俺の相棒でクラスメイトである黒子テツヤは、常に敬語だし常識もあるし穏やかだが実は心は熱い、そんな男である。しかし、かなり前からアイツには不審な行動が見られていた。と、いうのも……寝ている俺の顔をよく触るのだ。感触を確かめるようにペタペタと。授業で爆睡してそのまま休み時間になってしまった時や、部活で疲れ果ててついうとうとしてしまった時などを狙って、あの生っ白い手は俺の顔を無遠慮に撫でてくる。いい加減訳を聞きたいのだけれど、俺はどうも日常的な曖昧なものを白黒ハッキリさせるのが苦手なようで、ほぼ丸一年間ほど放置してしまった。バスケの勝負はハッキリさせるのが好きなのに、不思議だ。そして、俺がどうしてこの話を始めたのかといえば、放置してしまったがための害悪がはっきりと発生してしまったからなのだ。 ――また触り始めた……。 とある日の部活終わり、俺は黒子と一緒に俺の家でNBAのDVDを鑑賞する約束をしていた。どうしても夜遅くなってしまうのでついでに泊まって行けば良いくらいに思って俺は黒子を招いた。夕食を終えた後、二人で並んでソファでDVDを見ていたのだが、ハードな練習のあとのことだったので目の前のバスケには興奮していたものの俺はついうとうとと寝入ってしまったようなのだ。おそらく、寝たと言っても5分程度だろう。でも、気がつくともう黒子はDVDはそっちのけで俺の唇を弄って遊んでいた(多分)。ふにふに、ふに。さわさわ。黒子の手は楽しげに、でも繊細なものを扱うかのように優しく俺の顔に触れている。 ――起きるべきか、寝たふりを続けるべきか…。 正直、やめて欲しい。妙にドギマギするから本当に勘弁して欲しかった。でもこれで俺が気づいていることを黒子が知ったり、触れる理由を聞いたりしたら自分たちの関係に何らかの変化が訪れてしまいそうで、俺は決断することが出来ずにいた。ぐずぐずと悩み続けていると、ふと、黒子の両手が俺の顔を包んだ。黒子が唯一バスケットマンだとハッキリ認識出来る、固い手のひら。あーもードキドキすんな心臓!でもこれで、き、き。きす、なんてされたらどうしようか。…女子か! 平常心を保つために自分の中でツッコミを繰り返していると、俺の脳みそでは処理しきれないことが起こった。 れる、る。 俺の右の口元からまなじりにかけてを、生暖かくてぬるぬるしたものが這っていったのだ。最初はなんなのかわからなかったが、ひとつだけ思い当たるものがあった。――黒子の舌だ。キスなんて生易しいものではない。カッと頭と顔面が沸騰するみたく熱くなる。黒子は俺の顔を固定しているのだ。顔色だって隠してなんていられない。ここらが限界だとついに俺は判断した。俺は勢いよく立ち上がって、今までウジウジ悩んでいた全てを投げ出して叫んだ。 「〜〜寝たふりなんかしてられっかチクショウなあお前何してんの!!!!??」 べっとりと唾液がついたままの頬を拭って、黒子を見下ろす。黒子は少し息を荒げて、頬を赤くしていた。座ったまま黒子は少し目を見開いて呆けてから、すみません、と言った。 「すみません、我慢の限界でした」 「我慢!!??」 ◆ ソファに座り直した俺の前に黒子を正座させる。家主にとんだ狼藉をはたらいたのだから黒子も大人しく正座して、申し訳なさそうに俺を見上げていた。NBAのDVDも消してしまって、無音が黒子を責め立てる。黒子はぽつりと自供を開始した。 「僕、面食いなんですよ」 「開口一番それか!」 思わず突っ込んでしまったが、以降は話が進まないのでなるべく俺からの発言は控えた。曰く、黒子は昔から綺麗な顔の男性に目がなく、見つけるとついついその顔を触りたくなるという悪癖を持って生きて来たらしい。どんだけだ。俺は自分の顔が別段綺麗だとは思っていないので、まあそこは黒子の主観によるものというわけだろう。しかし、これだけだと本日の黒子の凶行が何に基づいて行われたのがわからない。説明が足りていないとむっと睨むと、黒子は困ったようにこめかみをぽりぽりと掻いた。 「…それで、その、あんまり綺麗だと最終的に舐めたくなるじゃないですが」 「なんねーよ」 「なるんです。小さい子がビー玉口の中に入れたくなるのと同じです。だからその…我慢できなくて…舐めちゃいました」 黒子はえへっ、とでも言いそうなはにかんだ笑顔を浮かべた。俺は知っている。これは許してとふざけて媚びている時の顔だ(実際は無表情だと人は言う)。そんなんに絆されるほど俺は甘くない。……とはいえ、黒子に対して俺ができることなんて厳重注意くらいしかない訳で。そもそも黒子とこの関係を崩すことにつながることをするのは俺も本意ではない。黒子に甘いとは常々言われていることなのだが性格は変えられないのだ。俺は深々とため息をつき、黒子の額をデコピンして弾いた。 「いた…」 「今回のことはこれでナシにしてやるよ」 「え、良いんですか?」 黒子はぱっと顔を輝かせた。 「おう。引きずってもしょうがねえからな。その代わりもうやるなよ」 「ええええ」 どうしてそんなに不満そうなんだよ。予期しなかったブーイングに俺の怒りは沸々と再燃してしまう。振り回されたのが悔しかったのもあると思う。 「テメーなぁ反省しろよ!!触るのはまだアリだとしても舐めるな!!」 俺は怒りのままにがあっと吠えた。思い返してみれば我ながらなかなか無いタイプの説教の文句だった。黒子は渋々、非常に不本意そうに頷いた。どうやらカミングアウトに成功したらこの先も触ったり舐めたり出来ると思っていたらしい。なんて厚かましいんだ。黒子はぶすっと唇を尖らせている。が、気を取り直したのか勝手に正座を崩しながら、懐かしそうに昔のことを話し出した。 「でも、火神くんは優しいですよね。黄瀬くんにやったときは逆に襲われかけましたし」 「へえ…、ん?は?」 俺は気の抜けた声を出してしまう。思わず聞き逃しそうになったが今明らかにおかしいことを言われたよな? 「襲われる?ああ、流石の黄瀬でもブチ切れたんだろ」 「そうなんですよ、どうやら理性が」 「だよなー、怒るよ普通」 「いえ、欲情されちゃったみたいで」 おい誰か聞き間違いだと言ってくれ。 「お尻の危機を感じたので、以降黄瀬くんには手を出していません。………火神くん?」 俺はぐったりと、ソファに沈み込んだ。両手で顔を覆う。っていうか黄瀬舐められたんだ。そんでアイツ、ガチだったんだ…。うざいけどあんなに良いライバルで、一緒にバスケしてて楽しかったのに…。確かに、黄瀬に関しては出会った当初からずっと黒子に対してガチ臭いと思い続けて来ていたのだが案の定だった。 黄瀬のことはさておき、この分だと黒子は我慢しきれずに色んな人に手を出していそうだ。俺はちょっとした怖いものみたさもあって、黒子に他にお前がやらかしてしまった人はいないのか?と訪ねた。黒子はぱっと顔を上げて、少し迷ってから語った。 「…ああ、やっぱりわかっちゃいますよね、何人も手出してること。そうですね、言ってしまえばキセキの世代は全員手を出してしまいました。あの方々、そろって綺麗な顔をしていますから…。 青峰くんは黄瀬くんと同様で、やっぱりお尻の危機を感じたので一回しか舐めたことがありません。緑間くんは舐めたら硬直しちゃったんですよね。可愛かったのですが、その後一週間くらい僕を見る度真っ赤になって近寄ってくれなかったので悪いことしちゃったなあと思いまして、うっかりやらかす以外はずっと我慢しました。一番舐めても怒らないでくれたのは紫原くんです。そのかわりお菓子を所望されました。意外なのは赤司くんです。赤司くんってとても綺麗な目をしているでしょう?だから目を舐めたいって頼み込んだら一回だけ舐めさせてくれたんです!あれは興奮しました…!!」 段々と熱の入る黒子の経験談に、俺は閉口してしまった。何故だろう。黒子と俺の関係は相棒というだけだ。それなのに、黒子が話してくれたことが、恋人の恋愛遍歴を無理矢理聞かされたのと同じ位辛い…。あとあの赤司まで舐めに行くとかコイツ勇者じゃね? 「火神くん?」 黒子はぐったりしている俺の顔を覗き込んで、表情を硬くした。黒子の床の上の手が、ぎゅうと固く結ばれる。そしていつもと同じ調子に戻って、申し訳なさそうに謝った。 「すみません、気持ち悪い話をしてしまって」 「…気持ち悪いっていうか…なんか、複雑なんだよ…」 そう、不思議なことに、黒子に対して気持ち悪いとはこれっぽっちも思っていない。ただ、誰かの顔やら眼球やらを舐めたということがものすごく受け入れがたいのだ。俺はこれ以上自分の心の傷口を広げる真似はしたくなかったのだが、勇気を振り絞ってもうひとつだけ、黒子に質問した。 「…他に舐めたい奴、いるの?」 「えっ」 黒子は俺からこんな質問をされるとは予期していなかったらしい。困ったように僅かに眉を下げている。だが、暫く逡巡してから、この質問にも逆に不自然なほど正直に答えた。 「伊月先輩、森山さん宮地さん高尾くん氷室さん笠松さん若松さん、」 「多いな!!そして幅広い!!つか他校!!そんでぜってー伊月先輩に手出すなよ!!もしかしてもう触ったことあったりするのか!?」 「う、」 「ばっかやろ!!!」 それから説教の言葉を続けようとすると、ずっと我慢していたんだろう。黒子はむっすりと頬を膨らましてついに逆切れし始めた。 「だ、だって皆さんがイケメンなのがいけないんですよ!なんなんですか高校男子バスケ界は!イケメン多過ぎでしょうが!!変態は変態なりに我慢してるんですからいいじゃないですか!火神くんのばか!」 「ばっ、ばかとはなんだ人の顔舐めておいて!!」 「僕だって僕なりに誠意を見せてるのにさっきから酷いです!あんまりです!!」 「じゃっ、じゃあ!」 言葉の争いは苦手だ。言葉が頭の中で混線して、訳が分からなくなる。理由は俺が頭が悪いからだろうけれど、confuseした俺は思いもよらぬことを口走っていた。 「じゃあ俺の顔だけ弄れよ!そんで我慢しろ満足しろ!」 「何言ってんですか!?」 「何言ってんだ俺!?」 自分の発言が自分で信じられない。俺が戸惑っていると、黒子の目が限定サンドウィッチを食べたとき以上に輝いた。 「良いんですか!!?」 「って食いついてるし!!」 この反応はちょっと予想していなかったので思わずつっこんでしまい、そこで一時休戦、一旦会話が切れた。ぜえぜえと黒子と俺が息を整える呼吸音が、静かな夜の部屋に響く。言葉の戦いも結構な運動になるんだな、とか余分なことを考えながら俺は黒子の言葉を待った。黒子は半目になって、俺のことを見上げてきた。 「……正直に言いますよ、正直に。イケメン、という点もなんですが、火神くんの顔の造形って僕の好みど真ん中なんですよ…」 「お…おう?」 これは褒められ…てるのか?なんだか微妙な気分だ。黒子は床から立ち上がると、俺の体をソファの上に押し倒した。背中に柔らかい衝撃が響く。黒子はそのまま、俺の体の上に乗り上げてきた。 「わ、わ」 「ねえ火神くん。君の顔を触ろうが舐めようが文句を言わないというのなら、僕は君だけで、他の全てのイケメンの顔を諦めることも吝かではないです」 黒子は俺を睥睨し迫る。どうしますか?そう問いつつも、明白な欲求を含んだ黒子の視線が俺の顔に降り掛かる。目が、触らせろと語っている。この危なっかしい黒子の欲が、俺だけで満たされる?もう誰にも触れないから、あの受け入れがたい感情を感じなくてすむ、のか?それは、誰に対してでもないが、なんだかとても優越感を覚える気がする。ソファが柔らかいせいなのか、体がふわふわする。でも、体の中ではどくどくと、理由も知れず心臓が激しく鳴っている。黒子の手のひらがまた俺の顔にぺたりと触れた。あ、冷たい。 俺はついに陥落し、口元を緩める。そして、黒子に肯定の意味を籠めてなんとか不敵に笑いかけてやった。 そしてその後漸く俺が、黒子のことが好きなんだと気がついたとき、思い出すのは黄瀬や青峰のことだった。やっぱり俺は曖昧な関係を動かすのが苦手なのだ。ここでうっかり俺まで欲を出してしまったら、黒子との距離が遠ざかってしまうかと思うと何も出来ないのだ。ほぼ毎度二人きりになる度に俺の顔を弄り舐め上げて、息を荒げて興奮する黒子を前にし、俺は幾度となく生殺し状態になり、こっそり嘆息するのだった。 限界少年、顔を舐める 20130831 あとがき 100000hitフリリク部屋 |