16 月下氷人ナイトメア | ナノ


俺が、モデルにして我が海常高校男子バスケ部エースである黄瀬涼太の様子が若干おかしいことに気がついたのはある日の朝練でのことだった。昼よりやや薄暗い体育館で黄色い髪と目が反射する光はやや鈍く、いつもの鬱陶しい鮮やかさがない。そのことを近くにいた森山に言ってみると、森山は首を傾げた。

「そうか?いつも通りだと思うけど…流石、飼い主だな」
「あんなのの飼い主なんざやってられっか。まあ気のせいならいいんだけど」

淡々と茶化してくる森山を俺は睨みつけた。

その後も気にはかけてはいたものの、結局朝練の時点では俺は黄瀬にわざわざ声をかけることはなかった。理由のひとつとして声をかけなくても向こうからべたべたべたべた鬱陶しく引っ付いてきたからということもある。しかし、朝練を終え、授業を受けていてもどうしてか陰った黄色がふと頭をよぎる。集中できていない。ノートはちゃんととりながらも、まあそれも仕方がないと諦めた。俺にとってあの一年坊主は特別なのだ。答えがいくつもある難解な方程式のようで、俺のアイツへの感情はひとつの言葉では表せない。

だから、あまりに気にかかるなら声をかけてみよう。出た答えは単純なもので、俺はこっそり苦笑した。





それで、どうしてこうなったんだか。

基本的に先輩をナメきっている黄瀬は年上に対してでも馴れ馴れしく、スキンシップが激しい。故に、コイツが俺の側にやってくるのは珍しくもないことだ。ただ――今、黄瀬は俺の肩に頭を預けて気持ち良さそうにすよすよと寝入っていた。森山は爆笑し、カシャカシャと俺たちの様子をデータに残している。後でメモリーカード割ってやろう。小堀は困ったように笑いながら、黄瀬は疲れてたんだなあと優しく言っていた。

「あー、やっぱそうだよな、今朝から気になってたんだよ」

俺は同意を求めるように小堀を見上げる。小堀はうんうんと頷いた。

「ああ、覇気がなくなってたな。どっか空元気というか」
「え、お前らよく気付くな。保護者?」
「だってよ、ママ」
「小堀、ノらなくていいから」

高校生らしいバカみたいなやり取りをしつつ、俺は体育館の大きな時計に目をやる。現在は部活の休憩時間なのだが、そろそろ練習を再開しても良い頃合いだ。俺は黄瀬の頭を自分の肩からどかそうとした。きっと中身はすっからかんの癖に重みのある頭に手をやる。さっきから寝息が首にあたってくすぐったい。さらさらの髪は冷たくて、水みたいだった。俺ってコイツと同じ生物なんだよな?それすら少し不安になる。ちょっと黄瀬の顔を覗き込んだら、俺は気が変わった。

「練習またはじめっけど、黄瀬はもうちょい寝かしておくわ」
「え、マジで?珍しいじゃん笠松」

森山は膝をたたんで、黄瀬の顔を覗き込んだ。

「まあ、確かに俺らが近くでこんなに話して起きないのもなー」

森山はつんっ、と黄瀬の頬をつついた。黄瀬は刺激にむずがって、俺の首にぐりぐりと頭をすりつける。だからくすぐってえって。

まあ黄瀬のことは一度おいといて、主将として全体に号令をかけねばと俺は立ち上がろうとした。ところが、体が離れる瞬間、逃すまいとでもいうように黄瀬の長い腕が俺の体に巻き付いた。

「は?」

間抜けな声が出た。結構な力で抱き込まれ、しかも服をキツく握り締められている。え、ちょ、これ、ガチで離れねえんだけどっ!?いつもだったら蹴り飛ばして起こすところだが、何故だか今日はコイツを寝かしてやらなきゃならない気がする。

「森山!小堀!ヘルプ!!」

俺は立ち上がって腕のストレッチを自主的にしている二人に俺は救援を求めた。二人は俺のことを見るとそろって驚き、そろって吹き出した。笑ってる場合じゃねぇ!と怒ってみたものの、迫力は七割減といったところか。ひとしきり笑った森山と小堀はそれぞれ意地の悪い笑顔と朗らかな笑顔で声をそろえて言った。

「「寝かしておいてやるんだろ」」

俺には聞こえなかったけれど、小さな声で二人は笠松ははたらき過ぎだ、なんて呟いていたらしかった。





がっしりとホールドされ続け、なんだかケツが痺れている。結局黄瀬は部活が終わるまで目覚めなかった。部活を見学しつつ、暇なので黄瀬の寝顔も眺めていると長い睫毛に縁取られた黄色い瞳がゆっくりと顔を出した。意識が覚醒するのに時間がかかっているらしく、ぼんやりとしたまま、黄瀬はそろりと周りに目をやる。そして――自分がどんな状況にあるのか飲み込んだ。

「ぎゃおんっ?!!」

犬のような悲鳴をあげて、黄瀬は仰け反った。腕の中に抱いていたのが三年のむさ苦しい男の先輩だったのだから、まあ正常な反応だろう。黄瀬は驚きと羞恥のためにか顔を真っ赤に染めていた。

「か、かかか、かしゃまつせんぴゃい」
「落ち着け。ちょっとしか怒ってねえから」
「怒ってるんスか」
「当然、体調管理がなってねーぞ」

もう自主練の時間だ、と俺は黄瀬を睨んだ。黄瀬は流石に今回ばかりは自分が悪いとわかっているのか体を小さくした。近くで3Pの練習をしていた森山が黄瀬の起床に気がついてやってくる。

「おー、起きたか駄犬くん」
「森山センパイには言われたくないッス」
「なんだと」

森山にからかわれるのを嫌がって黄瀬はむすくれた。しかし、次の森山の言葉で目を見開いた。

「それにしても、よく眠ってたよな」

黄瀬が固まっていることに気がついた俺はなんだ?と黄瀬の顔を覗き込んだ。すると黄色の虹彩がゆっくりとこちらに向けられた。少しくすんだ桃色の唇も、やけにゆっくり、動く。

「…笠松センパイ、」

黄瀬は俺の手をとり、涙ながらに言った。

「本当に、ありがとうございました」

そこまで感謝されることしたか?



それから黄瀬が語ったことを要約すると、彼はここ一週間ほど相当悪質な悪夢に見舞われて、まともな睡眠がとれていなかったらしい。眠っても眠っても悪夢で目覚めてしまうのだとか。

「出てくる人の首が、ちぎれてころころ転がってっちゃったり、誰かを刺したり潰したりミキサーしちゃったり、突き落としたりえぐったり、あと俺がそういうめに遭ったり」
「グロい」

仕方なしに授業中に寝ても(寝るなよ、)やはり悪夢を見てしまい、寝ることが出来ない。うっかりすれば悲鳴をあげてしまう。悪夢を見る原因もわからず対策も立てようがない。体力も限界で本当に参ってしまっていたのだが、今日、何故か俺と一緒だと久しぶりに気持ちいい睡眠がとれたのだという。睡眠は軽んじられることが多いけれど、実はとても重要なものだ。じゃなきゃどうして人間は何時間も寝るのかっていう話になる。黄瀬はそれが一週間も損なわれていたのだ。

「ふうん…」

もしもそれが本当に俺なんかと一緒にいることで治ったというのなら、こんな簡単な話はない。やはり顔色が悪い黄瀬が放っておけなくて、俺はとんでもないことを申し出ていた。

「じゃあ黄瀬、俺と寝るか?」
「「えっ」」

森山までもが驚き、俺の方を見ていた。実は自分でもびっくりしていた。俺がそんな、黄瀬に対して甘やかすことを何度もするのは珍しいにもほどがあるし、甘やかし方にも問題があるといえる。森山は引きつった表情を浮かべて俺に言う。

「か、笠松…何言ってるんだ?」
「本当ッスか?!」

一方黄瀬はそれこそ俺に抱きつくくらいの勢いで食いついた。俺がつい言ってしまっただけとは言えず頷くと、嬉しそうにへにゃりと相好を崩した。左手を取られ、また握りしめられた。

「えへへ…お恥ずかしい話なんスけど、実はまた変な夢見たら嫌だなって思ったら全然眠れなくて…先輩さえよければ、うちに泊まって行って欲しいッス。めっちゃ安心するんスよ、センパイのとなり。絶対朝までぐーすか寝れると思うんスよー」

媚びてんじゃねえよ、とは思った。でも、おえっとした表情の森山を横目に、俺は肯定の意味を込めて黄瀬の肩を叩いた。





そして日がすっかり沈んだ頃、俺は黄瀬の家の前にいた。なんというか、でかい。洋風の大きめのお屋敷、である。家に入ると黄瀬の姉ちゃんに軽くイジられて、それから黄瀬の部屋へと通された。家の中はどこもかしこもバラのような華やかな香りがしていたが、黄瀬の部屋は黄瀬の香りしかしなかった。その上シャラシャラしてはおらず、とてもシンプルで物が少ない。俺の部屋の方が汚いかもしれない。コイツはいつも忙しくしているから、自分の部屋なんて眠れればいいと思っているんじゃなかろうか。荷物を置かせてもらったあとは晩ご飯を頂いて、シャワーを浴びて黄瀬の服を借りた。勿論体格が「ちょっと」違うのでダボつく裾は折った。けれど、部屋に戻ったら黄瀬になんやかや言われて袖も裾も元に戻された。動きにくい。

部活が終わるのが遅かったため、他に特にやることもなく俺と黄瀬はとっとと寝てしまうことにした…ところまでは良かったのだけれど。

なんかむちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!

白くピンとしたシーツを見ると、言いようのない羞恥心がわき上がる。黄瀬は気付いていないようで、暢気に俺に懐いてきている。そのことが、俺ばっかり馬鹿みたいに恥ずかしがっているみたいでみっともなくて面白くない。黄瀬も少しぐらい焦ればいいのに。

「センパーイ、おいでおいで」
「……お前な、調子に乗んなよ」

先にベッドに横になった黄瀬は自分の隣をぽふぽふと叩いて、早く側に来るようにと促してきた。一気に帰りたくなったが今更なので、隣に横になる。少し体を離していたのに、黄瀬は俺の体をぎゅうと抱き寄せた。

「オイッ」
「センパイ、センパイだー。うちの匂いも、センパイの匂いもする」
「ッ、きせっ!!」

何恥ずかしいこと言ってんだよおコイツはよおおおおお!!

仏心をだした俺が間違っていた。もう、本当、帰ろう。今ならまだ電車もあるし…。そんなことを考えていると、もぞもぞ動いていた黄瀬が俺の首筋に唇をあてた。

「わ」
「あ、スンマセン」
「テメー!なんなんだよわざとだろ!」
「違うッスよー。たまたまッス」
「…」

へにゃへにゃと、黄瀬が笑っているのがわかる。顔が熱い。こんなのばかりされちゃあ、俺の黄瀬への感情の、一番生々しいものがあふれてしまう。黄瀬の部屋、黄瀬のベッド、黄瀬の匂い、黄瀬の腕の中、距離なんてなくて、触れている。数学の授業を思い出す。最近教わった方程式、答えが幾つも出てきてややこしいあれ、たまに出てくるiの文字が、意識の中でちらちらと点滅する。それから、俺は本当は、黄瀬が今日部活で赤面した本当の理由を知ってるんだ。知らないふりをした、だけなんだ。

「…はぁ」

黄瀬の息が、今度は少し露出していた俺の鎖骨に軽くかかって、それが俺の限界だった。

「んッ!?」

俺は黄瀬の、うつくしく整っている唇に噛み付いた。黄瀬を仰向けにして、上からのしかかる。黄瀬は驚いたのかくぐもった声を上げた。構わず唇を押し付けて、何度もキスをする。一度がちりと歯がぶつかった、俺ってキス下手なのかな。でもそんな懸念がどうでもよくなるような、本当に男か疑いたくなるような柔らかな感触が快楽をもたらす。足りない。俺は舌で黄瀬の唇を割って、歯列も割って、口腔内に侵入した。黄瀬の舌を見つけて、舌で触れる。ぬるぬる、舌の先が擦れてぞくぞくした。

「んう、んッ、…ん」
「ふ、ぅ、」

黄瀬は途中までは無抵抗に舌を怯えさせていたのだけれど、段々と俺に応え始めた。黄瀬の大きな手が、俺の後頭部を支える。あつい。ねっとりと舌を絡められると、快楽に全身が震えた。あつい、あまい。

「ぷ、はっ」

やっと満足して、俺は唇を離した。よだれが顎を伝って、ちょっと気持ち悪い。例の袖を使って思い切り拭ってやった。黄瀬はとろんとした表情で暫く俺を見ていたが、すぐに獣のような雄っぽい表情になって、黄瀬の上に乗り上げていた俺をベッドに仰向けに押し付けた。少しの衝撃が、背中に伝わる。俺はハッと黄瀬を鼻で笑った。

「寝るんじゃねーのかよ」
「寝かしてくれるんじゃねぇんスか」

常夜灯の中でわからないが、声が僅かにぶれていて多分黄瀬は赤面しているんだろうなと思った。黄色い目だけがギラギラしている。仕掛けたのはこっちなのに、なんだか食われそうだなあと思う。

「つか、センパイ、経験あるんスか」
「あ?ねーよ、お前にファーストキスあげちまった」
「…べろちゅーも貰っちゃったッス。ごちッス」

言いながら、黄瀬はもう一度俺の唇にキスを落とす。さっきの奪い取るようなアレとは対照的に小鳥みたいなキスは可愛らしくてなんだか笑えた。さて、でも、いつまでもこうしてはいられない。俺は口を開く。

「きせ。寝ないでベッドで過ごすのはまた今度な。今日はもう寝るぞ」

放っておくと寝そうにないので俺は黄瀬の頭を抱き込んだ。黄瀬は驚いているようで俺の腕の中であーだのうーだのひとしきり呻いていたが、数分もすると規則的な呼吸を始めた。さっきから俺にちょっかいを出してきていたからある程度元気にはなってたんだろうが、やはり昼に数時間寝ただけでは足りなかったのだろう。それもあって理性が緩んで俺に明らかな好意を向けてきたのかもしれない。明日目が覚めたら俺たちの関係はちょっと変わるんだろう。とりあえず黄瀬は悪夢を見ることもなく、俺たちはそのまま、朝日が昇るまでぐっすりと眠った。


月下氷人ナイトメア



20130908

あとがき

100000hitフリリク部屋

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