06 逆立ちをやめた愚者 01 | ナノ


人事を尽くすというのが俺の人生の最大目標である。常にベストを尽くして生きなければ、この世界に申し訳ない、そして俺自身後悔したくない。そんな思いがあって、俺は堅物と呼ばれようと変人と呼ばれようと自分がすべきだと思ったことに全力で挑んでいる。そしてそれを恥じたことも、重荷に感じたこともない。

その筈だった。



見えない者たちが楽器を手に取り、穏やかな音を奏でている。日常からこういったことをするしもべたちがいるのは裕福な家でしかあり得ないことを知ったのはいつのことだったろうか。部屋に飾ってある水晶の玉や香炉なども珍しいものであるらしい。そんな落ち着いた広いリビングに重苦しいため息が僅かに響いた。その息が思わず漏れてしまった自分のものであることに気がついて、俺はもう一度ため息を吐きたくなった。このところ、やたらため息をつくことが増えている。しかも、意味もなくだ。青色の暴君や赤色の支配者や黄色の駄犬や紫色の幼児の相手をしている時ならばいざ知らず、理由もなく漏れるため息とはどういうことなのだろうか。しかも、ため息をついてしまったのは母の前であり、耳聡い彼女は息子を心配してだろうか、なにかあったのかと話しかけてきた。

「真さん、疲れているのではないかしら」
「いえ、心配にはおよびません」

内心では顔をしかめつつ、俺は母の心配を突っ返した。母はそれならばいいのだけれど、と首を傾げる。母は手元の花をひとつ手にとり、花瓶に挿した。ゆったりとした動きは彼女の性格そのままだ。母はこのところ、魔法を使わない華道というものにはまっている。彼女の周りに控えている妖精たちは、母の手元を見て楽し気にしていた。俺は俺でテーブルに再びタロットカードを並べた。俺が集中を始めるとカードに僅かに火が灯る。しかしその集中は母により遮られた。

「真さん、今日はもう寝てしまったらどうかしら。占いの練習はまた明日でもいいわ。普段と違うタロットカードを使っていては神経を使うでしょうし、やはり波長の合わないそのカードでは無理だわ」
「しかし…」

俺は手元の真新しいタロットカードを見下ろした。俺がいつも使う年季の入ったタロットカードは、諸事情があり数日前からしまってある。占いの練習は俺が人事を尽くすと決めていることのひとつで、母の言葉を素直に受け入れるのが憚られた。母も俺のそんな性格は百も承知らしく、笑顔のまま俺をたしなめた。

「母の言うことは聞いておくものよ。今日はやすみなさい」

反論は認めないと言外に言われている気がした。

「……はい」

母のこういった優しさを受け取るのは抵抗があったが、ごねても仕方がないかと俺は頷いた。



どうにも捗らない。二組のタロットカードを片手に部屋に向かいながら、俺は額に手をやった。人事は尽くしている筈なのに、どこか空回っているような、そんな日々が続いている。全力な筈が、いや全力故に、エネルギーを抜き取られて無気力にされているような感覚だ。学校での勉強も、家業を継ぐ為の占いの練習も、ちゃんと取り組んでいるというのにあんまりだと珍しく少しばかり運命というものを恨む。懲りずにため息を吐きながら俺は自分の部屋の扉を開けた。ふわりと、セージの薫りがいつもより強くした。

明日の準備をして言われた通り寝てしまおう。そう思って顔を上げた俺の目に、全く知らない人物がうつった。

「あ、真ちゃんおかえり。もう寝るの?」

まるで、幼い頃からずっと付き合ってきた友人がかけたような言葉だった。艶のいい黒髪の、前髪を真ん中で左右に分けた軽薄そうな男は、どこか古めかしい格式高そうな服に身を包み、そのくせ俺の真っ白いソファにどっかりと座ってにこにこ笑っていた。その為か、そいつの姿は異物のように俺の部屋に浮かび上がっていた。

「…誰なのだよお前は」

咄嗟に返した言葉はなんだか間抜けなものだった。しかし普通に考えてみて欲しい。疲労を抱えて部屋に戻ったら見ず知らずの他人が我が物顔でくつろいでいたのだ。趣味の悪い強盗かと構えてしまい体は固くなるし、ここからどのような対応をするべきなのか、最善はどれかと頭の中でいくつもの方法がぐるぐると渦巻く。臨戦態勢だ。しかし緊張する俺とは裏腹にのんびりと、男は自己紹介を始めた。

「俺?俺の名前は高尾和成でっす」
「そうか、出て行け」

暢気な受け答えに苛立ち俺は端的に退去を命ずる。毅然とした態度がいいだろうという判断からである。相手の要求をのまない、屈しない、受け入れない。俺の意志を敏感に感じ取ったのか、男は急にわたわたと慌て始めた。まるでこんなはずじゃなかったとでも言いたげだ。その様は普通に見たら滑稽なものであったのだろうが、生憎彼は不審者であったので、こちらの警戒は解くことができなかった。

「ちょ、まだ俺何も言ってないのに!
 …んじゃほら、真ちゃん、最近困ったことがない?」
「は?」

一体何の話を始めたのか。何かに意識を逸らそうとでもしているのだろうか。半ば呆れていると高尾と名乗ったその男は、にやりといやらしい笑顔を浮かべてこう言った。


「例えば、お気に入りのタロットカードが一枚足りないとか」





翌日、俺は高尾をつれて学校に行った。授業――薬草学や召還学概論など――は多人数制の授業であるため、ひとりくらい人外がまぎれていても誰も気にしないだろう。授業後、教室が一緒だった赤司を追いかけ捕まえた。廊下の壁に嵌められているステンドグラスが色を落とし、その中でも赤司の赤と金の双眸はぎらりと光っている。赤司は挨拶をする俺には目もくれず、興味深そうに高尾をじっと見つめた。高尾は赤司の視線の圧力に驚いたのか、すぐに俺の背中に隠れようとした。背後をとられるのは不愉快であったが、高尾に害がないことは昨日のごたごたでなんとなく知れたので好きにさせておく。赤司は納得したように一度頷いた。

「ふぅん、九十九神か」
「つくもがみ、とは」
「長年愛着を持って使われた器物に魂が宿る、といった具合だ。こちらの地方にはあまり見受けられないケースだな」
「そんなものがあるのか…やはり、高尾が騙っているわけではないのだな」

そう、得体の知れない高尾をわざわざ学校までつれてきたのは、赤司にあわせてその正体を見極めるためだった。同学年の赤司はこの学校で優秀と言われているキセキという五人の魔法使いの中でも特に強い魔力を持っていて、いずれは大賢者の称号を、という話もあがっているほどの人物である。俺も赤司のことは信頼している。特に彼は目が特殊で、色んな物を詳細に見極める能力を持っていた。

「そうだね、確かにこの子の寄り代は真太郎の持っていたあのタロットカードだ。随分古い物だったから小さな精霊が宿ってもおかしくはないな」

真太郎も丁重に扱っていたからね、と赤司はくすくす笑った。それから赤司は、高尾の方へと視線をやった。

「でも、その格好は不思議だな。カードの中とは違う」
「…だって、あのかっこだせーんだもん」

高尾はそろりと俺の背中から顔を出し、愚痴るように口を挟んだ。高尾はどこから服を出すのか、今日は俺たちと同じような学生服に身を包んでいる。白のスラックス、薄青のシャツに紺色のセーターの袖は捲って、黒いネクタイは少し緩めてある。

高尾も先ほどの赤司と同様に、赤司を見つめた。じっと、探るように、読み込むように。目の中に取り込まんばかりの、凝視。不自然なほど長いその動作に片眉を上げると、高尾がこちらを振り向いた。

「ね、真ちゃん、この人あれっしょ?占うといっつも皇帝の正位置が出る」
「? ああ、そうなのだよ」

皇帝の正位置、と限定されたことで、俺が今まで行なってきたどの占いの話なのかがわかった。…ただ占うと言っても、この場合手すさびのようなものである。占う相手を思い浮かべて、その相手に最もふさわしいと思われる一枚のカードを喚び出すだけ、という至ってシンプルなものなのだ。勝手に練習台にしているので本人に告げたことはない。高尾は俺の目をじっと見つめたあと、てててっと赤司の前へと歩み出てきた。

「ちょっとびっくりしちゃってごめんなっ!俺は"愚者のカード"の高尾ちゃんです、以後よろしく!」

突然の高尾の友好的な発言に赤司はきょとんと目を丸くした。が、頭の回転が速い奴なのですぐに状況を飲み込んだのだろう、いつも通りの不敵な笑みを浮かべた。

「ああ、よろしく頼むよ」

高尾は笑顔を浮かべ、自ら進んで握手を求めて赤司に近づいた。赤司も素直に応え手を伸ばした。状況の移り変わりの早さについて行けず、俺は面食らった。所有物故に自分に付いて回る高尾は、しかし、それだけでなく人なつこい性質であるようだ。

しかし、二人の手が触れる前に、高尾はぼそりと一言余分なことを呟いた。

「"皇帝"の逆位置も出ちゃうんだ?」
「――良い度胸をしているね?」

高尾の声をしっかりと聞いた赤司は、にこりと、寒気がするような笑みを浮かべた。ざわり、と不穏な空気を感じ取った周囲がどよめく。綺麗に枠にはまっている筈のステンドグラスがふるふると震えた。壁が、赤司を避けるようにやや歪む。そんな赤司に一番近い高尾は少しも動じていなかった。端から見ていた俺は高尾の行動・発言のまとまりのなさに驚き、また肝を冷やしてしまった。

この時、赤司と高尾の手が結ばれることはなかった。





「どうしてあんなことを言ったのだよ」

赤司が去り、しかしまだささめきあう人々の中、足早に爆心地から去る。そうして次の教室へと移動している最中に俺は高尾に尋ねた。隣を歩く高尾は唇を尖らせながら答えた。

「皇帝の逆位置、行き過ぎたリーダーシップ。過信。そういうことだと思ったのだよ」
「真似をするな…怖いもの知らずが」

あの場で消されてもおかしくなかったぞ、と漏らすと高尾は高らかに笑った。そんなわけないだろとでも言いたげだ。全く、笑い事ではないのだよ。赤司に逆らったり、失礼な行為をするのは死に値すると考えても良いほどなのだ(大体が社会的な死である、一部については知らない)。

高尾はたたん、と軽くステップを踏んだ。ふわりとセージが薫る。

「俺は"愚者"、だけどタロットカードだ。占いも一通りできるんだよ」

占。ぴくりと眉が動いてしまう。

「例えば…あそこにいる影が薄い奴」
「……目が良いな、アイツが見えるとは」

高尾が視線で指した方向では、ぱっと見れば青い髪と鈍い赤の髪の、無駄にでかい二人の生徒が廊下を塞いでぎゃあぎゃあ騒いでいる。しかし、その二人の間には目を凝らすと黒子テツヤという、非常に影の薄い同学年の知り合いがいた。その影の薄さたるや、俺も高尾に言われてその存在にやっと気付けたほどである。褒められたと勘違いしたらしく高尾はふふん、と得意気に笑ってみせた。

「そりゃ、ちゃんと見ないと占えないからな」

目がいい、と言うことなのだろう。高尾は黒子の方をじっと見たまま、そう続けた。僅かに動く黒目は、赤司に行なった時のように、細部の動きすら全て追おうとしているかのようだった。そして高尾は口を開く。

「アイツの現在は、"吊るされた男"の正位置」
「…ああ、俺が軽く占ったときもそうだった」

赤司の時同様、性格診断のような軽いものだが、出たカード自体は間違いないだろう。もともとひけらかすつもりはなかったが、俺はその結果を黒子には何があっても絶対に見せないと決めていた。"吊るされた男"が意味することは、決して嬉しいものではないのだ。カードの意味そのままであるなら、『自己犠牲』。

高尾はじっと、黒子を見つめる。

「でも、俺が逆立ちするほどじゃねえなー」
「は?」

高尾の発言が不可解で、思わず聞き返した。高尾の目は、くるりと動いて俺の方へと向いていた。

「占いの意味は、カードの意味の拾い方で色んな意味が生まれてくる。真ちゃんはセンスがいいから、でも」

よっ、と声を出しながら、高尾はその場で逆立ちをした。周囲の視線が集まるが、高尾は気にも止めなかった。迷惑になるからやめるように言ってもきかない。高尾は曲芸のように、片手でバランスをとったりしている。てちてちと音を立てながら、前進していく。校舎はどこもかしこも白く、生徒の制服もほとんど白いため、少しめくれた紺色のセーターだけがゆらゆらと、白い世界をさまよっているようにも見えた。

「お前の現在を示すとき、俺はいつだって逆立ちしなけりゃならないんだ。文句を言ってやろうと思って」
「…俺は自分を占ったことは殆どない」

突き返すような返事をすると、高尾は逆立ちをやめる。反動をつけて、ひょいっと身を起こした。身が軽いのだろう、全ての動作に危なげがない。高尾は俺の正面に戻ってくると、俺の胸元を人差し指で突いた。とんと振動が伝わる。高尾はにやにや笑った。

「だから俺がぁ、占ってやってるのっ」

高尾は高らかに笑う。




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