君知 1 | ナノ


使い慣れてきたグラウンドにはもう数人しか選手が残っていない。ライトの電源も落とされ、真っ暗なグラウンドに俺は突っ立っていた。視覚が限定されてくると他の器官が鋭敏になっていく。

土の匂い、草の匂い、夏の匂い。それから俺たちを飲み込む夜空の音。目を上げればちらちらと星が瞬いている。俺は、ある日を境に星を見るのが苦手になってしまった。特に夏の夜の満天の星空ってやつを見ると胸を何度も何度も刺し抜かれるような、そんな痛みが記憶から引きずり出されてくるのだ。

それなのに、なんでかなぁ。まるでその痛みを忘れたくないかのように俺は顔をあげてしまう。

「田島ってさ、星好きなの?」

しょっちゅう見上げてるよな、なんて新しいチームメイトが笑いかけてくる。薄暗い中の生温い空気が肺にたまって息苦しかった。俺は答えを曖昧に濁した。

「いやー、星の名前もわかんねぇのに見ちゃうんだ」
「はは、わかんねぇとか、田島らしいな!」

そう笑い飛ばされて、俺も笑った。うまく笑えてる自信はあまりなかったが、相手が気付いてる様子はなくてホッとした。

彼はグラウンドに併設されている建物を振り返って言った。

「もう皆あがってるぞ。早く行こうぜ」
「おー」

適当に答えるとチームメイトはグラウンドからさっさと走って行ってしまった。俺はまたいつの間にか、夜空を見上げていた。大好きなグラウンドにいると、いつだって空は俺に迫って、厄介なことに目が逸らせない。

――嘘をついた。俺はバカだけど本当は星、少しだけわかる。今は夏だから、ちゃんと見つけられる。

『夏の大三角ってどんなん?』
『ああ…わかんねぇか?ほら、あれが』

デネブ、アルタイル、ベガ。名前は覚えたのに、いつも俺は、何でかベガしか見つけらんないんだ。





暑い夏がじわじわと死んでいく季節、俺たち西浦高校野球部にも終わりが近づいていた。終わり…っつっても自分達の学年が引退するってだけなんだけど。十人が揃うグラウンドから離れるのが寂しくて、俺たちはなんだかんだと理由をつけていつもなるべく長い間集まっていた。

今日も主将が、部室閉めるぞ!なんて急かしているのに部員はだらだらと話しながら、緩慢に着替えをしていた。後輩たちはもう先に帰すようにしていたから残っている部員は三年だけだ。ちら、と花井の方を見れば――花井だってまだアンダーすら着替えてねぇじゃん。きっとどこかで、この時間がもっと続きゃ良いのにとか思ってるんだろう。急かす声にも正直力がなかったし。

「た、田島 くん」

声を掛けられて、なんだ?と三橋を振り返った。三橋は花井の言葉をちゃんと守ろうとしているらしく、彼なりに頑張って早く着替えたらしかった。

「きょう キレイだ、ね!」

嬉しそうに三橋が言う。キョドキョド動くその視線の先は外、更に上を向いているから――。

「ああ、今日は星がちょーキレイだな!」

にぱっと笑って返せば、三橋はそれはそれは幸せそうに笑った。近くでやりとりを聞いていたらしい水谷がほんっとよくわかるなぁ、と感嘆している。また、水谷の言葉に阿部は悔しそうに眉をひそめているのが目に入った。わかりやすい。阿部が三橋をわかってやりたがっているのはよく知っているので、馬鹿にする気はなかった。

「星かぁ…」

ぽつん、と言葉を溢したのは花井だった。その声に反応してうっかり花井の着替えの途中の綺麗な背中をもろに見てしまった。俺は慌てて目をそらした。他の部員の背中は何とも思わないけれど、花井のは目に毒で。

そろそろ全員エナメルをしょって、部室を後にしようとした時だった。

「――なぁ、今夜皆で星を見に行かないか?」

少し大きな声で花井が皆に呼び掛けた。部員がは?と一瞬停止した。

そして。

「は…はな…花井がロマンチストだ!!」

失礼にもぶほっと吹き出したのはやっぱり水谷だった。それに続いて皆の笑い声があがった。かっ、と音を立てて花井の顔が赤くなった。

「いやっ、そういうんじゃ、なくて!!」
「今日ははくちょう座κ(カッパ)流星群の極大日だからね」

真っ赤になってつっかえつっかえ話す花井の言葉を引き継いだのは西広だった。

「ああ、なんかニュースで言ってたね。一番流星群がよく見える日なんだろ?規模は小さいらしいけど」
「流石西広先生」

くすくす笑いながら栄口が言い、巣山が頷く。水谷はカッパ?なんで?天の川だから?とか抜けたこと言って向こう脛を阿部に蹴られていた。実は俺も同じことを思ってたけど、取り敢えず流星群!!と叫んだ。

「流れ星が一杯見れるんだよな!?えー、スゲー見たい!!願い放題!」
「田島うっせーぞー。…まぁ俺も見たいけど」

珍しく泉もノってきた。三橋なんて、花井くんと西広くんすごいっ!星見に行きたい!…そんなわかりやすいメッセージがきらきらした瞳から発せられている。

そんな時、阿部が面倒そうに水をさした。

「てめーら流星群てこの後すぐだぞ。ここじゃ周りが明るくて見えねえし高台までは結構距離あるし…明日も練習あんだぞ」
「あ……そっか…」

ちょっと残念そうな声を出したのは沖だ。彼も乗り気だったらしい。

引退前とはいえ、部活の厳しさは変わっていない。そんな中、疲れた体を休ませずにいることは確かに賢い選択ではないだろう。

それでも、と阿部は続けた。

「まぁ…今日くらい、良いんじゃねぇの」

ぼそっと不服そうにいう阿部の姿に数人が生温かな表情を浮かべた。素直じゃないのなぁ。阿部が変になった!と悲鳴をあげた水谷は再び容赦なく阿部に蹴られていた。


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