ダウト 06 | ナノ


あなたは人を殺しました。しかし折り悪く一台の車が通りかかり、不審に思った運転手が降車し近寄ってきました。あなたは車に他の人間が乗っていないのを確認するとその運転手を殺してしまいました。何故でしょうか。



俺からの電話で話を聞いた赤司っちは大きなため息をついた。きっと厄介事に関わりそうだとでも思っているのだろう。彼は俺の質問には答えずに、お前は黒子への執着を断ち切ったんじゃないのか?そんなお小言を二、三言った。俺の口は勝手に反論するように、久し振りに会いたくなったんス!と無邪気に動いていた。それを受けて、赤司っちは数十秒ほど黙り込んだ。頭の回転が速い赤司っちがそんな風に黙り込むのは珍しいことだった。俺の声の調子から俺の思惑でも拾ったのだろうか。だがそんなことはもうどうでもいい俺は赤司っちがなかなか答えないのに焦れて、教えて教えて、知っているでしょう、ときゃんきゃん喚く。赤司っちはまず、お前は反省が出来ないのか、と呆れて言った。そして続けてこう言った。

『そういえば、お前にはそんなもの望む方が無駄だったな』

馬鹿にするような声を聞いて、俺は危うく自分の携帯を割ってしまうところだった。無機質な、みしりと軋む音で我に返る。赤司っちなんかのせいで携帯を壊すなんてもったいない。

赤司っちはため息混じりについに答えた。

『東京の、誠凛高校だ。…あまり余分なことはするなよ。後悔するぞ』

不気味なほど、優しい回答だった。赤司っちが珍しく気遣わし気に言った「余分」がどういうことなのか、俺にはよくわからなかった。とりあえず、ありがとー赤司っち!とちゃんとお礼を言って通話を切る。俺の声がなくなると室内がまた穏やかなしんとした空間に戻る。電話は表情筋を動かさなくて済むから楽でいいなぁ、そう、軽く息を吐いた。気分が高揚して、俺はぐったりと眠っている隣りの女の子の喉をもう一度軽く締めた。口づけをして、鼻をつまんで、暗闇の中で女の子の顔はどす黒い赤になる。暫くそうしてから、そのまま横になる。隣で酸欠に喘ぎ咳き込む音が耳に気持ち良い。いつもより穏やかに寝られそうだった。



行動に移すのは何事も早い方が良い。そもそも俺は我慢があまり得意ではない。

電車を二、三本乗り継いで、最寄り駅から十数分。神奈川から出向くにはやはり遠いと思う。モデルの仕事を休んで正解だった、この訪問の後にスタジオへ向かうのは無理があっただろう。誠凛高校は流石新設校であるだけあって校舎がとても綺麗だった。一応入校者表にサインをする。校内がどうなっているのかわからないのでそこらへんを歩く生徒の一人を捕まえ案内を頼んだ。

案内された体育館もやっぱり綺麗で、スタンダードな形なだけに使い勝手が良さそうだった。丁度今日の占有権はバスケ部にあるらしく、ドリブルの音とバッシュのスキール音が室内に軽快に響いていた。動き回る人の中に、透明な彼を見つけるのは困難だった。それでも必死になってコートを眺めていると、いつの間にか女子生徒が体育館に大量に流入していることに気がついた。その中の、勇気ある一人が俺に声を駆けて来る。まあサインをくれ、ということだった。一人にやると全員にやらなければいけなくなるから本当は嫌なのだけれど、「モデルの黄瀬涼太」は快諾する。にこにこ笑って中身のない話をしながらひたすら右手を動かしていると、漸くバスケ部の面々が俺の存在に気がついたらしかった。そして俺も、彼らの中にやっと黒子っちを見つけた。空みたいな色彩の彼、嘆息してしまう。視界の中に彼がいる。それだけでどうしてこんなにも満たされるのか。何も言わず彼を引っ張って家まで連れて帰りたかったけれど、なんとか理性が常識との齟齬を修正する。普通に、あくまで普通にしなければ、俺は自分の目的を果たせない。気をつけなければ、ならない。赤司っちが言ったのも、そういうことなんだろう。

会話をいくつか交わして、赤司っちみたいな真っ赤な頭の、火神とかいう奴に勝負挑まれたりもしたけれど、俺がやろうとしていることはひとつだった。

「やっぱ黒子っちください」

にこ、と笑顔を浮かべて俺がそう言うと、誠凛の人たちはざわざわとし始めた。当然だと、言った自分でも思う。しかし俺は引き下がるつもりはなかった。バスケで彼がいるとゲームが面白くなるのは勿論なのだけど、それよりも彼の有無に俺がこれから人らしくあれるかがかかっているのだ。俺は黒子っちに微笑んだ。

「また一緒にバスケやろう」

バスケは、本当は建前だ。その意味は、また側にいてよ、ってことだったりする。こんな常套な口説き文句じゃ駄目だろうか?

「こんなとこじゃ宝の持ち腐れだって」

褒めたら気持ち良くなって、俺のこと見てくれるでしょう?それにほら、勝ったら楽しいって言ったのは黒子っちだよ?俺は黒子っちの価値、ちゃんと分かってる。彼は強豪校でレギュラー入りできるスキルを、確かに持っているのだ。ねぇ、黒子っちが欲しい言葉、並べてるよね?俺と一緒にいることを魅力的に感じてくれているでしょう?黒子っちは、バスケが一番好きだ。なら、こんなとこより楽しくバスケが出来る、俺の側に来てくれるに決まってる。

でもそうやって黒子っちを誘えば誘うほど言葉は空回って、口ばっかり無駄に動いた。黒子っちの表情だって冷えて固まって、白けていった。彼が俺を見る目は、俺が彼の喉を潰そうとした時よりも愚劣な物を見る目だった。

俺は徒らに言葉を浪費することしかできない。俺は失念していたのだ、黒子っちにはハリボテの言葉たちが何の意味も持たないことを。

「ねぇ、黒子っち…」
「丁重にお断りさせて頂きます」

自分の犯した最大のミスに気づけなかった俺には、何がいけないのか全くわからなかった。疑問がそのまま行動に表れて、勝手に首が傾く。

「…なんで?」
「なんでも、です」

頭の中で百戦百勝の横断幕が翻る。勝つことが全て。

「じゃあ、次の練習試合、俺が勝ったら来てくれる?」
「黄瀬くん、」
「こんなとこよりいっぱい勝てるうちの方が絶対楽しいよ。こんな奴の側にいるより俺といた方が良いよ、絶対」
「そういうんじゃないでしょう、黄瀬くん」

黒子っちは珍しく僅かに声を荒げた。どうして?黒子っちに名前を呼ばれてるのに、全然嬉しくない。寒くて体が勝手にカタカタ震えだして、頭ががんがん熱くなっていく。どうして、どうして言うこときいてくれないの?俺は覚束ない足取りで黒子っちに近づく。誠凛の人が心配そうな声を上げた。俺は黒子っちの腕を掴んだ。ぎりり。ポーカーフェイスの黒子っちが顔をしかめるくらいには力が入る。いうこと聞いてよ黒子っち、じゃないと俺、どうにか、なりそう。

おい、と脇から声がかかって、黒子っちから引き離される。俺の動きを阻むために触ってくる手を思いっきり振り払った。俺はもう一度黒子っちをまともに見た。黒子っちは新しいチームメイトに囲まれている。彼の腕は、俺の掴んだところが変色し始めていた。きっと紫の痣になる。目の奥にまで焼きつく痕。俺は慄然とした。やっぱり彼に近づくと、どうあがいても傷つけてしまうのか。黒子っちの周囲の人からは、異様なものを見る目が俺に向けられていた。ずっと忘れられない、幼い頃散々向けられた、あの、目!

黒子っちの前にいるのに、今の俺はまぎれもなく化け物だった。

汚したくないのに、壊したくないのに、感情がセーブできない。傷つけたくないから離れたのに、近づかずにはいられない。どうしようもないジレンマに俺は完全に陥っていた。

俺は体育館の汗臭くて淀んだ空気を、どうにか肺の中に押し込んだ。

「――ははっ、スンマセン!黒子っち欲しすぎてちょっと力入っちゃったッスわー。もう、振られちゃったッス!」

どうにか笑って繕っても、実際は全然繕えてないようで…というよりうまく繕いすぎたのが不自然だったらしい。誠凛の人たちは相変わらず引き攣った表情で俺を見ていた。耐えきれずそれらから逃げるように黒子っちの方へ一瞬目を向けてみれば、今度はしんと落ち着いた瞳が俺を刺す。

「ッ、俺、今日はこれでもう帰るッスね。試合、楽しみにしてるッスから!」

見透かすようなその目が今度は怖くなって、俺は遂に体育館を後にした。早くなる歩調、だんだんと頭が冷えてくる。いつかのように心臓の周りを、冷蔵庫で冷やされたナメクジが這い回る。この冷たいナメクジは俺の貴重な罪悪感だ。赤司っちは「余計なことをするな」と言った。今もどういうことかわかんないけど、俺のマイナスになるということで言うのなら、このことか。何やってるんだろう、俺。自分で離れるって決めて、今更馬鹿みたいに黒子っちを求めて、それでも黒子っちなら応えてくれるって決めつけていたんだ。

そこで気付く。そう言えば、黒子っちに完全に拒絶されたのこれが初めてなんだ――。

歩きながらぽたりと、一滴だけ涙が滴った。

 
そしてその後、練習試合での敗北によって、俺は自分が黒子っちの世界の部品にはもうなれないだろうことを思い知るのだった。それでも、彼を諦めることだけはどうしても、できなくて。



車に乗って逃げるため



20130826

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