忘れ勝ち 終 | ナノ





苦しみながら笑った赤司。赤司は、あの時何を思っていたのだろうか。俺は長いこと、赤司に尋ねることが出来ずにいる。





ひゅうと寒風が吹き付け、あまりの寒さにマフラーをしていても縮こまってしまう。二月、つまり一年の中でいっとう寒い月だ。いくら着込んでもたりやしない。凍っているとしか思えない空気を掻き分けて登校し、教室に入ると流石新設校、誰かがつけたであろう暖房がフルで稼働していて暖かさに頬が融けるのを感じた。

室内を見回せば、やはり赤司は既に学校にやってきていた。しかし、独りぽっちではなく何人かのクラスメイトに囲まれていた。最近こういった、人に勉強を教えている姿がよく見られるようになった。赤司が天才であり、同時に努力家であるが故だろう。人望があるのだ。赤司は相変わらず人見知りを発揮するし、何かあると俺の背後に隠れてしまうこともしばしばあるのでまだまだ気は抜けないが、今の赤司の姿を見ていると親離れする子供を見守る親の気分になる。

赤司は登校してきた俺に気がつくとぱっと表情を明るくしたが、すぐに他のクラスメイトへと視線を戻した。思わず苦笑してしまう。俺は俺で自分の席でマフラーを外す。一時間目はなんだっけか、準備をしなければならない。鞄を覗き込んでいると、脇腹を肘で小突かれた。それは結構な強さで、俺は鈍い痛みにむっとしながら顔を上げた。肘の持ち主は仁科だった。仁科はにやにやと、とてもムカつく笑顔を浮かべながらおはようと言った。

「さみしそうじゃないの、降旗」

一瞬、ちろりと仁科の目が赤司に向けられる。仁科が言いたいのは赤司のことなのだろう。すぐに視線の意味を読み取り、正直なところを述べた。

「いや、それよりも安心の方が強いよ」
「完全に保護者だな」
「うるさいな、そうだよ。それに…………うん、今は仁科がいるから寂しくない、よ」

俺の言葉を聞いた仁科は一瞬、表情を消した。じっと黒目がちな二つの目が俺を見据える。珍しく、少しだけ聞き返すのを躊躇うような、そんな妙な間があった。

「…降旗、それって…」

ほんの僅か、期待を含んだような口調だった。そこまでくれば、もうわかっているんだろ。俺は苦笑しながら口を開いた。

「今まで恥ずかしくて言えなかったけど――好きだよ、仁科」
「ッ、降旗、実は俺も降旗が…。
 ってお前好きな奴いるじゃん!俺は覚えてんぞ、春のバスケ部の暴挙を!!」

瞬間、今までの茶番劇なんて吹っ飛んで屋上から見た、うららかな春の空の青さがフラッシュバックした。

「うわあああああ!忘れてくれ!!マジで恥ずか死ぬ!!」

仁科の発言に俺は頭を抱えて身を捩った。もだえ、顔を両手で覆った。仁科はおもしろがってにやにや笑いを続けながら肩を組んでくる。

「恥ずかしがんなよー、格好よかったぜ?確か『何かで一番になったら付き合ってあげるー』だろ?なったじゃん。明日のバレンタインデーが楽しみだなー」
「うわああああああああああ」
「何の話だ?」

仁科との小っ恥ずかしい馴れ合いに割り込んできたのは、勉強を教えていた筈の赤司だった。どうやら赤司に勉強を教えて貰う会は解散となったらしい。赤司は首を傾げて不思議そうにしている。仁科はにししと笑って経緯を話した。

「いや、降旗って好きな奴がいてさー。その子のためにバスケ頑張ってたんだよ。そんで、日本一になった訳だからその子とラブラブできるかも知れないってワケ!」
「うわあああああ」
「降旗そろそろうるさい」

羞恥に叫んでいるとついに仁科に叩かれた。でも無理に決まってるだろそんな事情を晒されたら!叫ばずにいられる訳がなかろうが!顔が熱い、絶対真っ赤になってしまっているだろう。話を聞いた赤司はふぅん、と言って僕を見据えた。後、仁科の腕の中から俺のことを引っ張りだした。

「ふぇ?…どうしたの赤司」
「別に、なんでもない……好きな人というのは、性的な欲求を伴った好意の対象である異性ということか?」
「「身も蓋もねえ!」」

赤司の間違ってないけれど間違っている発言に俺と仁科は異口同音に叫んでいた。赤司の抜けっぷりが危うくて恥ずかしさも忘れてハラハラしていると、仁科が何を思いついたのかにやりと笑って、ススス…と赤司の側にすり寄った。

「……赤司はさー、好きな奴いないの?」
「ちょっ、仁科?!」

今さっき、せいてきなよっきゅうをともなったこういのたいしょうであるいせいとか言っちゃった奴にそれ訊くか?!俺は絶句した。興味はないわけではない、けれど結果は火を見るよりも明らかだろう。そもそも赤司は恋なんて出来る状態じゃないのだ。…あ、逆に、答えがわかってるからいいのかもしれない。

そして、赤司はきょとん、としてから

「光樹」

と言った。

「ああ、仁科くんも好きだよ」
「ははは、嬉しいねえありがとうでもちょっと違うんだよなー異性っつったろ」

仁科は乾いた笑いをしつつ、彼にしては珍しく単調な受け答えをしていた。





それにしても――び…びっくりした。

ばくばくと何故かうまく動いてくれない心臓に違和感を覚えつつ、俺は授業を受けていた。板書もきちんとノートに移しているけれど、内容が全く入ってこない…いや、最近こういうこと多いなあ…。なんだか疲れてしまって、隣の赤司越しに窓枠に縁取られた空を見てみた。冬の青空である。春の空と違って冷たく高く凛としている、ような気がする。

春、高校に進学してすぐ確かに俺はあの空に向かって叫んだんだ。本当に恋をしていて、本当にこっちを見て欲しくて。でもどういうことだろう、一応一番になったっていうのに、俺はもうあの子に振り向いて欲しいなんて思ってないんだ。きっかけは不純でも、大好きだったあの子よりももっとキラキラしているものを捕まえてしまった、そんな感じだ。仁科はにやにやと俺をからかうけれど、そう、バレンタインに関しても正直…興味はない。……嘘ですチョコ、少しは欲しいけど。

本命がいないなあ。結論はそんな感じ。

ちょっと高校男児として枯れてるかな?とか苦く思っていると、机の上、手元に折り畳んだメモが飛んできた。メモというか、ルーズリーフをちぎったものだな。飛んできた方向を反射的に見ると、赤司が笑っていた。なんだろう、と思ってメモを開いて中身を確認する。と、

「降旗、ここの値はなんになる?」

ちょうど先生に当てられたところだった。

「え、あ…えっと」

いちかばちか、咄嗟に俺は赤司のメモの内容を答えた。

「4π…です」
「そうだ、ここは公式を――」

また、教師の解説が始まる。俺はわたわたと板書を写し始めた。その前にと、赤司の方にちらっと視線を向けた。俺に気がついた赤司は、とても柔らかく、暖かく、微笑んでいた。





放課後、掃除が長引いて誰もいない教室に俺と赤司は二人でいた。西陽が差し込み、少しばかり眩しい。赤司は部活中に過呼吸を起こして以来、またバスケ部での活動は見学にとどめていた。赤司自身もそのことに不満はないようだ。きっと過呼吸がトラウマになっているのだと思う。まあ、本当にそうなるかはわからないが負けるたびに倒れられたらこちらとしてもたまったものじゃない。

荷物をまとめながら、俺は暇つぶしに赤司に話しかけていた。

「ねぇ赤司、朝の会話覚えてる?」
「朝…光樹の好きな人がどうとか、の話か?」
「うぐ…ぅえっとそれは置いといて、バレンタインの話」
「バレンタインデー、主に女性が意中の人にチョコレートを渡して想いを伝えたりする日、だな、知っているよ」
「流石だね」

俺は律儀に答える赤司がちょっとおかしくなって、くすくす笑った。赤司は嬉しそうにはにかんだ。俺は赤司のこの笑みが結構好きだ。そんな理由もあるかもしれない、俺は確信を持って赤司に言っていた。

「赤司はきっと、チョコを貰えると思うよ」
「…え」
「赤司頭良いし、かっこいいし。まあ今はちょっぴり頼りねえけど」
「……」
「明日、期待しなよ。まあ好きな人がいないんじゃ少し困るかもしれないけど――」
「光樹」

どうして赤司は黙ってしまっていたのだろう、そんなことにも俺は気付いておらず、少し固い赤司の声。それと、暖かい手の感触が制服越しに肩に伝わった。何?俺はそう言おうと思ったのに。赤司の顔のアップ、綺麗に整った鼻梁、睫毛も長い、そしてあたたかで柔らかな感触が、唇の上に広がった。

え?

「光樹」

くちびるを離して、赤司は言う。

「僕は、光樹がいれば十分だ、光樹以外、いらない。光樹が好きだから」

刹那、赤司の赤と黄の目が夕日を受けてぎらりと光った。こんなに強い光を宿した目をする人を、俺はひとりしか知らない。頭の中では大混乱が未だ続いているというのに、自分のファーストキスが儚く散ったことにもやっと気がついたのに、そんなこともうどうでもよくなった。きっと真剣に好きという、赤司の想いも放り出した。俺はただ、赤司に突きつけなければいけない。

「――赤司、駄目だ」

俺は、赤司でなくなった赤司を叱る時のように言っていた。もう、怯えたり緊張したりはしなかった。

「嘘は駄目だ」
「嘘?僕は嘘なんかついてないよ光樹」

赤司はこてりと首を傾げる。それは完璧な赤司の演技だった。

「そんな仕草、もう必要ないだろ赤司」

赤司は少し目を見開いた。が、すぐにつむってしまった。宝石のような目が一度姿を消す。赤司の瞳は美しいけれど今は見るのが怖かったから、少しほっとしてしまう。赤司の唇は、ゆっくりと弧を描いた。

「――かなわないな、光樹には。僕の負けだよ」

負けたと、常勝の帝王は言った。

「…いつから?」
「さて、いつからだろうね。すまないけれど、僕も今これでも動揺していてね、逃げさせてくれるかな」

赤司の目はもう一度顔を出したけれど、伏せられたままでもうそれぎり俺のことを見なかった。本当に、元の赤司らしくもなく、赤司はするりと俺の横をすり抜けて教室から出て行った。

情けない話だが、俺は呆然と、立ち尽くすだけだった。

「……へ?」

逃げた?あの赤司が?あり得ない。

「お、おいかけ…なきゃだよな?うわ、うわ、うわ、どうしよ」

何故か、俺の方も同様に赤司から逃げる、という選択肢が頭の中に現れなかった。俺は半ばパニックに陥りながら自分と、それから赤司の鞄を引っ掴んだ。走って早く追いかけなくては――そうは思ったのは本当だ、でも一瞬目の端にとまった赤色が気になって、俺はうっかり走るのをやめてしまった。

「…なんだこれ」

赤司のスクールバッグから、赤い物体が飛び出していたのだ。個人のプライバシー、そんなものもおかまいなく、俺は赤司の鞄のその不思議な物体をつまんだ。ふにふにとした柔らかな素材で、中身は多分ビーズ…ビーズクッションか。取り出してみれば、見覚えがありすぎるものだった。

それは、初めて真っ白になった赤司に出会ったときにあげた、赤い猫のぬいぐるみだった。

俺まで、本当に頭の中が真っ白になった。

「…………うわ、うわ、うわ…なんだよ、これ…ッ」

声が震える。顔が、ぶわっと熱を持って、耳にまで伝導して、俺は今どんな顔をしているんだろう、耐え切れずしゃがみこんでしまった。あの赤司征十郎が、既に記憶を取り戻した彼が!後生大事にこんな安いぬいぐるみを持ち歩いてたっていうのか?!こんな、どうでもいい子供用のおもちゃを!

ああ、もう――意外だとかそういうのの前に、このこみ上げてくる愛しさはなんなのだろうか。


俺はしゃがんだ格好のまま、沸き立つ心を押さえつけるかのように頭を抱え込んだ。嫌悪感を抱かなかったあのキスだとか、本当はもっと前から惹かれてたのかもしれない。そして、たったこれだけのことで、俺は赤司征十郎に完全に落ちたのだった。





校内を散々探し回って、ついに赤司を見つけたのは立ち入り禁止の屋上だった。もう殆ど陽は落ちてしまっていて、空は橙から紫へと変わっている。赤司は壁の端っこで体育座りで丸まっていた。外套もマフラーも持って行かなかったからきっと寒かっただろうに、何をやってるんだか。扉を開く音と光、足音でもう俺には気付いているのだろう。しかし赤司はぴくりとも動かなかった。

俺は赤司に近づいて鞄を下ろすと、取りあえず肩に赤司のコートをかけてやった。接触したのだからもう無視は出来ないと赤司はついに顔を上げた。その鼻先に俺はぷらんと例の赤い猫のぬいぐるみをぶら下げた。ぬいぐるみを視認した赤司は一気に真っ赤になった。おそらく反射的に赤司は俺の手からぬいぐるみを奪った。

そんなに大切なんだ、と思うとますます赤司が可愛く思えてくる。赤司はぬいぐるみを胸に押し付けてまた丸まった。

「僕はもう、記憶を失った赤司じゃないよ」

ぽつりと、赤司は呟いた。そしてそのまま言葉を続ける。俺はただ黙ったまま、赤司の言葉に耳を傾けた。

「でも、君から貰ったものは、確かに残っているんだ。嬉しい、楽しい、怖い、申し訳ない、恥ずかしい、悔しい、やっぱり楽しい…きっと元の僕が勝ちながら生きるために捨ててきたものたちだ。他人の弱みを、誰かに優しくするために使うなんて僕は知らなかった。負けたって好きなものは失われないことを僕は知らなかった。自分のそう言った無知も知らずに生きていた」

赤司はまた、顔を上げた。赤司は情けなく眉を下げて、悲しげに笑った。

「誰かを愛してしまうことも、きっと光樹で初めて知ったんだ」
「…え、初恋?」
「うん、きっとね。そして重症だ。何せ同性だし、だって、この僕が全て忘れたふりをし続けながら…もとの僕を捨てたって側にいたいと思うほど執着したんだ」
「あー…赤司、結構恥ずかしいことを言うね」
「…うるさい」

俺は赤司の目の前にしゃがみ込んだ。赤司は寒さで頬を赤くして、むつかしそうな顔をして俺に言う。

「ねえ、光樹――こんなにみっともないのが恋なのか」

赤司は、まるで未だ記憶を失っているような調子で俺に尋ねた。

「うん、そうだよ」
「光樹は、どうしてそんなに平然としているんだ。僕はうっかり告白してしまったのに」

光樹がチョコレートがどうとかいうから、と赤司はぶつぶつ文句を言っている。いや、告白よりももっとうっかりしたキスの方を気にして欲しいです。とは、まあ、俺も恥ずかしいから言ったりしないけれど。ちなみにビビリの俺が平然としているのは、既に腹が決まっているからだ。

「赤司は俺が好きなんだ」
「改めて言うんじゃない」
「俺の返事は要らないの?」
「…」

赤司は泣きそうな顔をして、むっつりと黙り込んだ。…本当に記憶戻ってるのかなあ。俺が知っている元の赤司はこんなに感情が顔に出なかった。ああそうか、俺と一緒に過ごした真っ白な赤司が、ちゃんと元の赤司の中にいるんだ、赤司の言葉通りに。赤司は全て忘れて、一旦リセットすることで元の自分を捨てて必要な感情を継ぎ足して――元の自分に勝ったのだ。

沢山心配していたから、緑間や高尾には赤司の記憶が戻ったことをちゃんと報告しなきゃいけないな。赤司が嘘をつき続ければ何事もなくまだまだ一緒にいられるけれど、そんなことなんてさせたくないし。黒子も火神も、っていうかバスケ部の皆も安心することだろう。学校はどうするんだろう。多分どうにか洛山に戻るのだろうけれどそこらへんは赤司側が決めることだろうな。落ち着いてきたら、どっと様々なことが頭の中に湧いて出て途端思考が忙しくなった。

取り敢えず、俺の方もこの気持ちを伝えてあげなけりゃ赤司が可哀想かな。赤司。そう声をかけて少し顔を上げた赤司の唇に、俺は自分の唇を軽く触れさせた。


忘れ勝ち



20131104

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