて発言をした。

「ヤじゃないよっ オレ 阿部くっ好きだから平気 だよ!!」

………………………。

「あ、阿部が固まったー」

田島が指摘した。

「そのくせ三橋から手ェ離さねえぞこのキモベ」

泉が毒づいた。

「えいえい。うわぁ引っ張っても離さない」

水谷が試した。

「…はぁ」

花井が嘆息した。

「お前らその辺にしとけよ……」

浜田が諭した。

失礼な物言いをした奴らに鉄槌を下す気分にもならない。俺は何故だか混乱している頭を必死に動かして、三橋に尋ねた。

「三橋。今の何?」
「え、あ。オレ、阿部く の手が好きで、それで…」

ああ、そういうこと。ふぅぅ、と俺はため息を吐いた。

三橋を活かしてやりたい、三橋の為に三橋の球を受けよう――そう決めた最初の練習試合、三星学園との対戦で俺は三橋に自信をつけたくて、でも心から「投手としてじゃなくてもお前が好きだよ」と、三橋の手を握ってそう言った。そこにおかしな意味は無かった。ただ、性格の悪い嫌われ者だとしか自分をとらえることが出来ない三橋に違うんだってことを伝えたかったのだ。

そんな思いと言葉はなんとか伝わって、三橋は目をキラキラさせて「俺も阿部くんが好きだ!」と返してきた。なんとも微妙な気持ちになったことを覚えている。

だったのに、また俺は違った意味で微妙な気分になっていた。

三橋は俺を見て、ニカッと笑った。

この笑顔の尊さもわかっている。正しく築かれた信頼関係の表れ。でも俺はどこか物足りなくて。

俺の『手』を好きだと言った三橋に俺はどうも落胆していて、だけど握った三橋の手を俺は暫く離すことが出来なかった。


きみの右手が



20120905


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