06 逆立ちをやめた愚者 02 | ナノ




翌日、俺は高尾をおいて家を出た。ぶーぶー文句を言っていたが、所詮は俺の所有物だ。彼奴の鼻先で扉を叩きつけるように閉めると大人しくなった。俺は満足し、そのまま学校へと向かった。学校生活はいつも通り、滞りなく進む。予習も完璧、授業もしっかりと聞くことが出来た。特に好んでいる回復魔法学での実習でも納得のいく成果を出せたため俺の機嫌はすこぶるよかった。

しかし、だ。

「そういえば、緑間くんの使い魔でしたっけ、高尾くんて。一緒じゃないんですか?」

偶然居合わせた赤司、黒子と真っ白な円テーブルを囲んで昼食をとっていると、黒子がそんなことを言い出した。ふよふよ、周囲にはデザートが飛びかっていて、おしるこの入った器が折角あったのに、漂って何処かへ行ってしまった。黒子がどうして高尾の名前を知っているのか不思議に思いつつも答える。

「俺は奴に外出を許可していない」
「じゃあ勝手について来ちゃったんですね」
「…は?」
「さっき、お話ししましたから」

懐かれていますねぇ、と黒子は呑気なことを言う。俺は、高尾は自分の所有物だから言うことをきくとばかり思い込んでいたので呆然としてしまった。赤司は昨日のことがあるのにそこまで機嫌を損ねてはいなかったらしく、くすくすと笑っている。俺は段々腹立たしくなって皿の上の腸詰め肉に思いっきりフォークを突き刺した。

「こら、真太郎。行儀が悪い」

赤司にとがめられてしまった。彼は一足先に食事を終え、優雅に紅茶を飲んでいる。見苦しい自覚はあったので俺は言葉を詰まらせた。黒子は赤司を横目に見て、まぁまぁ、なんて取りなしながら話を続けた。

「…僕は見つけられてびっくりしました。あと高尾くんにお前頑張ってるなって褒められました。それで、これを渡されました」

マイペースにも黒子が見せたのは、硬質な紙で作った、手書きのタロットカードだった。作った者は器用なのだろう、細かく書き込まれている。中々の完成度だ。

「"奇術師"?」
「ええ、応援してるぞって言われましたよ」

黒子は大切そうにその手作りのタロットカードを本の間に挟んだ。どうやら栞として使い始めたらしい。黒子は珍しく口元に笑みを浮かべていた。その表情を見ていると、高尾のすることは余分なことではないように思えてくる。俺は口を開いた。

「……自信を持て。という意味があるのだよ。高尾は多分そう言っているのだと思う」
「緑間くん、高尾くんのことはよくわかるんですね」

感銘を受けたかのような口調でそういう黒子に、俺はなんともいえない気分になった。

「いや…俺はアイツのことはよくわからない」
「でも、随分と気に入ってるじゃあないですか。昨日初めて現れたとは思えない仲の良さです」
「気に入っている?仲が良い?」

それは一体どういうことだ?黒子の思いがけない言葉に俺は目をむいた。黒子の方はびっくりされたことにびっくりしたらしいが、それでも表情を大して変えぬまま答えた。

「ええ。キミが心を許す早さが尋常じゃないです」

言われてみればなるほど、普通出会って48時間ほどであんな風なやり取りはしないかもしれない。

「………まあ、アイツは俺のタロットカードだからな、そういうこともあるのかもしれない。…だが…」
「だが?」
「昨日、変なことを言われたのだよ」
「変なこと、ですか」

黒子がうまく相槌を打つので、俺はすんなりと高尾の不可解な言動について吐き出していた。

「ああ…『お前の所為で、俺は逆立ちしなければならない』とか」

あの言葉の意味が、俺には今もなんだかわからない。ふよふよふよ、周囲を飛びかう甘味たち。…またおしるこを逃してしまった。今日は人事を尽くせていないらしい。

「ははっ」

俺の言葉に真っ先に反応して、笑いを漏らしたのは赤司だった。彼はらしくなく、かちゃかちゃとティーセットを鳴らした。一瞬何故か、俺は赤司の笑い声が嘲笑であり罵りであるように感じてしまった。ただこれはきっと被害妄想だろう。赤司の笑いは中々とまらなかった。

「ははは、不思議なことを言うね、真太郎。あはは。はあ。お前は誰よりもそのカードのことをわかっているんじゃないのかい?」
「……俺は自分のことは占わない」
「だとしても、カードの持ちうる意味だけであれば否応なくわかってしまうだろう、お前は人事を尽くしているのだから」

喩えお前に占いのセンスが微塵もなかったとしても。そう、赤司は語る。

「愚者とは言い換えてみれば原点回帰した賢者でもある。そもそもタロットカードに置ける"愚者"のカードには自分の人生を自分らしく生きる、という意味があったな、その逆位置――そういう意味なんだろう?」

赤司はぱちんと指を弾いた。流石、大賢者の候補にあがっているだけある。俺は赤司の正しいカードの解釈に何も言えなかった。俺は、人事を尽くしている。赤司は、別に俺の努力を否定している訳ではない。だが、この居心地の悪さはなんなのだろうか。俺はどう言葉を返せば良いのかわからず、黙り込んでしまった。

「それは不思議ですね。緑間くんほど我儘に生きている人もいないと思っているのですが」

食後のバニラシェイクをずるずるとすすりつつ、黒子が無表情のまま不思議そうに首を傾げた。嫌みを込めようとしていないのはわかっているがあまりにもまっすぐなコメントである。黒子はバニラシェイクをずるずるずるとすすり終えると、考えがまとまったかのように何かを言いかけた。

「ああ。もしかして、緑間くんは…」
「テツヤ。それ以上は口が過ぎる」
「?すみません」

黒子の言葉を赤司が遮る。赤司は自分の前に広げていたティーセットをぽんぽんと消し、片付け始めた。

「運命なのだよ、と真太郎はよく言うね」

赤司はついでに漂ってきたおしるこを捕まえて、俺の目の前に置いた。

「こんな格言もある。"運命は我々の行為の半分を支配し、他の半分を我々自身にゆだねる"――半分は、お前の好きにできるんだよ真太郎」

赤司はなんでも知っていて、なんでもわかっているかのように笑う。

「お前は、縛られていやしないかい?」

時々、俺はこの笑顔が不快だ。

用事があるので失礼するよ、と言って赤司は席を立った。黒子はバニラシェイクを飲みきったらしく、満足げにほうと息をついていた。俺は赤司の意味深長な言葉を反芻しため息を漏らした。

「…それで、あの馬鹿はどこにいるのだよ」
「高尾くんですか?ここに来る前に青峰くんと火神くんに連れられてバスケをしに行きました。確か10番の空間です」
「彼奴ら…」

バスケという競技にはまっている脳筋どもに捕まったかと俺は苦い顔をしてしまう。高尾は人に調子を合わせるのが得意であるようなのできっと楽しく遊んでいるのだろう。

「緑間くん」
「なんだ」
「赤司くんは言うなと言いましたが、僕、緑間くんはきっと無理して生きているのだと思います」

えらくさっぱりと、黒子はそう言った。赤司の指示に逆らう奴を俺はキセキと、ただの馬鹿と、それから黒子くらいしか知らない。それにしてもこんな話を赤司は制したのか?…ただ。

「…喧嘩でも売っているのか」
「そんなつもりはありませんけど」

黒子は困ったように眉を下げた。彼にしては珍しい表情の変化だ。しかし次の瞬間にはいつもの無表情に戻っていた。黒子はいつになく強い口調で俺に言う。

「緑間くん。もう、僕のこと占わないでくださいね」

黒子は食器を消して片付けると失礼しますと食堂を後にした。俺は黒子の言葉の意味するところがわからず、考えをまとめるように赤司がとってくれたおしるこに口を付けた。





学校内には自由に使用しても良い"空間"が幾つか存在している。黒子によれば高尾たちは10番の空間にいるらしい。俺は邪魔にならないよう、裏庭で扉を呼び出した。荘厳な雰囲気の漂うその扉にはダイアルがついている。俺はその目盛りを10番に合わせて開いた。

「ッ」

同時に、オレンジ色のボールが俺の顔めがけて吹っ飛んできた。咄嗟に杖なしで重力魔法を使い、自分の鼻先ギリギリでボールが止まる。勢いを失ったボールはその後重力に従い、地面へと落下した。ボールを投げたのは高尾らしく、慌てて俺に駆け寄ってきた。

「真ちゃんごめん!すっぽ抜けた!!」
「……お前が謝るべきなのはそこではないだろう」
「え?」

ぎろりと睨みつけると、高尾は間抜けな顔をした。俺が何に苛立ち怒っているのかわかっていないらしい。馬鹿ならば言わなければわからないだろうという配慮を込めて俺は何に対し立腹しているのかを告げる。

「家で大人しくしていろと言った筈だ」
「えーやだよ、つまんねぇもん」
「お前は俺の所有物だ。つまり下僕だろうが」

俺が苛立ちをそのままに、自分でも随分だと思う言葉を高尾にぶつけると、彼はただ、また笑った。

「〜〜ぶは、いつからそうなった?!うははは!真ちゃんやっぱおもろいな!」
「ッこの、」
「おい、緑間もバスケしていくか?」

暖簾に腕押しのような状況の中、火神が俺を誘ってきた。空気の読めない奴だ。ボールを片手に期待の眼差しを向けてくる。俺自身も確かにバスケという魔法を使わない競技に魅力を感じてはいるのだが、今はそんな気分ではない。自覚している、実はとても気が立っているのだ。ただ、高尾を放っておくのも嫌だ。

自分の内情を言葉で表現するのが面倒だ。俺は高尾の手首を掴み強く引くと、何も言わずに出したままにしていた扉から出て行った。足下に草がある、そのまま裏庭に戻ってきたらしかった。

「ちょ…勝手に出歩いたのは悪かったけどさ、挨拶くらいさせろよな」

背後でバタンと重い音を立てて扉が閉まった。そして足元から消えて行く。手首を掴まれたまま、高尾はぶうぶうと文句を垂れた。うるさい。うるさいうるさいうるさい。うまくいかない、折角うまくいっていると思っていたのにやっぱり捗らない。俺の何がいけない?どうしてこうも歯車が噛み合わない!

俺は唇を少し噛んだ。

「………帰るぞ」

そういうと、高尾はへーへーと頷いた。俺はこれからのことを考える。面倒なので自宅直通の扉を呼び出して、今日の授業の復習をして、それから。

「占いの練習をしなければ、」

言って、歩き出したとき、背後で高尾をとりまく空気が変わったのを感じた。若干禍々しくも思えるそれに思わず振り返ると、高尾は少し微笑んで、でもちっとも笑っていなかった。しかし怒ってもいなかったし、悲しんでもいなかった。

「タロットカードはどうするの?」

風が草の匂いをのせて吹き、髪を軽く揺らして行った。僅かにセージが薫った気がした。高尾がそう言ったのに、俺はびくりと肩をはねさせてしまった。理由は知っている。

後ろめたいことがあるからだ。

「それは…」

俺が言い淀むと、高尾はあっさりと、それはとても重大な話に切り込んできた。

「本当は、占いなんてしたくないんだ、真ちゃんは」
「何を」
「俺がいなくなった時」

構わず高尾は続ける。

高尾は笑う。でも笑わない。

「真ちゃんはどこかでほっとしただろう?タロットカードが一枚足りないことに。だから俺に元に戻れとも命じないんだ。本当は要らないって思ってるんだ」

高尾の向こうに夕暮れが見えた。次第に橙になる空、そしてじきに夜になる。高尾の言ったことは自分でも気がついていない事象だったが、図星だった。その証拠に、俺は一言も彼に言い返せなかった。高尾は笑う、笑わないで、笑いながら続けた。

「うまくなる訳ないんだよ。だって真ちゃんはいつも俺たちを使うときに迷ってしまっているんだから。迷ったまま機械的に俺らを使って占おうとするんだから。迷ったままじゃ俺たちが幾ら限りなく正しい答えを導いたって、読み取れやしないんだから」

緑間家は、太古の昔から続く占師の家系だった。"国"に仕え続ける貴重な存在だ。俺は昔から、その血を途絶えさせてはいけないと言われていた。その職を勤め上げなければならないとも言われていた。だから俺は人事を尽くしている。どうすれば、彼らの期待に応えられるのだろうかと。

その努力を高尾は笑う。いや、嗤った。

「人事を尽くしているというには他人任せで、随分とお粗末だね、真ちゃん」
「ッ馬鹿にするな!」
「うん、そういう生き方もありかもしれない、でももうここらが限界なんだよ真ちゃん」

お前はもっと他のことがしたいんだろう、と高尾はついに笑顔をやめた。

「だから俺はわざわざ二足歩行なんてして、お前に警告しに来たんだ。俺は"愚者"、でもタロットカードだ。真ちゃん、お前はこのままだと駄目になる。――心が、不幸になってしまうよ」

綺麗なアッシュグレイの瞳だった。心底心配そうに、高尾は俺を見つめた。占うなと言った黒子の気持ちが僅かにわかった気がした。俺はこんな目で勝手に見られたくない。自分が必死になって隠している心のうちを暴かれたいとは思わない。…しかし、高尾のその目は俺に変化をもたらした。俺は一度、自分を落ち着かせる為に目を瞑り深呼吸をした。再び目を開け、視界には高尾だけがいる。

「それで…そのためだけにお前はやって来たのか」

尋ねると、高尾は僅かに瞠目し、その後微笑んでみせた。

「んーん、ずっと居たよ、ずっと見ていた。真ちゃんはね、それはそれは大切に俺らのことを扱うだろ。使った後は魔法に頼らないで、自分の手で俺らを浄化してくれる。俺なんかはセージで燻されて、気持ち良くさせてくれるの好きでさ、恩返しなんだ、これは」

俺は高尾の言葉を繰り返していた。

「恩返し」
「そう」

陽はどんどん落ちて行く。脳裏で赤司が笑った。半分は運命が、しかしその半分は。

「高尾」

考えがまとまる前に俺は話し始めていた。

「やりたいことがあるのだよ」
「うん」
「俺の一番好きな学科で、人の命に関わるとても尊い職で、とても占師の片手間には出来ないことだ」
「だろうね」

高尾は頷く。こいつは、全部全部知っているのだ。当然か、何故なら彼は。やっと理解した俺は、肩の力が抜けるのを感じた。そして、俺の口からは、思いがけない言葉が零れていた。

「…これからも、見ていてくれるか」

自分でも、信じられなかった。自分の頼りない口調に面食らって、口元を押さえてしまった程だ。

日が沈んでゆき暗くなる中、星が輝きはじめている。夜を好む妖精たちが明るく光る鬼灯を持って、愉快そうにふわふわ飛び回っている。その灯りの中で、俺の長年の相棒はにっかりと笑って見せた。

「お安い御用さ、真ちゃん!」

それだけで、俺には震えるほどの闘志が湧いてきたのだ。



以来、高尾は一度も逆立ちをしなかった。



逆立ちをやめた愚者




あとがき

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