君知 3 | ナノ


暫く三橋と二人ですげーすげーと言いながら夜空を見上げていたが、俺ははっとなって花井に駆け寄った。折角だから近くにいたかったのだ。三橋は阿部のいる方へいったようだった。

「花井、花井はどの星がなんて名前かわかる?」

話しかけると、手元で平ぺったい皿のようなものを弄りながら、花井がこちらを見た。

「ん?まぁ一応家に星座早見盤あったから持ってきてるけど…お前流れ星が目当てじゃねぇの?」
「そっちも大切だけどわかった方が楽しいじゃん!あ!夏の大三角ってどんなん?」
「ああ…わかんねぇか?ほら、あれがデネブ、アルタイル、ベガ。明るいのを三つ見つけりゃわかんだろ」

言いながら花井は夜空を指し示す。近くにいないと解りづらいと軽く身を屈め自然に顔を寄せてきた。背が伸びたとはいえまだ俺の方が小さいから仕方ない。花井ははくちょう座がどうの、織女と彦星がどうの教えてくれていたけれども、正直俺は星どころじゃなくなっていた。

息さえ聞こえる距離。

自覚してなければ何にも思わなかったのに今はひたすら心臓に悪い。

「田島?」
「はっえっ何!?」
「お前なぁぁ人が教えてんのに……別に良いけど」

花井はまた真っ直ぐ立って、夜空を仰いだ。離れた距離は物足りないが丁度良い。

野球部の奴らの殆どは西広の話に聞き入っているようで、花井にちょっかいを出しに来る様子はなかった。花井もその事に気付いていたんだろう、プライドの高い彼が普段なら言いそうにもないことを言い始めた。

「結局、お前には追い付けなかったなぁ」

突然の事に言葉を返せずにいると、花井は一度こちらに振り向いた。

「だせぇよな、俺、ずっとお前と張り合ってたんだぜ?」

花井はふにゃ、と眉を下げた。悔しさも混じっているけれど、満足してしまったような言い草だった。俺は固まってしまった。

遂に花井に競い合うことを諦められてしまったのか。また、俺は、ひとり?

そうだ、個人戦だって言ったじゃないか。もう追いかけっこは終わりなんだ。花井にとっての追いかけっこは終わってしまったのだ。舞台を新たに据えないと花井と俺は競えないんだ。

残ったのは俺にとってだけの、追いかけっこなんだ。

『田島ってよく花井のこと見てるよなぁ』

仕方ないじゃんか。目が勝手に探すんだ。目が勝手に、追いかけるんだよ。

どうしたら伝えられるだろう。どうしたら花井が俺のトクベツで、逆に俺がずっとずっと追いかけていた相手なんだってわかってくれる?

喉までのぼってきたこの衝動をぶつければ花井は俺に捕まってくれるのだろうか?

俺は口を開いていた。

「花井ッ、俺…俺さっ」
「あっ!」

花井が大きな声を出して、俺を振り返った。他の奴らも騒いでいる。

「なぁ!今星二個いっぺんに流れたぞ!見れたか!?」

空を指差し無邪気に花井は笑った。

ああ――花井の笑顔って、なんて残酷なんだろう。

「…あー!見逃したっ!!」
「ばっか、勿体ねぇなぁ。…で、ごめん、なんか言いかけてたよな?何?」
「ん、いや……なんでもねーよ」

またごまかすと、すっきりしなさそうに花井は唇を尖らせた。言いたいことがあるなら言え、こづいてきた肘は確かにそう言っていたけれど、俺は結局言わないことにした。

……言えなかった。

バッターボックスに立って勝負する時はいつもワクワクして、高揚して、楽しい。打つ自信がある。打てなくても次に打つ自信だってある。

そんな自信とか、勝負強さは野球以外にだって持ってると思う、けど!

暗闇にうっすら見えた花井の笑顔が、キレイで、キレイすぎて――それを失う一瞬が訪れるかもしれない未来があまりにも、怖すぎたんだ。



「三橋っ帰ろうぜ!」
「う、っお」

そろそろ帰ろうなんて誰も言っていなかったけれど、流れで自転車を停めている場所まで戻り、俺は三橋に軽くタックルした。

阿部がまたガミガミ言ってるけど無視!

「じゃーなー!また明日!」

自転車に股がり、手を振り叫ぶ。

いつもと違う違和感。白い外灯はうっすら皆の姿を浮かび上がらせている。笑顔、笑顔、笑顔、明日も明後日もきっと変わらない笑顔がある。

俺はそのうちの一つから、初めて目を逸らした。

夜遅くに出歩くのはイケナイことなので気を付けて、俺と三橋は自転車を走らせていた。

「田島、くん!!すごかったね 満天の星!」
「おう!そーだな!百点満点だったな!!」
「オレ、阿部く にそう言ったら、違うって言われた!」
「えっ、ちげーの?」

なはは、なんて笑ったら三橋が困った顔をして俺を見た。前向かなきゃ危ないって、なんかあったら俺が阿部に怒られるんだぞ。

少しして三橋の自転車がゆるゆると速度を落とし、やがて停車した。俺も合わせて自転車を止めた。どうやら三橋は話したいことがあるらしい。

「三橋、どうした?」
「田島く…」

三橋はおろおろと視線をさまよわせた後、不安そうに俺を見た。

「田島くんっ 泣かないで」
「……え?」

びっくりして思わず手を頬にやった。いつも通り乾いている。

「俺、泣いてねぇよ?」
「でも…田島くん…あ、違 う」

三橋はぶんぶん、頭が飛んでっちゃいそうなくらい首を振って、俺の手をとり、ぎゅうと握った。三橋の手、あっつい…。

「田 島くん、泣いても、良いよ!」

逆だ。俺の手が冷えてる。空気はこんなに熱くて、蒸しているのに。

「……三橋…別に俺悲しくないよ?大丈夫だって…泣いたりなんか」

勝手に手が震えた。顔が上げられない。足元しか見れない。目が熱い。ああ、駄目だこんなの。

水の粒が真っ直ぐ地面に不時着した。

「泣いたりなんかしねーよ…!?」

それでもあふれた涙はぼたぼたと闇に吸い込まれていった。三橋はおどおどしながら、軽く俺の背を叩いてくれた。

花井が俺と同じ種類の執着を持っていないなんてことわかってたんだ。

自信だって勝負強さだって野球以外でも持ってると思う。けど、負けしか有り得ない試合を一人で引っくり返すほどの本当の強さを、俺は持っていなかった。

「田島 くん、俺に頼って…?」

三橋の申し出に俺は悪ィ、と首をふった。涙はまだ止まってくれないし、あーあ、俺、隠し事なんてしたことなかったのにな、

「これは俺だけの秘密なんだ」




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