07 犬も歩けば愛にあたる | ナノ


火神くんは恋の懊悩で虎になる。そんな突飛な、新しい事実を知ったのが昨晩のことである。赤い目をした、大きな虎。大いに気に入ったふかふかとした毛皮は僕が寝ている間にもとの人間のすべすべとした肌に戻ってしまった。誠に残念なことに思う。無駄に大きい男子高校生よりもよっぽど可愛げがあったというものだ。虎は朝ご飯を用意して、ほんの少しの柔らかさをもって僕を迎えた。

昨晩僕は火神くんの家に宿泊したため、今日は彼と連れ立って学校へと登校する運びとなった。

日が南中するにはまだ早い午前のこと、学校の廊下を並んで歩きながら火神くんと僕は早くも軽い疲労感を覚えていた。若干やかましい担任教師の不満そうな怒りの声がまだ少し耳に残っている。それは、昨晩の一件で火神くんの制服はボロ雑巾の如くびりびりになってしまったことから端を発していた。

「私服でも登校して、理由もちゃんと話したのになんであんなに起こるんだよ。訳ワカンネー」

斜め上から降ってくるぼやきは現状を心底理不尽に思っているような声だった。しかしながら僕は内心このバカガミがと思った。

「確かに火神くんは事実を言いましたけれど、逸脱した事実は往々にしてだと思われるものです。そのくらい想像してくださいバカガミくん」
「バカガミ言うな!」

内心、にとどめていたバカガミと言う言葉は結局言ってしまった。うっかりである。要は火神くんが私服で登校したのが校則に抵触していた為にお叱りを受けたと言うことなのだ。加えて火神くんが虎になったから服が破れちまったんだなどと余計なことを言ったためおちょくっているのかとますます怒りを買い、状況が泥沼化。先生は火神くんが喧嘩をしたために制服を使えなくしてしまったのだと思い込んでいるようだった。まあ、確かに火神くんは体が大きいし、目つきも良いとは言えないし、わりと短絡的な行動をするので先生がそのような嫌疑をかけてしまうのも無理はないことだろう。僕はほぼ無関係だったけれど、二進も三進もいかなくなっている火神くんの様子を端から見ていてつい仏心を出してしまい、火神くんに適度にフォローを入れてあげたのだ。しかし、まさに流れ弾と言うべきか自分にまでお小言が来たので正直面白くない気分になっており、火神くんに対して先のような苛々をぶつけてしまうような発言をしてしまったのだった。

そんなこんなで新しい制服が用意出来るまで火神くんは私服で過ごすことになったのだった。元から強い存在感を発している火神くんである。私服姿で過ごすことなると目立つことこの上ない。火神くん自身寄せられる視線がかなり不愉快であったらしく、制服はなるべく早く新調しようとしているようだ。何故か、制服を買うのに付き合ってくれないかと声をかけられた。ついていかなければならない理由がわからなかったのもあり、面倒なので断る。お断りします。言うと、つれねーな、なんてぶつぶつ言っている。ほんの少し唇を尖らせて見せる姿は子供っぽかった。確かに、僕と火神くんはしょっちゅう学校帰りに一緒にマジバに行ったりするけれど、休日にわざわざ出かける用事はバスケ以外には何もない。珍しいこともあるものだと思い、僕は僅かな違和感を覚えた。

その違和感は日を追うごとにじわじわと、徐々に広がっていった。

まずは、火神くんが僕を見つけるのが、伊月先輩並みにうまくなったこと。僕は生来影が薄く、それを武器にバスケットボールをしている。声をかけるまで相手が自分のことを認識しないなんてことはざらにある。今までは火神くんも皆と一緒で、僕から話しかけたり、ペアを組んだりすることが主だった。それが今や、黒子ーなんて言いながら休み時間に廊下で偶然行き会った僕にのしかかってくる。

廊下には沢山人がいるから絶対に気付かないと思ったのに。今も、僕らの周りには生徒が思い思いの方向に向けて移動中である。じわりと背中が暖かくなったのに必要以上に驚いてしまった。とはいえ僕の表情の筋肉はあまり活動的ではないのでそのことが火神くんに伝わることはなかったが。

「よく気がつきましたね」
「まぁな」

見上げると火神くんは得意そうに笑った。もしかして、一度人間以外の動物に変化したために感覚が鋭敏になっているのだろうか。虎になったことに寄る副作用かもしれないなと僕は軽く考察した。

「でも暑いので、離れてください」
「おー、そうだな」
「…なんですかその手は」
「あ?いや、お前の頭をぽんぽん叩いただけだけど」
「…そうですか」

頭に残る優しい感触にどこか面映さを感じる。最近の火神くんの違和感のふたつめ。つっかからないし、怒らない。また、僕はミスディレクションという視線誘導を研究するにあたり人間の心理の傾向について学んだ。人間には、プライベートゾーンという親しい人以外に侵入されると不快感を覚える範囲が体の周りを取り囲んでいる。違和感のみっつめ、火神くんは、僕のそのプライベートゾーンにいやにすんなりと入り込むようにもなっていた。人間以外の本能をもっている動物と言うのは馬鹿に出来ないものだなあと感心してしまう。

「猫も気が付くと足下にすり寄っていたりますし…」
「んー?なんだ?」
「いえ、なんでもありません」

僕が首を左右に振ると火神くんはそうか?と一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに他の話を始めた。

「今日部活の後マジバ行こーぜ、なんかデミグラスチーズバーガーってのが出たらしい」

女子か。積極的に誘ってくるのも最近珍しくない。

「一人で行けば良いじゃないですか」
「クーポン、バニラシェイクのぶんもあるんだけど」
「行きます」

即答すると火神くんはからから笑った。そしてそのまま何故か僕の後について図書室へと入っていった。今日は僕は図書委員の当番がある。火神くんはスポーツのコーナーへと向かった。図書室のカウンターには降旗くんがひとり、バスケに関する本をぱらぱらとめくっていて、隣に座ると椅子が動く音で漸く僕の存在に気がついた。ただ、最近には僕がそうやって突然現れることにも慣れてしまったらしく顔を上げてにこやかな笑顔を見せるだけだ。

「お、黒子来たか」
「すみません、火神くんに捕まってちょっと遅くなりました」
「ああ、それで火神こっちに来てたんだ。珍しいと思ったんだ。…てことはそれと一緒に図書室に入ってきてたのな」

全然気付かなかったと降旗くんはほんの少しだけすまなそうに苦笑いをした。気付けないのは僕が体質的に影がうすいからなのに優しい人だ。気にしないでください、と僕は軽くフォローを入れておいた。

僕は図書委員の仕事が結構好きだ。他の生徒たちはひと月に一度くらいのペースで昼休みの自由時間が潰されることを不愉快に思っているようだが、僕はそもそも図書室が好きなので不満に思ったことはない。仕事と言ったら殆どが貸し出しなどの事務作業であり、確かに煩雑ではあるがそれでも苛々するほどのものでもないのだ(僕は影が薄いため尚更仕事量が少なくなっている)。加えて言うならば、カウンターに座って人間観察をすることもできて一石二鳥である。

僕は持ってきていた読みかけの本を開いて、静かに読み始めた。名作選ということで様々な作家の作品が載っている。数ページ読み進めて、次の作品へと移ると、僕は少し引き合わせに驚いて思わず背筋を伸ばしてしまった。目次で確認していなかったことも原因だろう。

現れた作品は『山月記』。教科書にもよく載っている、中島敦の作品である。この作品は既に読んだことがあるため、飛ばしてもよかったのだけれど、僕は何とはなしにその作品を読み返した。

『山月記』は簡単に説明すると、李徴という主人公が秀才ゆえに役人であった自分の身分に満足ができずに詩人を目指し、結果挫折して発狂、虎へと姿を変えてしまう――という話である。この説明だけではざっくりとし過ぎていて至らないところだらけなのだが、虎。人間が虎になってしまうという話は数日前に体験したばかりであるため緑間くんのいう運命とかいうものを一瞬信じてしまいそうになった。

ただ、小説の作品内の獣化と火神くんの獣化とはまったくもって違う理由で発生している。火神くんが虎になった理由は恋による懊悩。李徴の場合は自分の才能やプライドから発した懊悩だ。小説の主人公の彼は、本当は才能がないかも知れないのを自ら認めるのを恐れ、そうかと言って、苦労して才を磨くことも嫌がった。僕はこの作品を初めて読んだとき、李徴が好きになれなかった。あまりにも無様だと思えてしまって。

しかし、考え直すと火神くんの方も理由は無様極まりない。なんだ、李徴って結構頑張ってたじゃないかと思えてくる。まあ、どちらも、虎になるまで悩んでしまうんだから馬鹿にはできないなと改めて思った。

『山月記』を読み終えて、視線をふっとあげると図書室の奥の方の席で火神くんが大きな体を小さく丸め本を読んでいるのが見えた。手にしているのは降旗くんが持っていたのとは違うバスケの本と、何故か料理の本だった。キミそれ以上女子力上げてどうするんですか、と内心ため息を吐く。自分が女子だったら自分よりも料理がやたらにうまい彼氏はちょっと嫌だと思うのだけれど…。

そこで、僕はむくむくと好奇心が湧いてくるのを感じた。


改めて、火神くんの好きな人って、一体誰なのだろうか?





まずいことになったなあと自分では思っている。

火神くんの恋のお相手が一体誰であるのか、あまりよくない、言ってしまえば下世話な興味を持ってしまった自覚はあるのだが、問題はそこではなくて、「火神くんの恋のお相手が気になりすぎている」というところだ。火神くんが虎になったのは既に一週間以上前とすっかり過去のことになり火神君との間でそのことが話題にあがることもない。前述した幾つかの違和感を伴いつつも日々は穏やかに過ぎて行っている。ただ、視線誘導に長けている僕が、常に火神くんに視線を誘導されっぱなしなのが頂けないのだ。幻の六人目も形無しである。

火神くんは僕が知っている限りでは直情型であり、正直自分の感情が明確になったら直ちに行動するタイプだと認識している。そして僕は人間観察が得意であるので彼の性格の分類に間違いはないと思っている。それなのに、火神くんといったら女子との接触は最低限で食う、寝る、バスケの三つのサイクルでしか活動していない。言うことと言ったらカワーフク―フリー昼休みバスケしようぜーとか黒子マジバ行こうぜーとか…馬鹿なことは始めから知っていましたけれど、もしかしてキミって奥手なんですか?似合いませんよ?

それだから益々火神大我という男の心を射止めた相手が誰なのか気になって気になってしょうがなくなってしまったのだ。休み時間、自分の席からちょっと遠くで他のクラスメイト(男子)と談笑している火神くんをまじまじと見つめてしまう。わからない、まったくわからない。

すい、と赤い目がこちらに向いたのと、僕がやばい、と思ったのは同時だった。ぱっと視線を逸らすのがより一層わざとらしく、自分でも咄嗟に出た行動の愚かさに歯噛みした。火神くんに対して感じている違和感をすっかり失念していたのだ。今の火神くんは、伊月先輩並に僕を見つけるのがうまいっていうのに。

火神くんは会話を切り上げると、僕の方へと歩み寄ってきた。すとん、と僕の前の席に腰を落とす。

「黒子?なんか用か?」
「…いえ、別に。楽しそうに会話されてたので何の話かと思いました」
「ああ、そういうこと?別に大したこと話してねえよ」
「そうですか」

若干つっかえそうになりつつも、表情の出にくさに救われ辛くも会話は成立する。後はバスケの話に切り替えて乗り切ろうか、と考えていると、「なぁ」と火神くんに先手を取られてしまった。

「…、?なんですか」
「最近、お前俺のことよく見てねえ?」
「……」

鋭い質問にバカガミの癖にと内心で悪態をついた。気のせいだ、と誤魔化すのは逆に悪い気がして、僕は限りなく本当に近い嘘を話した。

「ミスディレクションの練習も兼ねて、キミのことを観察していました。不愉快にさせていたのならすみません」
「ああ、そうなんだ?いや、別にそんな気にしてないけど」

ふうん、と興味なさげに言いながら、次の瞬間、深い赤の双眸が、僕の目を上から覗き込む。

「俺、お前に見られてんの嫌いじゃない」

僕はただ彼を見上げて、「はぁ」と返すことしかできなかった。何やら嬉しそうな顔をしている火神くんは、わしゃわしゃとまた僕の頭をぐしゃぐしゃに掻き回している。それを鬱陶しげに払っても、やっぱり火神くんはにまにま笑っているのだから訳がわからなかった。

――本当に、訳がわからなかった。

女子との接触が少ないのは女子の中に好きな人がいるわけではないから。食う、寝る、バスケの生活サイクルが崩れないのは崩す必要がないから。料理の本を見ていたのは、手料理を食べさせたい人が身近にいるから。僕を見つけるのが上手くなったのはいつも僕を意識しているから。僕の傍にするりと入り込めるのは細心の注意を払った結果であるから。昼休みに友人とバスケをするのは、必ず僕がついてくるから。僕と一緒にマジバに行くのは、事あるごとに構うのは、少しでも僕と一緒にいたいから。僕から自分に向けられている視線にいち早く気が付くのは、やっぱり僕のことばかり気に掛けているから。

そして僕の両目を覗き込む、あの眼差し。


どうしたら、いいんでしょう。そんなことあり得ないと思っているのに、キミのことを観察すればするほどに――キミは僕のことを好きなのではないか、という推論しか残らなくなっていくんです。


「くろこ、顔真っ赤」

火神くんはきっとにやにやしながら僕のことを見下ろしている。きっと、なのは火神くんの目を見つめ返すことが、僕にはもうできないからだ。

こんなに人に見られるのが恥ずかしいと思ったのは初めてで、僕は机に伏して誤魔化そうとした。そうしたら火神くんが耳も赤い、だとか言い出すからもう逃げようがない。

火神くんは、僕のことが好きなんだ――じゃあ、僕は?


机に伏したまま、僕は彼の懊悩の重大さを知り、また自分も同じ種類の懊悩に晒される。やっぱり李徴を、そして火神くんを内心馬鹿にしたのは間違っていたのだ。悩みというものは比較するのに難しい。

顔の火照りは、いつになったら引いてくれるのだろうか。ただ、火神くんが悩みぬいた末に虎になるというのならば、僕は2号のような子犬になってしまいそうだと、そう思った。


犬も歩けばに当たる



20141104

あとがき

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